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夢のあれこれ

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「意識というのは、生きているから感じるものだ」
 という常識が邪魔をしているということであり、
「死んでしまえば、何も感じることはないはずだ」
 と思うからだ。
 しかし、これも、前から考えていることであるが、よくテレビで見たり、SF小説などで言われていることとして、
「人間は死んだら、魂だけになって、身体から抜けてしまい、まるで、幽体離脱のようになる」
 という考えが、まるで、
「常識」
 といってもいい感覚で残っていたりする。
 だから、
「魂だけになっても、実態がないだけで考えることはできるのではないか?」
 という思いであった。
 しかも、死んでからの魂の実態を、生きている人間は見ることができないのだから、何を考えたとしても、それは分かりっこない。
 そして、彼が考えている中に、
「死後の世界」
 という概念があるのだが、その概念というのは、
「時系列というものが存在しない」
 という感覚であった。
 つまり、
「思い出したい時に、いつでも思い出すことができる」
 というもので、逆に言えば、
「忘れるということはない」
 というものだ。
 ただ、それも、
「死んでから一定期間だけ」
 というものではないかと思っている。
 そもそも、人間が死んだ時ということで、
「初七日」
「四十九日」
 などということで、
「死んでから定期的なイベントのような期間があるではないか?」
 ということであり、
「何か意味があってのこと」
 ということで、そこに宗教的な思惑が孕んでいるというのは分かってはいるが、だからといって、簡単に無視はできないといってもいいのではないかと感じるのであった。
 だから、いわゆる、このイベントの、定期的な間隔というのは、
「この世とあの世」
 というものを結ぶ上での、通行における、関所のようなものではないだろうかと感じるのであった。
 あくまでも、
「この世でだけ言っている」
 ということであり、
 例えば、
「三途の川を渡るまでの期間」
 であったり、
「死後の世界」
 ということでの、
「天国か地獄か」
 のどちらにいくかというものが決まるまでの待機期間ということで、このイベントの期間が決まっていると考えると、
「辻褄が合う」
 といってもいいだろ。
 しかし、逆に考えると、
「イベントの期間」
 というものを作りたい一心で、本来存在するかどうか分からない、
「死後の世界の分岐点」
 というものを強引に作っているのかも知れない。
 それを考えると、もう一つ面白い考えが浮かんでくる。
 というのは、
「あの世というのは、天国と地獄などという考えがあり、それは、それぞれの宗教によって、考えかたも若干違っている」
 といってもいいだろう。
 そこで、
「あの世とこの世というのが、何かの対照的なもの」
 ということで、まるで、
「鏡に映った世界」
 というようなものであるとするならば、
「あの世に歯、天国と地獄があるのであれば、この世も、別の世界というのがあってもおかしくはないのではないか?」
 という考え方であった。
 そう、だとすれば、この世が、天国なのか地獄なのかは分からないが、もう一つ、
「この世」
 というのが存在していて、そちらには、自分と同じ人間は存在しないということになるであろう。
 ということになれば、
「二つのこの世」
 という考え方として、
「次元の違う世界」
 という考え方とは、若干違うものではないかということだ。
「次元が違う、いわゆる異次元の世界というものは、もう一人の自分が存在している可能性が高い」
 と言われている。
 だからこそ、
「もう一人の自分の存在」
 ということで、
「ドッペルゲンガー」
 というものの発想が生まれるわけで、そして、もう一つの定義としては、
「まったく別の世界ということであっても、時系列と時間というのは同じものだ」
 ということである。
 時間が違っているとすれば、それは、
「次元が違う」
 というわけではなく、
「時系列がそもそも違うことで出来上がった、まるで金太郎飴のような、どこででも切ることができるが、時系列の違いから、まったく違う世界」
 という考え方になるのであった。
 だから、
「もし、この世に別の世界が広がっている」
 ということであれば、
「次元の違い」
 ということではなく、
「時系列の違い」
 というもので出来上がっているという考えではないかということであった。
「この世は一つしかない」
 ということを信じて疑わないというよりも、
「他にある」
 という考えに至らないということから、逆に、
「時系列による、他の世界の存在」
 というものを否定しなければいけないという考えになるのかも知れない。
 それが、
「タイムパラドックス」
 というもので、
「過去に行って、過去を変えれば、未来が変わるので、未来である今の世界は、過去を変えた瞬間になくなってしまうということから、今の世界だけではなく、自分たちの生きてきた証というものまで、消えてなくなってしまう」
 ということになるであろう。
 そう考えると、
「この世が複数存在する」
 ということはありえないともいえるのではないだろうか。
 そもそも、
「天国と地獄」
 という考え方も、今でこそ、どの宗教も当たり前というように言い伝えているが、その発想としては、
「この世で、いい行いをしていれば、天国に行くことができ。悪い行いをすれば、地獄に落ちる」
 と言われている。
 そして、
「天国にいけば、極楽で幸せに過ごすことができ、いずれ人間に生まれ変われることができる」
 というもので、
「地獄に落ちれば、文字通りの地獄の苦しみが待っていて、二度と生まれ変わることがない」
 ということで、その運命は、この世で決まるということである。
 逆にいえば、
「この世で幸せにすることができないので、あの世という架空の存在を作り出すことで、宗教を信じさせる」
 という一種の、
「洗脳」
 ということでの、宗教団体における作戦ということになるのではないだろうか?
 そんな、
「天国と地獄」
 というものが、この世における宗教を広めるための作戦ということであれば、ある意味、誰も見たこともないあの世というのも分かるというものだ。
「死んだら戻ってこれない」
 ということから、
「誰もあの世を見たことがある人はいない」
 というのが当たり前ということで、
「いくらでも、言い訳が利く」
 ということから、太古の昔より、宗教が流行ってきたということである。
 というよりも、
「人間を救う」
 という永遠のテーマがあるのだから、宗教というものが、すたれるということ自体、理屈としておかしいことだといえるのではないだろうか?
 だから、
「宗教というものの都合のいい解釈」
 というものから、まずあの世を作ったことで、今度は、この世が、
「弱肉強食の世界」
 ということで、いかに理不尽といっても、宗教によって、
「この世で、正しいことをすれば、あの世で天国にいける」
 ということさえ信じさせておけば、
「いずれは救われる」
作品名:夢のあれこれ 作家名:森本晃次