限りなく事件性のある
「ただで貸す」
という条件付きになるのだが、それでも、
「支出面は賄ってくれる」
ということなので、実にありがたいことであった。
借り手の方としても、
「新たに、他に一から土地を買ったり、建物を建てたり」
ということをするよりも、
「元々あるものを整備する」
というだけで使えるというのであれば、
「よほど利用価値がある」
ということになるのだ。
それが、ちょうど、
「世紀末」
を超えたくらいの時代で、
「バブル崩壊は落ち着いてきたが、だからといって、新しいことを始めるというのは、恐ろしい」
ということで、簡単には、手を出せない時代であった。
だが、
「冒険を少しはしないと、会社の発展はない」
ということで、いかに、
「それまでの経験を生かすか?」
ということが問題ということであった。
だから、
「学者や評論家などの、有識者のいうことはしっかりと考慮に入れる」
ということ。
それらの人材を確保し、
「彼らを頭脳とする」
ということで、いかに時代を乗り越えるかが勝負になると考えられた。
彼らの発想としては、
「いずれ、働き方改革というものが叫ばれる」
ということを考えていた。
実際に、
「個人情報保護」
であったり、
「ストーカー問題」
などという社会問題から、時代は、
「ネットの発展」
という便利なものが出てくることにより、
「詐欺のような手法」
というものが蔓延ってくるということが分かっていた。
ということであった。
だから、
「世間は、個人主義」
ということで、会社に忠義を示すというような、
「昭和の時代」
ではなくなってくる。
バブル崩壊によって、
「それまで、会社に忠義を尽くしてきても、結局は、リストラなどという名のもとに、理不尽にも、簡単に首を切られる」
ということから、
「会社や社会よりも、個人が大切だ」
ということが言われるようになってきたのだ。
それを考えると、
「個人主義というものが中心になる社会がやってくる」
ということになるのであった。
記憶喪失
「個人主義が中心」
というと、
「メリットとデメリットの両方がある」
といえるだろう。
実際に、その両方が、それぞれに、明らかになってくるのが、
「個人主義」
という考えであった。
そのどちらも、
「昭和時代」
というものの、
「いい面」
「悪い面」
というものをそれぞれに、反映している部分といってもいいだろう。
昭和時代の悪いところは、
「会社や社会が中心」
ということであった。
確かに、戦後の民主主義という時代において、
「個人の自由」
というものが、それまでの時代とは比べ物にならないくらいに変わっていったといってもいいだろう。
しかし、それでも、
「中心は、会社や社会というものであり。個人に重きを置けば、秩序が保てない」
ということが言われていた。
だから、昭和時代の会社というと、
「会社の中での秩序や団結が一番」
ということで、いわゆる、
「熱血根性」
の発想であったり、
「会社の考え方というものが、個人の自由を迫害しても、仕方がない」
というものであった。
「上司が会議をしていれば、部下は、仕事が終わって、定時を過ぎていても、上司が戻ってくるまで、帰ってはいけない」
ということがまかり通っていたりしたものだ。
さらには、
「会社の飲み会」
というものは、絶対に参加というのが当たり前であり、今であれば、
「残業手当は出るんですか?」
というのが、当たり前の主張といえる時代であるが、昭和であれば、
「お前、会社や仕事を舐めてるのか?」
といって、叱られるのがオチという時代である。
確かに、昔であれば、
「年功序列」
ということから、
「年長者に逆らってはいけない」
という考えから、
「上司の命令は絶対」
ということであった、
だから、飲み会において、酒を注がれて、
「飲めません」
とはいえない状況である。
つまりは、
「お前は俺の酒が飲めないというのか?」
という、まるで、
「やくざの脅し」
と同じである。
今の時代であれば、
「パワハラ」
と一発認定であるが、昔は、
「年功序列」
という考えからも、逆らうことはできなかった。
つまり、
「会社において、個人の自由などはありえない」
ということであった。
そして、もう一つ問題になったのは、
「男女雇用均等法」
というものである。
「男尊女卑」
という考えが、戦後まではあった。
しかし、民主国家になり、
「基本的人権の尊重」
という発想から、本来であれば、
「男女平等は当たり前のはずなのに、それが普及してきたのが、平成になってからということで、戦後半世紀経ってから」
というまったくの遅さであった。
時代背景として、
「個人主義」
というものは、
「サイバー犯罪」
などから言われるようになった。
それは、
「個人情報の保護」
という観点からである。
つまり、
「詐欺対策」
ということから言われ始めたのだ。
実際にはそれだけではなく、時代的に、
「ストーカー問題」
というのが起こっていた。
これは、
「異性に異常性癖を持ったりした人間が、好きになった異性に対して、無理な交際を迫ったり、嫌がらせをする」
という異常性癖の犯罪ともいえることを行う場合に、
「個人を特定したりして、嫌がらせをしたりしてはいけない」
ということからの問題だった。
だから、
「個人情報保護法」
というのも、
「ストーカー規制法」
というのも、どちらも、似た時期に成立したものであるが、その成立までに、結構時間が掛かったというもの問題だといってもいいだろう。
ストーカー規制法というもが成立するまでに、
「ストーカー殺人」
というものがどれだけたくさん発生したといってもいいだろう。
また、
「個人情報保護」
というものにおいても、
「コンピュータウイルス」
による、個人情報を盗まれるということが横行し、それによって、
「詐欺で金を取られたり、会社が信用を失うということで、会社が倒産する」
という憂き目にあうということが結構あったりしたのだ。
それが、昭和にはなかったが、平成になってから新たな犯罪形態ということで、出てきた問題だったのだ。
これが、
「メリット」
というものであろう。
実際に、
「個人主義」
というもののメリットということで、
「詐欺やストーカーというものを制御する」
ということでのメリットということである。
デメリットとしては、
「昭和の悪しき伝統」
といってもいい、
「集団的な発想による理不尽な考え」
というものが、
「バブル崩壊」
ということにより、
「個人主義的な考え方」
というものが、えてして、バブル崩壊後の体制に見合っているということになるのであろう。
それを考えると、
「どっちがいいのか?」
というよりも、
「いいところどりをするしかない」
といえるだろう。
ただ、今の日本の体制というのは、
「バブル崩壊」
作品名:限りなく事件性のある 作家名:森本晃次



