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夢のあれこれ

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「世間の苦しさや、本当の辛さというものを知らないお嬢さんなのではないだろうか?」
 と思っているに違いないと感じていた。
 お嬢様ではないが、確かにまわりの人が感じている辛さを知っているわけではないと思っている。
 というのは、
「人がいうほどの、
「世の中の理不尽さ」
 というものが、よく分からないということからであった。
 だが、実際には、理不尽さというものは分かっている気がする。それは、
「常識というものやモラルが根本にある理不尽さ」
 というものではない。
 あくまでも、
「つかさ本人が感じる理不尽さ」
 ということで、それがまわりの人が
「一番大切にする協調性というものに欠ける」
 ということになり、人から嫌われることになるのだろう。
 そういう意味で、旦那との間のいさかいも、そこからきているのであり、実際には、
「旦那の言っていることが正しい」
 ということになるに違いない。
 しかし、それは、
「皆が認める」
 という、多数決の理論でしかないものであり、理論で考えた時は、どっちが正しいのか分からないというものだ。
 だが、民主主義というのは、
「多数決が最優先」
 ということで、どんなに理論詰めで話をしたとしても、絶対多数に対しては、
「そんなものは屁理屈だ」
 と一刀両断にされると、どうなるものでもない。
 つまりは、
「旦那と私の話は、交わることのない平行線なのかも知れないわ」
 と感じてしまうと、次第に、あきらめの境地というものに至るのであった。
 それは、旦那の方も同じであれば、余計に歩み寄ることは無理というもので、ある程度の時期を見て、
「お互いに離婚を考える時期」
 というものに近づいているのであろう。
 分かっているとはいえ、どちらから何も言わないというのは、
「相手に言わせようとしている」
 ということであれば、どちらも卑怯ということであり、そうなると、
「いよいよ、そのタイミングではないか?」
 と考えるようになったのであった。

                 予知能力

 つかさは、くたびれた人物を見ていると、最初こそ、
「元気づけてあげようかしら?」
 と思ったが、そのうちに、
「やめておこう」
 と感じた。
 マスターも、アイコンタクトで、
「やめなさい」
 といっているように見えた。
 今までであれば、それでも声を掛けていたかも知れない。もっとも、そんな時の半分以上は、
「失敗した」
 と感じるのだが、この時は、
「失敗した」
 とは思わない気がしたのだが、それは、最初から、
「声を掛けることがないからだ」
 ということが分かっていたかのようだ。
 それこそ、まるで、
「予知能力」
 というものがあるかのような感覚であったが、最近のつかさは、
「自分には予知能力があるのではないか」
 と感じるのであった。
 その予知能力というのは、
「夢を見ること」
 であった。
 いわゆる、
「予知夢」
 と言われるようなものであり、その予知夢というのが、どういうものなのかというと、
「その夢を覚えている」
 ということであった。
 そもそも、
「覚えている夢というのは、ロクな夢ではない」
 ということで、
「夢は覚えていたくない」
 と思っていた。
 もっとも、
「楽しい夢」
 というものを覚えていないというわけではない。
 どちらかというと、
「忘れてしまう」
 という感覚である。
 つまり、目が覚めるにしたがって忘れていくのが夢というものであり、忘れずに覚えている夢が、ロクな夢ではないと思うのだった。
 というのも、
「夢を最初から覚えていない」
 ということであれば、
「忘れない夢がすべての夢」
 ということになり、楽しい夢は皆無ということになるだろう。
 しかし、自分の意識の中で、
「もっと見ていたかった」
 という意識が残っている。
 その時は、自分の中で、明らかに、
「このままずっと見ていたいという夢を見ていた」
 という意識があるのだ。
 だから、その夢は覚えているといえる。しかし、目が覚めてしまうと、理論的に覚えていないということから、
「忘れてしまった」
 ということになるのだろう。
 そんなことを考えていると、
「予知夢」
 というのは、覚えている夢ということになり、その夢はろくな夢ではないということから、
「予知夢なんて見たくない」
 ということになる。
 それだけ、その夢は、
「悪い夢であり、現実に起こる」
 ということになるからだ。
 言葉でよく似た意味として、
「正夢」
 というものがある。
 つかさは、その二つの夢を、使い分けている。
 というのは、
「予知夢というのが、怖い夢を見て、それが現実になること」
 ということで、
「正夢というのは、いい夢を見たことが現実になる」
 ということである。
 そういう意味では、
「私は正夢は見ないんだ」
 と思っていたが、本当であろうか?
 というのは、
「正夢というのは、忘れてしまっただけで、本当は見ているのかも知れない」
 と思うのだ。
 ただ、逆に、
「正夢は、叶った瞬間、思い出すのではないか?」
 という思いもある。
 それを考えると、
「結局、叶ったいい夢を見たという意識はなかった」
 ということであるがら、
「正夢を自分が見るということはないのではなかろうか?」
 ということであった。
 ただ、この時、つかさは、昨日見た夢を思い出していた。
 それは、
「自分が車を運転していて、誰かを轢いてしまった」
 という夢であった。
 この夢は、自分の中で、
「やけに生々しい夢だった」
 ということで、
「予知夢ではないか?」
 と思ったのだ。
「夢というには、現実的だった」
 ということであるが、
「内容が交通事故の加害者になる」
 ということであるから、余計に生々しいということである。
 実際に、脂汗を掻いていたというのは間違いのないことで、
「あんなに目が覚めて、汗を掻いていたなどということは、今までになかったことのような気がする」
 ということであった。
 ただ、
「怖い夢」
 というのが、
「ろくでもない夢」
 ということで、
「これこそ、予知夢というものではないだろうか?」
 ということであった。
 そんな時、馴染みのお店で、
「くたびれた男性」
 というのを見かけると、それこそ、
「自分が轢いてしまったことで、その場に横たわっている人物」
 というイメージが浮かんできたのだ。
 いや、
「くたびれた男性」
 というのを、その場で見かけたことで、中途半端に記憶していた夢を思い出すということになったのではないだろうか。
 もっと不思議だったのは、
「夢というと、いい夢であっても、怖い夢であっても、肝心なところで目を覚ます」
 というものである。
 しかし、今回の夢は、
「轢いてしまった」
 というところの印象があり。本来であれば、
「夢はそこで覚めるのではないか?」
 ということであったが、その後、自分がパニックになりながら、救急車や警察に連絡を入れたということも覚えている。
 だからこそ、
「生々しい」
 と感じるのかも知れない。
 この生々しさというのは、
作品名:夢のあれこれ 作家名:森本晃次