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夢のあれこれ

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 ということであった。
 もちろん、警察は、
「加害者と被害者の関係」
 というものを調べるのは、当たり前のことである。
「交通事故を装った、殺人事件」
 ということもあるからだ。
 そういう意味では、
「二人の関係を洗うことくらいは、捜査とすれば、基本中の基本」
 といってもいいだろう。
 じっさいには、一番最初に警察は捜査していて、翌日には、
「二人の間に関係はない」
 ということが判明した。
 とはいえ、
「もし、関係があったとしても、だからといって、必ずしも、殺人事件だ」
 とは言えないだろう。
 本当に、
「たまたま二人が知り合いだった」
 というだけのことかも知れないからであった。
 だったら、
「加害者に被害者を殺すだけの動機はない」
 ということであれば、殺人事件という可能性は薄くなってくる。
 そう、
「二人が関係があった」
 というだけで、
「殺人事件ではないか?」
 と考えるというのは、考えすぎだということになるだろう。
 そういう意味では、
「被害者もかわいそうだが、加害者もかわいそうではないか?」
 ということで、
「交通事故というのは、加害者側も見ようによっては、被害者だ」
 といえるかも知れないが、逆に考えれば、
「事故を起こすにはそれだけの理由があった」
 ということで、
「他のことを考えていた」
 などの理由があったとしても、
「ハンドルを握る立場で、他のことを考えていたから、事故を起こした」
 ということではいけないわけで、それがないように、
「自動車の運転というのは、免許制」
 ということになっているというわけである。
 それでも、交通事故というのは無くなることはないのである。そういう意味では、警察だけではなく、社会的に、大きな課題だということになるのである。

                 「あの世」と「この世」

「俺、このまま死んでしまうんだろうか?」
 と考えていたのは、死を前にして、生死の境をさまよっているという状態であった、
「秋山義男」
 であった。
 彼は、まさに、
「手術台の上という、まな板の上の鯉」
 という状態であった。
 実際には、麻酔を掛けられて、意識がない状態なのに、正直、意識があるというような感覚であった。
 そして、明らかに、今自分は、医者によって、身体を切り刻まれている。ただ、意識はあるのに、痛みは一切感じていないのだ。
 そう、まるで、
「局部麻酔を掛けられている」
 という感覚であった。
 しかし、今の目の前の手術をしている医者や看護婦の殺気立った様子から、
「とても、局部麻酔による手術」
 という感じはしない。
 局部麻酔での手術というのは、過去に受けたことはあったが、まったく雰囲気が違っている。
 実際に、口には、差塩マスクが付けられ、腕からは輸血、さらには、心電図のようなっものがグラフを描いている。
 そう、
「サスペンスドラマなどで見る、救命手術の場面だ」
 ということであった。
 だから、
「死ぬのか?」
 とかなり早い段階で気づいたというのも分かるというものだ。
 実際にこの状況で、意識があるというのは、正直耐えられるものではない。
 となると、
「何か他のことを考えよう」
 ということになる。
 だとすれば、
「何を考えればいいというのか?」
 ということであるが、とりあえず考えられることとして、
「自分がどうして今、こういうことになっているのか?」
 ということを思い出すしかない。
 ということであった。
 最初は、
「思いだそうとすると、頭痛がしてきて、思い出せない」
 という状態であった。
 それこそ、
「記憶喪失の人間が、思いだそうとした時、頭痛が襲ってきて、記憶を取り戻すことができない」
 という場面のようであった。
 だから、
「ちょっとだけ待ってみよう」
 と思い、どれだけの時間が経ったのか分からないが、
「少しは時間が経ったであろう」
 ということを考えたところで、何とか思い出してみようとすると、
「今度は頭が痛くない」
 と感じたのだった。
 ただ、自分の中で、
「時系列で思い出すことができるかな?」
 という思いがあり、さらに、
「時系列で思い出せているとしても、それが本当にそうなのかということを、誰が証明してくれるのか?」
 というところまで考えていた。
 それこそ、
「考えすぎ」
 といってもいいかも知れない。
 いや、どちらかというと、
「自分が信じられない」
 という、
「疑心暗鬼」
 というような感覚になっているのではないかと感じるのであった。
 ただ、そこまで考えると、手術室の中が、さっきよりも、喧騒とした雰囲気になってきた。
 さっきまでは、目つきの怖さだけが目立ったが、今度は、
「リアルさ」
 というものがそこに加わって。
「何か大変なことが起ころうとしているんだ」
 ということが分かった。
 看護婦は慌てていて、医者はさらに目が血走っている。そして、看護婦に対しても、苛立ちから、まるで当たり散らしているかのようであるが、怒られている看護婦も、
「怒られていることに怯えを感じていて、パニックになっている」
 という様子だった。
「これは、怒られていることに怯えているんじゃない」
 と思えた。
「医者が何に怒っているかということを分かっていて、その理由が分かるからこそ、医者の言うとおりにしないといけない」
 ということからの、怯えだということであった。
 そこで感じたのが、
「ああ、もうすぐ、誰かが死ぬんだ」
 ということであった。
 となると、この状況から死ぬというのは、自分しかいないということで、気がついた時に感じた。
「俺はこのまま死んでしまうことになるのではないか?」
 ということであった。
 それが、時系列を飛び越えて、その時の思いに戻ってきたのだ。
 この時は、それまでに感じていた記憶もつながっていて、
「時系列でつながっている」
 ということを改めて感じさせられた気がする。
 というのも、
「普段であれば、時系列というのは当たり前」
 ということなので、逆に、この世界で、時系列を意識したということで、
「死の世界をのぞいているのではないか?」
 と感じるのも無理もないということである。
 これが、
「死の世界だから」
 ということではなく、どちらかというと、
「自分が見たことのない未知の世界」
 ということで、しかも、それは、
「次元が違う」
 ということで、余計に、時系列を感じるということになるのだと思うのだった。
「こんな理論的に考えるなんて」
 と思ったが、
「そもそも、理論的に物事を考える」
 というのは、普段からのことであり、これは、
「自他ともに認める」
 ということで、まわりの人からは、
「変人なんじゃないか?」
 とまで言われていて。本人は、その
「変人」
 というワードこそ、自分にふさわしいということで、
「それこそが、俺の個性なんだ」
 と考えているのであった。
 ただ、今の一つの疑問としては、
「もし、このまま俺は死んでしまうということになれば、今感じているこれは、どうなるんだろう?」
 ということであった。
 つまり、
作品名:夢のあれこれ 作家名:森本晃次