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【別説】神も仏もない

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「自分たちの技量のなさ」
 というものからきているということに気づかないのだ。
 つまり、
「自分たちのことを棚に上げて」
 ということになるのであった。
 宗教団体というものが、実際に、
「今までそれだけ、ロクな団体がなかった」
 というべきか、それとも、
「そんなひどいところが目立つことで、本来であれば、まじめな布教を続けているところが、変な目で見られるという憂き目にあうというのは、それこそ、理不尽だ」
 といえるのではないだろうか。
 それを考えると、
「今までのほとんどの宗教団体も、それを取材する出版社というのも、それぞれに、負のスパイラルといっておいいような、相乗効果というものを示していたのではないだろうか?」
 ということであった。
 自転車操業を繰り返すことで、本来であれば、
「どんどん悪い方に進んでいくというのが、相場ではないか?」
 と言われていたが、この教団ではそこまではなかった。
 というのも、
「実際に、自転車操業を繰り返すようになると、今まで見えていなかったものが見えてきた」
 ということである。
「今まで見えなかったものが見えてくる」
 というのは、
「決して悪いことではない」
 ということになるだろう。
 実際に、今回の、
「帝の科学」
 においても同じことだった。
 だが、それが、
「自転車操業の悪い部分を強調するようになって」
 ということから、そう思うのであった。
 実際に、それを分かるのは、
「やっている本人たち」
 ということで、教団幹部は、自分たちが、
「悪い方の自転車操業というものに絡んできた」
 ということで、
「いかに、道を元に戻すか?」
 と考えていたが、そのうちに、
「そんな必要はない」
 と思うようになったのだ。
 つまり、
「悪いことだと思っていたことが、果たしてそんなに悪いことなのか?」
 と考えるようになったことで、それは、坂口にとって、
「悪いことだとは思っていない」
 ということであって、坂口としては、
「それを分かっているのは、きっと自分だけだろうな」
 と感じていた。
 それだけ、発想としては、異色だといってもいいだろう。

                 生まれ変わり

 今のところ、教団が考えていることを分かっている人は一人もいなかった。
 分かっているといっても、ごく一部の幹部だけということで、実際には、
「教祖も知らなかった」
 ということである。
 そもそも、これは、
「教祖に知られてしまうと、少し話が変わってくる」
 ということであり、
「教祖の知らない間に進める」
 というよりも、
「教祖に知られてしまうと、水の泡になる」
 といってもいいことであった。
 一部の幹部が気づいたことは、本来であれば、
「表には絶対に漏らしてはいけない」
 ということであった。
 もし、このことが漏れてしまうと、
「教団の信用は失墜する」
 ということである。
 そうなると、
「脱退者がかなり増える」
 ということになるのは分かり切ったことであり、そもそも、
「脱退は許さない」
 というようなところではなく、
「脱退は比較的自由」
 という触れ込みから、入信する人もいるというのが、実情であった。
 そもそも、教団としても、
「脱退が自由」
 ということを聞いて入信してくるという人というのは、
「逃げ道ありき」
 ということで入ってくるわけで、
「そこまで教団のために何かをしてくれるというわけではない」
 といえるだろう。
 つまりは、悪い言い方をすれば、
「人数集めの一人」
 というだけのことで、最初から期待も何もしていないといってもいい。
 そんな人たちを、最初から受け入れていたという意識は、幹部には薄かったことだろう。
 あくまでも、
「自由」
 というものを表に出して、
「他の団体との差別化」
 ということを考えていたのだ。
 だから、まわりから見れば、
「他の宗教団体とは一線を画していて、うさん臭さはない教団」
 というだけで、少しは、親密な感覚になれたということになるだろう。
 確かに、その通りで、その考えを強く持てたのは、
「誰かが死んだ時、誰かが生まれ変わる」
 という発想を持った時だと考えられる。
 この発想は、他の宗教がいうところの、
「輪廻転生」
 というものに追随するものという考えもある。
 確かに、
「生まれ変わり」
 ということであれば、
「誰かが死んだ時、その生まれ変わりだ」
 という考えが成り立つとすれば、
「辻褄が合う」
 という感覚になることだろう。
「辻褄が合う」
 ということよりも、
「布教に役立つ」
 という発想になるのであって、
「帝の科学」
 としても、
「布教に役立てよう」
 とまでは思わないとしても、自然と信者に対して、
「自分たちの団体を表に示す」
 ということで、利用価値として考えていたのは間違いないだろう。
 だが、
「誰かが死んだ時、誰かに生まれ変わる」
 という発想は、実は、
「教祖はあまり気に入っているものではない」
 ということであった。
 というのも、
「一般的に信じられている内容」
 というものと、
「教祖が感じていること」
 というのでは、微妙に違っているのであった。
 それは、
「教祖にだけ分かる」
 というほどに、実に微妙なものであって、信者はおろか、
「教団幹部」
 にも、分かっていないことだったのだ。
 ただ、幹部の一部。特に、運営に関わっている人には、
「教祖と自分たちの考えに微妙な違いがある」
 ということを分かっているようだ。
 そのうちに、
「それは亀裂になっている」
 ということも分かってきているようで、
「亀裂という大げさなものではないが、意思の疎通というものに、弊害を及ぼしているのではないか?」
 と感じるようになっていたのだ。
 そのことを、幹部とすれば、
「教祖は意識していない」
 と思っている。
「帝の科学」
 としては、これまで、
「教祖の力で、ここまで存続できている」
 と思っていたが、最近では、一部の幹部の意識として、
「運営に関して自分たちが担ってきたことが、教団の存続させているということになるのだ」
 と思っている。
 教祖としても、先代までは確かに、
「自分が教祖だ」
 というオーラを醸し出していたが、今の教祖は、
「先代を引き継いだが、運営は幹部に任せればいい」
 ということであった。
 実際に、先代教祖が亡くなった時、
「教団の運営は、幹部に任せる」
 ということで、
「教祖と幹部とで、歴然とした役割の分担が決められた」
 といってもいい。
 それはきっと、教祖の中で、
「新しい教祖には、自分ほどのカリスマ性がない」
 ということが分かってのことであろう。
 しかし、教祖が、
「自分の死」
 というものを意識した時、
「次期教祖としての自分の息子」
 というものが、頼りないということが分かったのであろう。
 ただ、この時教祖は、あることを知っていた。
 というのが、
「次期教祖」
 つまりは、
「自分の息子の不貞」
 というものであった。
 確かに、宗教団体といっても、基本は、
「自由」
作品名:【別説】神も仏もない 作家名:森本晃次