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夢のあれこれ

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 という、不確かなことであっても、洗脳するに十分ということになるであろう。
 それだけ、
「宗教というのは恐ろしい」
 ということになるだろう。
 中には、
「宗教は儲かる」
 という考えの元、
「あの世さえ都合よく、信者の頭に洗脳できさえすれば、宗教団体の存在価値というのは、十分なのだ」
 ということである。
 逆にいえば、
「それだけ、どの時代においても、この世というのは、悲惨でしかない」
 ということである。
「この世で、皆救われる」
 ということになれば、何も宗教に頼るということはないわけで、
「この世がひどければひどいほど、宗教が流行る」
 ということだ。
 つまり、
「この世は地獄。地獄しかない」
 ということになるのであろう。
「なるほど、確かにこの世は地獄しかない」
 と考えれば、当たり前のことであろう。
 そこで考えられることとして、いくつかの宗教。いや、ほとんどの宗教といってもいいのかも知れないが、
「人を殺すというのは、戒律違反であるが、それと同様に、自殺をするというのも、自分を殺すということであってはならない」
 と言われている。
 それはあくまでも、
「それだけ自殺を許すと、自殺者がめちゃくちゃ増える」
 ということからなのではないかと考えられるのだ。
 その理由として、
「この世は地獄、地獄しかない」
 ということである。
「地獄しかないこの世であれば、早く逃れて、天国に行きたい」
 ということから、自殺者が増えることだろう。
 しかし、そうなると、この世でどんどん人間が減っていき、困る人が増えるということである。
 その困る人というのは、
「富裕層や支配者階級」
 というような、
「特権階級」
 と言われる連中だといってもいいだろう。
 つまり、実際には、
「この世は地獄、地獄しかない」
 というのは、
「その人にとって」
 ということであり、本来であれば、それ以外の人であれば、特に、特権階級のようなひとからすれば、
「俺たちにとっては天国」
 と思っていることだろう。
 しかし、あまりにも、一般の人間を迫害しすぎて、自分たちの都合のいい世の中が作れないどころか、
「都合よく動いてくれる人間が減ってくる」
 ということになると、自分たちにとっても、都合が悪いということになるであろう。
 だから、
「自殺は戒律違反」
 ということで、
「自分を殺すのも殺人罪」
 という、実にうまい言い訳をすることになるというわけである。
 だから、
「この世の地獄としての代表的な時代」
 として、
「戦国時代」
 において、
「自害」
 ということで、物議をかもした、
「細川ガラシャの悲劇」
 というのも、問題になるということである。
 また、近代史の中での、
「大東亜戦争」
 を中心とした、日本でいうところの、
「軍閥の時代」
 と言われた時、
「戦陣訓」
 なるものがあり、
「虜囚の辱めを受けず」
 ということで、
「捕虜になるくらいであれば、潔く自分から命を断つ」
 というもの、また、
「武器弾薬も、食料も尽きた状況で、投降するということができない場合の最後の作戦としてあった玉砕という作戦」
 さらには、
「一撃必殺」
 ということでの、
「神風特攻隊」
 であったり、
「人間魚雷回天」
 などという作戦も真剣に取り上げられたりしたのだ。
 確かに、普通の作戦であれば、出撃しても、
「敵の的になるだけ」
 ということで、それなら確実に、
「一撃必殺の効果」
 ということでできる作戦というのは、確率的にも間違っているわけではない。
 ただ、
「人道的に、死ぬと分かっている作戦」
 ということで、反対されるのだろうが、結局、最後は、
「玉砕しかない」
 ということであれば、
「特攻隊」
 というのは、
「玉砕になる前の、起死回生を狙った作戦」
 ということになるわけで、果たして、それを非難できるだろうか。
 なんといっても、時代が時代で、
「死ぬことを恐れてはいけない」
 ということで、世界的に、どこに行っても、戦争をしているということは、逃げてはいけないということで、
「敵前逃亡は銃殺刑」
 というのが当たり前の時代だった。
 そういう意味で、どの時代であっても、
「あの世とこの世」
 というものにはギャップがあり、ただ、間違いないこととして、
「地獄というのは、この世のことだ」
 という考えではないだろうか。
 今の、
「戦争のない平和な日本」
 といっても、これを果たして、
「天国」
 といえるだろうか。
 殺戮という形の戦争がない」
 というだけで、果たして、幸せに生きていける時代なのかというと、そんなことはない。
「殺戮戦争がない時代ということであるというだけで、この世の地獄というものを、誰もが見ている」
 という時代ということでは変わりはないといえるのではないだろうか。

                 それぞれのタイミング

 死んでしまった本人は、
「自分が死んだ」
 という意識はあるようであるが、
「苦痛を伴う」
 ということでの意識があったのかどうかは、正直分からない。
「気が付けば、死んでいた」
 という感覚は、まさにそのままで、ただ、死んだあと、この世に戻れないから、誰もが、
「死んでしまうと意識は続かない」
 と思い込んでいるだけだろう。
 実に都合のいい考えだ。
 だが、この時の彼は意識があったようだ。そして。
「事故に遭った瞬間」
 というのをまるで、テレビ映像のように見えてきているようだった。
「どうして、そんなに鮮明に見れるのか?」
 ということは、その時すぐに、義男には分かったようだ。
「そっか、死んでしまえば他人事なんだ」
 ということであった。
「死んでしまえば、肉体と魂は離れてしまう」
 ということで、
「あの世に行ってしまった人間は、その瞬間から、生前の自分とはまったく違う人物になり、だからこそ、記憶が残っていない」
 ということになるのだろう。
 だから、もし生まれ変わっても、
「自分の前世が何だったのか?」
 あるいは、
「前世の因果が今の自分に付きまとう」
 ということがあったとしても、意識しないということになるのだろう。
 そもそも、
「人から言われないと、前世などという意識は持っていない」
 ということで、それを思えば、
「前世という概念は、人間が都合よく作り上げたものなのではないか?」
 と考えられるというものだ。
「自分が死んでしまうと、すべてがそこで終わり」
 という考えの方が、実際には辻褄が合っているようにも思えるのだ。
 しかし、宗教団体とすれば、
「この世の幸せを与えることはできない」
 ということから、
「あの世」
 というものを作ったのだから、宗教の中に、
「輪廻転生」
 という考えがあり、
「人が生まれて死んでいく」
 という究極の営みというものがあることから、
「人間は、前世というものがあった」
 という考えにしておかないと、
「説法の辻褄が合わない」
 ということになる。
 そこで、死んだ後も、前世を思い出すことができるという考えも、決して無理なものではないだろう。
 それで、彼は、
作品名:夢のあれこれ 作家名:森本晃次