小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

限りなく事件性のある

INDEX|8ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 と発見者は言った。
 なるほど、確かに、そんな場面に遭遇し、警察と救急車が来るのを待っている状況は、気持ち悪いだろう。
 実際に、その時は、
「まったく音がしない、まるで真空状態の様子から、警察や救急車が来れば、完全に、その様子が一変するということに間違いない」
 ということは分かり切っているといってもいいだろう。
「一体、どうすればいいんだ?」
 ということで、
「これは、たまったものではない」
 と感じたとしても、無理もないだろう。
 実際に、
「最初の5分くらいは、静寂の中で、吸い込まれそうな感覚に、震えが止まらなかった」
 と思っていたが、そこからは、自分の中で、
「後半だ」
 という不思議な感覚に駆られたことで、すでに感覚としては、
「喧騒とした雰囲気」
 というものが想像ついたのであった。
 だから、自分の中で、
「覚悟」
 というものはできていた。
 最初にやってきたのは警察だった。どうやら、パトロールをしていたようだ。覆面ではない普通の白と黒のツートンカラーの、おなじみのパトカーがやってきた。
 中からは、見覚えのある制服を着た、制服警官を見ると、なぜか、ホッとした気がしたのだ。
 それも、
「喧騒とした雰囲気」
 というものを、自分なりに覚悟していたからであろう。
「パトカーの音の方が、どこか安心する」
 と思ったのは、その後少しして、
「救急車のサイレンの音」
 が聞こえてきたからだ。
 その時初めて、
「パトカーと救急車のサイレンの音が、ここまで違っているなんて」
 ということに気づいたからであった。
 救急車の音の方が、けたたましく、甲高い音に感じる。
 これを、
「それぞれで別々に聞けば分からないだろう」
 と思うからであり、
「パトカーと救急車のどちらが緊急性があるか?」
 と考えると、
「救急車だろうな」
 と、即答してしまうことからであろう。
「生きるか死ぬか?」
 ということであれば、救急車の方が当たり前に緊急性があると思うのは当たり前のことである。
 しかし、冷静に考えると、
「警察がサイレンを鳴らしている」
 ということは、
「凶悪犯を追いかけている場合」
 ということで、
「追い詰められた凶悪犯」
 ということであれば、普通に考えれば、
「何をするか分からない」
 ということになる。
 それこそ、
「まわりの人を無差別に傷つけていく」
 という暴挙に走るかも知れないのだ。
「無差別な通り魔」
 というものが、白昼の繁華街などで発生すれば、
「どれほどの大惨事を引き起こすか?」
 ということを考えれば、確かに、
「極端な例」
 ということになるのかも知れないが、実際に起これば、
「救急車が、命を懸けて救護している」
 ということと、比較に及ばないというほどのことが言えるのではないかということになるだろう。
 だが、この日は、そのどちらでもなかったということで、自分の中で、
「明らかな緊急性」
 ということは、
「救急車のサイレンの方にある」
 と考えたことで、
「その違いを、ハッキリと感じられたのではないか?」
 と感じたのであった。
 それを思えば、
「緊急性というものを、今の自分が味わっていない」
 と、思っていたことを示しているのであった。
 被害者が生きているということが分かると安心ではあったが、苦しんでいる姿を、一人真っ暗な中で一緒にいなければいけないというのは、実におっかないものだった。
「早く救急車がきてほしい」
 とは願ったが、そこから先の喧騒とした雰囲気には、うんざりしたものがあった、
「仕事が終わって、疲れている」
 というのに、明らかに、それどことではなく、へたをすれば、
「俺が悪い」
 という錯覚を覚えさせられそうで、それがいやだったのだ。
 実際に、警察からは、いろいろ聞かれた。
「その場では最善の方法を尽くした」
 というつもりでいたのに、何やら、警察は、そうではないとでもいいたげである。
 それは分かっていたことなので、余計に、うんざりであった。実際に、
「数日は仕事にならない」
 といってもよかった。
 ある意味、こっちも被害者だと言いたいのに、会社は、まるで、
「余計なことを抱え込んできた」
 と言わんばかりだ。
 そんな様子に、
「誰が警察に。協力などしてやるものか」
 と思うのだ。
 実際に、サスペンスドラマなどで、第一発見者などが、警察の聞き取りに、
「うんざりした態度」
 を取っているのを見て、不思議だった。
「市民が警察に協力するのは当たり前で、市民の義務だ」
 と思い込んでいたからだ。
 しかし、実際には、それは、刑事が自分たちで言っているだけで、一般市民は誰も、そんなことは思っていない。
「協力してもらえるだけの態度を警察が示してこその、善意の第三者」
 というものではないだろうか?
 それを考えると、
「なるほど、警察が税金泥棒と言われるのも分かるというものだ」
 ということである。
 ただでさえ、警察には、
「市民にはない権力」
 というものがある。
 それは、本来は、
「税金を払っている国民のために使う」
 というのが当たり前ではないだろうか。
「国家権力を傘に、威張り散らしている」
 というのが、警察だということであれば、それこそお門違いだ。
 警察首脳部は、
「警察の威厳」
 というものこそが、
「市民を守る警察」
 というものだと思っているようだが、だから、
「検挙率が高い方が、警察の威厳を示せる」
 ということで、
「数字というハッキリした形に示す」
 ということに躍起になっているのだろう。
 しかし、そもそも、
「検挙率というのは、起こった犯罪に対しての、解決」
 ということであり、本当は、
「半在が起こらない社会」
 というものを目指すべきではないだろうか?
 つまりは、警察の役目というのは、元来、
「犯罪を未然に防ぐ」
 ということではないのだろうか?
「同じ規模の街で、月に10件の事件が起こっている街と、月に、1件しか犯罪が起こらない街のどちらがいいか?」
 そんなものは、一目瞭然である。
 それこそ、
「治安がいい」
 ということになるのだ。
「治安がいい」
 というのは、
「検挙率」
 というものとは関係がないといえるのではないだろうか?
 その男は、どうやら例の別荘に住んでいたようだ。
「潜伏していた」
 と言えばいいのか、それとも、
「住んでいた」
 と言えばいいのか、正直分からない。
 実際には、
「オーナーも知らなかった」
 ということで、潜伏していたといってもいいだろう。
 襲われたというだけではなく、
「被害者の記憶が失われている」
 ということからも、事件性がかなり大きいということで、警察も無視するわけにはいかない。徹底的な捜査が行われるのは当たり前のことで、当然、別荘に関しても調べられることになる。
 この別荘は、以前に、
「オーナーが貸していた」
 という公の下に住んでいた連中が立ち退いた後、誰かが入るという予定はなかったので、実際には、そのままにしていた。
作品名:限りなく事件性のある 作家名:森本晃次