【別説】神も仏もない
というものを表に出していることで、
「自由恋愛」
ということであれば、不貞というもの、否定派していないということであった。
しかも。
「英雄色を好む」
というではないか。
それくらいのことは、普通にあってしかるべきというのが、教祖の考え方であった。
ただ、それはあくまでも、体裁というのを考えると、
「黙っておくべきこと」
ということである。
へた三知られて、幹部にその、
「後始末」
というものを押し付けるということは無理があるということである。
それよりも、
「下手に幹部に後始末をさせる」
ということになると、
「形式的な後始末」
を行うことで、最終的に、
「教団にとっても、ロクな結末を生まない」
ということになりかねない。
それよりも、教祖といっても人の親である。
「最優先されるべきは、息子の幸せ」
ということで、だからといって、
「他人を不幸にする」
ということも許されない。
だから、教祖とすれば、
「静観しているしかない」
ということになるのだろう。
それを考えれば、
「不貞の事実」
というのは、できるだけ、隠さなければいけないということであった。
しかし、
「幸か不幸か」
この教団は、
「包み隠さず」
というのが当たり前ということであった。
だから、
「うまく隠すことができた」
というのは、
「功を奏した」
といってもいいかも知れない。
それこそ、
「木を隠すには森の中」
ということで、
「ウソを隠すには、本当のことの中に隠せばいい」
という発想になるのであって、皮肉なことに、そのことを一番分かっているのは、
「幹部連中だった」
ということだ。
実際に、幹部連中というのは、
「それまで、過去において、どこかの会社で幹部をしていた」
という人が多い。
特に、
「人事、総務を数十年やってきた」
という人であったり、
「経営企画を担ってきた」
という人などが、会社の経営不振ということにより、
「自分が、リストラをしなければいけない」
という理不尽さを感じたことで、
「会社を辞めたという人」
であったり、
「自分が実際に、さんざんリストラをさせられて、最後には自分が切られた」
という、とんでもない理不尽を味わったという人もいたのだ。
実際に、そんな人が溢れていた時代において、精神的には、かなり病んでいたことだろう。
そんな時出会ったのが、この、
「帝の科学」
という檀大だったに違いない。
そもそも、
「神頼み」
というものをしたいくらいに、何かにすがるという気持ちになっていたであろうし、さらには、
「勉強会というのが元々だった」
という教団だったことから、
「興味を持った」
というのも、無理もないことであろう。
実際に、勉強会に参加してみると、
「まわりから受ける影響の大きさ」
であったり、
「自分が得られる知識や、今までに知らなかったことを教えてもらえる」
ということに、今まで忘れかけていた生きがいというものを思い出したということになるであろう。
だからこそ、
「この教団の幹部組織」
というのが、まわりに対して、
「自由に感じられるところ」
ということであり、いろいろなところから集めてきた、
「烏合の衆」
であるにも関わらず、幹部として、きちっとした流れを築くことができているのだと分かるのだった。
この教団において、一つ気になっているのは、
「世襲制」
ということであった。
政治家であっても、世襲制というのが問題になるということなので、実際には嫌われるのだが、教団の信者も、幹部もそんなに意識はしていない。
ただ、
「教団の運営」
ということで、
「世襲というものが、問題になる」
ということもあるようで、その時だけ、
「どうしてここは世襲制になっているんだろう?」
と今さらながらに考える人がいるというものであった。
「次期教祖」
つまり、今の教祖というのは、不貞をしていたということであるが、その相手というのは、
「学生時代から付き合っている彼女」
ということであった。
だが、実際に結婚したのは、
「幹部の娘」
ということで、一種の、
「政略結婚」
というものであった。
「自由な組織」
と言われているのに、
「政略結婚とは?」
ということなのだろうが、それも、この婚姻を勧めたのは、
「亡くなった教祖」
だったのだ。
これは、教祖のカリスマ性ということでの、
「人間の相性を見破ることができる」
ということで、それを、自分の息子にも強要したということだ。
「やりすぎではないか?」
という幹部の声もあったが、それはあくまでも、
「一人の幹部に娘が教祖の妻」
ということになると、権力が集中するということで、懸念していたのだ。
そもそも、
「幹部というのは合議制」
ということであったが、実際には、
「権力さえ持てば、逆らうことはできない」
というのも、
「教団の運営」
ということでいえば、その流れに逆らうというのは無理であった。
そういうところは、表には出てこない。それこそ、
「木を隠すには森の中」
ということで、
「この教団が、まさかそんなことはないだろう」
ということになるのであった。
命の続き
実際にこの教団において、
「教祖の不貞」
ということが分かったとすれば、
「大きなイメージダウン」
ということで、幹部としては、
「隠すべきこと」
といってもいいだろう。
しかし、
「最近分かった事実」
いや、
「事実と言われていること」
というのは、今後の、
「教団の運命」
というものを考えた時、
「いい方に作用する」
といってもいいのではあないだろうか?
それを考えると、
「最近、教団幹部にも分かってきたことというのが、教祖が隠してきたことのストレスを考えると、このまま自然と判明した」
ということにする方がいいのではないか?
と考えられるのであった。
「帝の科学」
という教団が創設されることになった経緯からすれば、
「宗教団体」
としては、かなり変わったといってもいいということであろうが、
「本来の意味での宗教団体というものに近づいたのでは?」
と考える人もいて、その代表が、
「坂口なのではないか?」
と、坂口本人は感じていることのようだった。
この教団での生まれ変わりというのは、
「教祖の不貞」
ということで生まれた不貞の子ということであった。
本来であれば、
「この二人が関係がある」
ということを言えば、教団としての組織的なスローガンというものが証明される形ではあるが、それを公表してしまうと、
「モラルや倫理:
ということで、
「果たして宗教団体として許されるのだろうか?」
ということになるのであった。
これに関しては、前例という問題ではない。
「モラルや倫理」
という問題になると、確かに、
「不貞は否定される」
といってもいい。
そういう意味で、教団の幹部の中でも、かつて、
「教祖の不貞」
というのが問題になった時、教団を辞めた幹部がいた。
作品名:【別説】神も仏もない 作家名:森本晃次



