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【別説】神も仏もない

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 ということで、その教団は滅んでしまった。
 しかし、宗教団体というものがすたれるということはなく、他の団体が、どんどん湧いてきては、
「別の方法で、社会を混乱させる」
 ということになっている。
「帝の科学」
 のように、
「世間に対して悪いことをしていない」
 と思われる教団からすれば、
「これ以上の迷惑はない」
 ということだ。
 それは、まるで、
「受動喫煙」
 というものと似ているといえるのではないだろうか?
 昭和から平成になった頃から、
「嫌煙権」
 というものが叫ばれるようになり、
「禁煙場所が増えてきた」
 と思えば、今度は逆に、
「喫煙場所というものが設けられ、後は禁煙」
 というのが主流になり、今では、
「きちっと分煙された喫煙場所以外では、たばこは吸えない」
 という時代になってきた。
 最初の頃は、
「まだ、禁煙車と喫煙者が混同していた時など、煙草を吸う人は、礼儀として、煙草を吸う時、まわりの人に、煙草を吸っていいかどうか聞いた」
 というものであった。
 それだけ、
「礼儀正しい人が多かった」
 ということであったが、それも、
「喫煙者が禁煙車に対してひどい態度を取る」
 ということになると、喫煙者の心境とすれば、
「一部のマナーの悪い連中のために、まじめにルールを守っている喫煙者が、禁煙車から白い目で見られる」
 ということで、
「一人のマナーの悪い奴のせいで、皆同じだと思われる」
 ということである。
 だから、喫煙者が禁煙車に悪質な態度を取るということは、
「禁煙者、喫煙者両方を敵に回す」
 ということになる。
 つまりは、
「自分以外は、全員敵だ」
 ということになるのだ。
 それを考えるから、
「帝の科学」
 という団体は、
「世間に対して、まじめな態度を尽くすことが大切だ」
 と考え、まわりからも、
「優良な宗教団体だ」
 と言われるようになったのだろう。

                 ウソの考え方

「帝の科学」
 という団体は、その団体としては、
「優良企業」
 といってもいいだろう。
 社会貢献というのも、ちゃんとしている。そのあたりは、
「街の掃除」
 であったり、
「治安を守る」
 ということに対しての、見回りなどという、
「自分たちにできることは、何でもやる」
 という精神を持っているということであった。
 ただ、彼らの団体に対して、
「一定の懸念」
 というものを示している人たちがいる。
 それが、
「一人が死ぬと、一人が生まれる」
 という考えにおいて、
「その関連性を調べている」
 ということであった。
 そもそもの、
「一人が死んで、一人が生まれる」
 というのが、
「どこか、うさん臭い」
 と思っていた。
 確かに、
「人の生き死に」
 というものは、神聖なものだというのが、宗教の基本といってもいいだろう。
 中には。
「人の生き死にというものは、人間にはどうすることもできないもので、それを甘んじて受け入れる」
 ということが大切だという考えであった。
 だからこそ、
「神聖なもので、尊厳に値する」
 という考えであるが、
「帝の科学」
 はそうは思っていないようだ。
 というのは、
「安楽死」
 という問題を考えた時である。
 確かに、
「人の死というものを、人間が勝手に扱える」
 というのは、大きな問題で、いわゆる、
「生殺与奪の権利」
 というものを、持っているということになるだろう。
 だが、そのために、
「植物人間」
 のようになり、
「その延命のために、莫大な費用が掛かる」
 ということから、
「家族の人間だけが、その負担を強いられることになり、家族が自殺に追い込まれるほどの苦しみを味わったとしても、誰も助けてくれない」
 ということで、本来であれば、
「生命維持装置を外す」
 ということで、家族も本人も楽になれるというのも一つの考えであろうに、
「死というものは尊厳に値する」
 ということから、
「尊厳が最優先」
 ということで、
「生きている人間が、いかにひどい目に遭っても、生きている人を殺すということは許されない」
 ということだ。
 これほど、
「理不尽なことはない」
 といえるのではないだろうか。
 それこそ、このような、
「植物人間になるかも知れない」
 という人間のために、企業が行う
「内部留保」
 というものを、
「国で行えば、それで済むということになるのではないだろうか?」
 なんといっても、
「国は、税金というものを取っているわけで、それをどうせプールしているのだから、植物人間の延命のために使う」
 ということであれば、誰も文句は言わないだろう。
 どこかのバカなソーリのように、
「自分の名を挙げたいだけのために、戦争をしている国に、無償で金を出す」
 ということをしている人間に比べれば、絶対にいいことだといえるだろう。
 戦争をしている国に金を出すということは、間違いなく、
「武器を買う金」
 ということに変わりはない。
 そんな簡単なことが分からないやつが、
「一国のソーリだ」
 というのだから、それこそ、
「笑わせる」
 というものだ。
 そもそも、
「平和憲法の国」
 ということであるにも関わらず、しかも、
「戦争をしている片方の国」
 というものに対しての支援ということである。
 口では、
「人道支援」
 ということを言ってはいるが、実際には、
「片方の国に対して、ひいきをしている」
 ということになる。
 確かに、形の上では、
「侵略された」
 という形にはなっているが、実際には、
「元々、連邦を組んでいた、同志と言える国との関係」
 ということで、ある意味、
「複雑な外交事情」
 であったり、
「民族間の問題」
 というのが絡み合ってのことなので、
「侵略」
 という体裁であるとしても、それをそのままうのみにしてもいいのだろうかということになるであろう。
 もっとも、国際法上とすれば、
「戦闘状態にある国家間」
 において、片方に支援するというのは、その国と同盟を結んでいると解釈されても仕方がないということであった。
 本来であれば、日本の国のように、
「専守防衛しかでいない」
 という国であれば、
「いち早く中立を表明」
 しなければいけないのだ。
 そうでなければ、支援の相手国から見れば、
「敵国の同盟国」
 ということで、当然、
「敵国認識」
 ということになり、攻撃を受けても、文句がいえないといってもいいだろう。
 へたをすると、
「北海道に攻めてくる」
 という噂もあったくらいで、そんな危険な状態になるリスクを負ってまで、本来であれば、
「国民の窮状を救うために使うべき金を、自分の私利私欲のために、しかも、国民を危険に晒してまでばらまく」
 というのは、その神経が分からない。
 それよりも、
「さすがに途中からひどい」
 ということに国民も気づいたようだが、最初は、
「人道支援」
 という言葉にすっかり騙されていたというのだから、
「これほど、お花畑にいる国民はいない」
 といってもいいだろう。
 なんといっても、
「平和ボケの国」
作品名:【別説】神も仏もない 作家名:森本晃次