詐欺事件のフィクション
というものを繰り返しているようで、
「曖昧な感覚になる」
というものであった。
子供の頃、家の近くで火事があったということを思い出した。
その時の火事というのは、実は、
「友だちが引き起こした火事」
ということであった。
実際に、燃えたのは、
「自分の家だけ」
ということで、他の家に迷惑を掛けなかったというのは、幸いだっただろう。
しかし、家族は少ししてから、どこかに引っ越していったという。それこそ、
「夜逃げ同然だった」
ということであるが、その時、良治は子供心に、
「自分の家だけが燃えたということであるから、そんなに卑屈な思いになることはないのに」
と感じた。
「これが、もし、自分だったら」
と思えば、正直、
「何をどうしていいのか?」
ということは思いつかない・
それは、
「大人になってから」
でも思いつくことではなく、逆に、
「大人だからこそ、子供と違って、ハッキリとした答えを出さないといけない」
ということから、
「大人になっているにも関わらず、何も分からないというのは、それだけで恥ずかしいことだ」
と思えて仕方がないということになるだろう。
だから、
「あの時、テレビに映った、ケミカル工場の火事」
というものに対して、
「懐かしい」
と感じてしまった不謹慎ともいえる感覚は、実は、
「子供の頃に見た実際にあった火事」
という現場を思い出すことになったからということなのかも知れない。
実際に、子供の時の火事は、
「俺も一緒に見た」
というものであった。
そして、
「その一緒に見た」
という相手は、
「その火事を起こした本人である友達だった」
ということである。
だから、後になって、
「火事を引き起こした犯人は、友達本人だ」
ということを聞かされて、実に不思議で仕方がなかった。
なんといっても、
「火事だ。火事だ」
といって、最初に騒ぎまわったのは、ほかならぬ、その友達だったということだからである。
「自分から、叫んで騒ぎ立てる人間が、犯人などであるわけはない」
と思い込んでいた。
というのも、
「自分の意識は、正しい」
という思いがあったからで、
「正しいと思うことは、目の前に起こったことに他ならない」
ということから、
「火事が起こった瞬間、自分の隣にいたのだから、犯人であるわけはない」
と子供心に思ったのだが、よく考えてみれば、
「火事というのは、その場ですぐに燃え上がるというわけではない」
ということである。
次第にくすぶっていて、どんどん、広がっていくということだ。
しかし、良治が、
「友だちが犯人ではない」
と思い込んでしまったのも、無理もないということである。
というのも、
「本当に自分でやったのなら、騒ぎ立てるような真似はしない」
と思ったのだ。
へたに騒ぎ立てると、
「やってもいない」
というのに、まるで言い訳のように感じるということから、騒ぎ立てるのは、得策ではないと考えると、
「騒いだんだから、犯人ではないだろう」
という
「勝手な思い込みからきているものだ」
といえるだろう。
それは、大人になってから分かったことであったが、
「もし、犯人だとすれば、騒いだりして、余計にことを重大にするとすれば、それは、
「犯人が、他に犯人がいると思わせたいから、事件にして、さらに、犯人であれば、騒がない」
という考えから、
「余計な騒ぎを起こす場合は、その人が本当は犯人かも知れない」
ということで、
「トラップを考えられるだけの、頭のいい人間のやることだろう」
と考えるのだ。
まだ子供であり、
「そもそも、自分の不注意で火事を起こしてしまうような男が、そんなトラップを考えられるわけはない」
ということから、
「友だちは犯人であるわけはない」
と思えたのだ。
まだまだ子供であった良治だが、
「子供のくせに、それくらいの理屈は分かるというものだ」
と考えるのは、それだけ、
「大人になるにつれて、自分を納得させようとする気持ちが強いのかも知れない」
ということであった。
それよりも、
「子供の頃は、意識して考えることはないはずなのに、大人になって感じたということを、さらに、子供にさかのぼって感じる」
という感覚は、それこそ、
「記憶というところに封印した意識」
なのではないだろうか?
つまり、
「記憶というのは、自分を納得させる意識というものから、肝心な時に思い出すことができる」
という、
「封印」
というものから出来上がっているということなのかも知れない。
だからこそ、
「記憶の封印」
というのは、
「いたちごっこ」
のようで、
「納得させる意識というものがあったからこそ、封印という形で、後になって、記憶として思い出すことができる」
というものなのではないだろうか?
大人になってから、思い出すという、
「大学卒業の前に起こった」
という、
「ケミカル工場の火事」
というものを思い出すのは、
「何かを納得させたい」
ということであろうが、
「実際には、自分は引っかかることなく、事無きを得るということができた」
という、
「自費出版社系の会社」
というのが思い出されるのだった。
火事による結末
というのは、その時、実は、
「あまり騒がれるということはなかったのだが、自費出版社系の詐欺会社にとっては、大きな問題」
ということで、一部では、騒がれていたのだった。
実際には、
「すでに裁判沙汰になっていて、本を出そうとして騙された被害者と、出版社側の詐欺事件」
ということで、その裁判の行方が問題だったのだ。
実際には、
「作るだけ作った在庫」
という問題であったり、
「金は払ったが、本を作るまでに至っていない」
という人への賠償など、問題は山積みだったのだが、
「それだけではなかった」
ということで、本来であれば、
「火事さえなければ、表に出てしまっていた」
ということの、詐欺グループ側の、
「組織的な隠蔽工作」
といってもいいだろう。
実際に詐欺グループとしては、
「在庫を持っていても、倉庫代もかかるということで、バカになるものではない」
ということから、
「作者に返さない」
といってしまった手前、あとから、
「返します」
とは言えないだろう。
確かに、返せば、
「返された人は喜んで、少しは、対応も違うかも知れないが、そもそも、コロコロと態度を変える詐欺グループ」
ということでは、
「裁判になった時、まったくその言動に信憑性がない」
ということを言われ、結局は、
「裁判において、その立場は、ひどいものであるということに変わりはない」
ということであろう。
だから、
「本当であれば、在庫を返す」
というのが正しいことであり、相手に譲歩したと感じさせるということで、有利になるかも知れないのだが、
「やつらがやったこと」
というのは、その程度のことで、許されることではない。
もうすでに、
「引き返せないところまで来ている」
ということになるのだ。
だからこそ、
作品名:詐欺事件のフィクション 作家名:森本晃次



