夢のあれこれ
「推定有罪」
ということになり、
「罪に問われない」
ということで、人々の鬱憤が、家族に及ぶということだ。
特に、これが日本であれば、
「日本人の心境」
ということで、
「判官びいき」
というものがある。
それは、
「弱いものを助ける」
という精神からで、裁判において、
「弱い者」
ということになると、
「被害者」
というのが相場で決まっているとでも言わんばかりである。
そうなると、
「そんな弱者が法律によって救われない」
ということになれば、
「判官びいき」
の人たちは、自分の信念が強いだけに、余計に、頭が単純ということで、
「その先」
さらに、
「その一歩先」
ということがどういうことなのかということが分からずに、一方的に、
「弱者を救う」
という正義感を持つことで、自分の考えを正当化しようとするところがある。
それが、
「集団意識」
というもので、
「自分と同じ考えの人が多いということは、自分の考えが正しい」
という、いわゆる、
「多数決」
つまりは、
「民主主義の精神」
というものから、余計に、
「視野の狭い考え方」
に則るということで、さらに単純な行動に走ってしまうということになるだろう。
それこそが、
「公明正大」
ということが正義のはずなのに、それぞれの言い分を、ひいきによって考え、しかも、集団意識のなせる業ということから、勝手に解釈するというのは、ある意味、
「民主主義においての限界」
といえるだろう。
だから、
「自由、平等、博愛」
という精神の旗印のもと、民主主義が成り立っているはずなのに、
「限界がある」
というのは、
「自由というものを優先するために、平等というものが、犠牲になる」
というのが、民主主義の精神ということである。
物事を決めるのも、
「多数決」
つまりは、
「少数意見は、どんなに素晴らしい意見でも、切り捨てられる」
ということである。
ただ、民主主義というのも、それなりに考えられていて、
「数人で選挙をした時など、最初に過半数に見たらない場合は、決選投票」
という考えがあったりする。
それが、
「政党における代表や総裁の決め方」
といってもいいだろう。
「最初に、過半数行かなければ、上位2人で決選投票」
というやり方である。
こうなれば、
「少しは、民主主義の精神に近づいた」
といってもいいかも知れない。
ただ、それでも、
「少しは」
ということで、すべてにおいて、合理的だというわけではない。なかなか、
「民主主義の精神」
というものが、充実した政府というのは、今では、まだまだ達成は難しいということであろう。
本当に、
「自由、平等、博愛」
というものが、すべてにおいて達成できるとすれば、
「自由と平等」
というのは、それぞれに、相反する考え方ということになるのだろうが、問題は、
「博愛」
ということであろう。
民主主義においての博愛」
というのは、
「平和」
というものではないかというのは、間違いではないだろう。
というのは、
「「民主主義国家として生まれ変わった日本国」
ということで、出来上がった、
「日本国憲法」
というものの、三原則を考えればわかるというものではないだろうか。
まずは、
「国民主権」
というものである。
これは、平等を表しているものであろう」
今までは、
「天皇が国家元首」
ということであったが、今度は、
「国民に一人一人に、平等に主権がある」
ということである。
さらに、
「基本的人権の保障」
ということであるが、これこそ、自由ということになるだろう。
それに伴って、実際に、問題がないというわけではないが、
「表現の自由」
「言論の自由」
「宗教の自由」
ということが認められることで、
「自由と平等」
というものを、確かに、
「自由が最優先」
ということであるが、基本的には、
「自由と平等」
というものを両方守るという形の憲法になっているわけである。
憲法のもう一つはというと、誰もが知っている、
「憲法九条」
という問題である。
これは、
「戦争放棄」
ということで、
「武器を持たず、武装もしない」
ということで、
「ただ、自衛に関してはその限りにない」
ということであった。
これが、
「日本国憲法が平和憲法」
と言われるということであり、
「三原則の最後が平和」
ということで、
「自由、平等。博愛」
と言われる、
「最後の博愛」
というのは、
「平和精神ということになる」
のではないだろうか?
「死んだ男が、どうして道に飛びだしてひき殺されるということになったのか?」
至急に分からなければいけないということなのだろうが、すぐに分かるほど、
「この世とあの世」
との関係というのは、簡単なものではないかも知れない。
要するに、
「あの世とこの世の間には、決して犯してはならない結界」
というものがあり、
それが重ければ重いほど、
「犯した罪」
というものは、深いといってもいいだろう。
つかさの結婚観
ある男が、一人の女と不倫をしている。その男は、独身なので、
「オンナの方も独身だ」
と勝手に思っていた。
そもそも、
「相手の女がすり寄ってきた」
ということだから、
「相手も独身に違いない」
と勝手に思っていたのだ。
その思い込みというのは、無理もないといってしまえばそうなのかも知れないが。実際には、
「単純な考え方が、災いしている」
といってもいいだろう。
しかも、そんな単純な考えを、本人は、
「素直な性格」
と思っているのだから、始末が悪い。
確かに、単純に女性を好きになるというのは、
「若いうちの特権だ」
ということで、
「突っ走るというのも、悪いことではない」
と言われるが、それにも限度があるということになるだろう。
確かに、若いうちというと昔から、
「好きな者同士、なかなか結婚できない」
という時代があり、特に、
「政略結婚」
であったり、
「許嫁」
などという制度があった時代というのは、今のような、
「恋愛結婚」
などというのは、ありえない時代だった。
特に、
「結婚というのは、家族間のつながり」
ということで、
「家長制度」
というような、
「封建的な時代を色濃く残している」
というのは、民主主義とは正反対の考え方ということで、
「すべては、家長が決める」
というような、家庭単位の、
「独裁者会」
といってもいいだろう。
だから、
「結婚を子供同士で決める」
という自由はなく。
「親の反対があれば、結婚できない」
という風に相場が決まっていた。
もちろん、法律上決まっていたわけではないが、世間の慣習というものがそうだったので、
「世間の考え方」
というものに逆らうことはできなかったということだ。
戦争に敗戦し、日本は自由の国になった」
ということで、
「恋愛結婚」
というものが許されるようになった。



