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詐欺事件のフィクション

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 実際に、四年生になってからの就活の始まりに、
「残した単位の修得」
 ということで、
「最初の頃に授業に出て、出席を稼がないといけない」
 ということから、
「就活に乗り遅れた」
 ということであったのだ。
 確かに、就活のスタートラインに遅れたのは仕方がないが、そのせいで、そもそも、成績自体もよくなかったので、遅れは、就活としては、
「かなりの痛手」
 といってもよかった。
 そういう意味で、
「四年生の間は、就活と卒業とのジレンマで、かなり精神的にきつかった」
 といえるだろう。
 しかし、
「意外と想像していたよりも、うまくいった」
 といってもよく、
「ただ、その時の苛立ちだけが、なぜかトラウマのように残ったのだった」
 ということであった。
 実際には、
「想像以上にうまくいった」
 というのは、ある意味、幸運だったといってもいいだろう。
 あれから、10年近く経った今となっては、
「遠い過去の思い出」
 といってもいいはずなのに、たまに、今でも、
「就職は決まったのに、卒業できなかった」
 ということで、
「内定も取り消し」
 ということを夢に見たりする。
 実際に、時分でも、
「これは夢だ」
 ということを途中で分かってきていて、
「夢を見ていると思うからなのか、どこか安心する」
 ということであるが、実際のその夢の恐ろしさというのは、
「毎年のように、留年を繰り返していて、最後には、強制退学させられる」
 という夢であった。
 しかも、留年をしている理由というのは、
「毎年、試験が終わってから、自分が学生であるということを思い出す」
 というものであった。
 ただ、夢の内容は、
「今年は、試験前になって、これから試験がある」
 ということを分かっている。
 ということであるが、逆に、
「試験のためんお準備がまったくできていない」
 ということで、
「自分はまだ学生で、行われる試験をパスしないと卒業できない」
 ということが分かっている。
 しかも、
「今回が最後で、今年ダメなら、強制退学」
 ということも分かっているのだ。
「後がない」
 という状態で、いわゆる、
「待ったなし」
 という状態なのに、試験の準備ができていないということで、
「このまま試験を受けても結果は一緒だ」
 ということになるのだ。
 今までの年は、
「試験が終わってから、自分がまだ学生だ」
 ということに気づくということで、
「それだけ甘い気持ちなのか」
 ということを意識する。
 しかし、実際には、最後の年に、
「思いのほかうまくいった」
 ということで、就職も卒業もできたわけだが、トラウマとして残ってしまった感覚が、
「若干甘い」
 と思われる見積もりで、考えてしまうということだ。
 だから、
「まだ、強制退学というところまでは余裕があるところでは、試験が終わって気が付く」
 という、甘い考えにいることになるのだろうが、
「後がない」
 と考えた時、さすがに、
「自分はまだ大学生だ」
 ということを自覚することになるのだが、肝心の準備ができていないということで、結局、それまでの考えの甘さというのも、
「試験というものを甘く考えていた」
 ということが、結果的に、卒業への足かせになったということで、
「卒業と就活、どっちが、自分にとっての鬼門となるか?」
 と考えた時、
「最初から甘く考えていた、大学の試験」
 ということから、結果的に、
「就職は決まっても、卒業できない」
 という夢につながったのだろうと考えるのであった。
「大学時代の思い出というと、学年が進むにつれて、実際の意識と、感覚との間に、その差が歴然となって表れてくる」
 と感じた。
 それが、
「年齢とともに、自分の甘さが露呈して、その差が明らかになってくる」
 ということになるのだろう。
 良治は、
「夢で覚えている」
 というのは、
「怖い夢だ」
 と認識していた。
 楽しい夢というのは、
「このまま見続けていたい」
 というような夢であり、そんな夢に限って、必ず、
「ちょうどいいところで目が覚める」
 というものであった。
 ただ、怖い夢というのも、実際には、
「ちょうどいいところで目が覚める」
 ということで、実際には、
「目が覚めてよかった」
 と思うのだ。
 だからこそ、目が覚めた瞬間を鮮明に覚えているということになるのであって、
「怖い夢ほど、その内容を覚えている」
 ということになるのだ。
 だから、特に、
「大学時代の夢」
 というのは、
「実際とは違う」
 ということになるので、一種の、
「悪夢」
 というものだろう。
 目が覚めると、
「ああ、夢でよかった」
 と思うのであり、しかも、目が覚める間に、
「これは夢なんだ」
 と感じたりもする。
 だから、
「目が覚めた瞬間の感覚は、実際に起こったこととは違う」
 というギャップというものから、
「記憶が鮮明だ」
 ということになるのだろう。
 それを、
「悪夢と言わずになんという」
 ということで、
「実際に見る悪夢というのは、夢が恐怖というだけで、実際には、恐怖でも何でもない」
 ということから、余計に、
「同じ夢を何度も見てしまう」
 ということになるのだろう。
 それを考えると、
「最近、よく見る夢」
 というのは、
「恐怖の悪夢」
 といってもいいだろう。
 ただ、最近思い出したように見る、
「恐怖の悪夢」
 というのは、大学卒業の少し前に起こった、
「ケミカル工場の火災」
 というものだったのだ。

                 ケミカル工場の火災

 テレビが映し出したニュースに映った、
「どこかで見たような」
 と思った光景は、
「大学二年生からアルバイトしていたケミカル工場が立ち並んでいるところ」
 だったのだ。
 その場所は、ケミカル工場といっても、主に、
「靴を作っているあたり」
 ということであった。
 自分がアルバイトをしていた会社から、一つ路地を裏に回ったくらいのところで、すぐに思い出せなかったのは、
「あまり立ち寄ったことのない場所」
 ということだったからである。
 その場所は、
「仕事で行った」
 というよりも、
「食事に行った」
 という方が多かったかも知れない。
 ちょうど、そのあたりに、夜は飲み屋となるが、昼間は、定食を出す店があった。
 職人さんがよくいく店ということで、イメージとしては、昔懐かしの、
「一膳飯屋」
 という雰囲気だったのだ。
 何か一品として、どんぶりであったり、ごはんとみそ汁などを注文し、奥にある、ショーケースから、一膳ごとのおかずを自分で取って、おかずにするというものである。
 値段的には、結構張るが、お腹は十分に満腹になる。
 肉体労働者にとっては、これほどありがたいというものもないだろう。
 特に、
「魚の煮つけ」
 であったり、
「肉じゃが」
 などの、
「家庭料理」
 というのは、人気があった。
 その店に行くのに、よく、その通りには行ったものだった。
 ただ、問題は、そのあたりが、靴屋が多いということで、