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限りなく事件性のある

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 というような話を書いて、ベストセラーになった作家もいたのである。
 実際の、
「高度成長時代」
 と呼ばれる時期は、人手不足という問題などから、
「田舎の農村の次男や三男の口減らし」
 という理由も含めたところで、
「集団就職」
 というものもあった。
 確かに、就職難の時代から比べればマシなのかも知れないが、有無も言わせず、住み慣れた田舎から、右も左も分からない都会に連れていかれて、毎日工場でこき使われるということが、悲劇でなくて何になるというのだろう。
 そんな事実も、
「高度成長時代」
 と呼ばれた、表向きには
「日本に活気があった」
 と言われる時代に、個人個人では、どのような悲惨な状態にあったのかということは、
「決して、表に出ない」
 といってもいい。
 それは、
「高度成長時代」
 に限らず、
「どんな時代においても、共通した問題だ」
 といってもいいだろう。
 その問題の一番の課題というのは、
「実際には、まだまだ都会と田舎で貧富の差が激しい」
 ということであるにも関わらず、同じ水準で政府が考えたことによる、甘さというものが大きかったといってもいいのかも知れない。

                 バブル崩壊のせいで

 高度成長期に、この村は、
「ダム建設予定地」
 という話も出た。
 しかし、近隣の街で、
「過疎化が激しい街」
 ということで、本来であれば、ダム建設の第二候補だった町があったのだが、そこが、実際には、
「ダム湖に沈む」
 ということになったのだ。
 なぜ、その候補が途中で変わったのかというと、
「この街に、高速道路が通る」
 という計画ができたからだった。
「高速道路建設予定地を、ダム湖に沈めるわけにはいかない」
 ということからであった。
 第二候補の街は、結構悲惨だった。
 何といっても、
「この土地を確実に、ダムの底に沈めないと、もう次はない」
 ということで、やくざ連中も躍起になっていた。
 なんといっても、公共事業が頓挫してしまうと、二度と自分たちに、公共事業による、
「甘い汁」
 が回ってこないということになるからだ。
 一つうまくいけば、後は、国家も信頼してくれて、そこからのつながりは深くなることで、安定することになるのだが、逆に、一度失敗してしまうと、国家の方も、
「別に他の組織を探せばいい」
 ということで、簡単に見切りをつけるというものだ。
 国家とすれば、
「その見切りのつけ方」
 というものが大変であり、組織そのものに、情けを掛けるなど考えられない。
「一歩間違えると、自分たちが、上司から無能呼ばわりされ、さらなる出世は望めない」
 ということで、
「俺たちは、奈落の底に落ちるだけだ」
 ということになるのだ。
 それが、
「昭和の時代」
 における、
「任侠ややくざな時代」
 というもので、だからこそ、
「熱血根性ものなるものが流行った時代」
 といってもいいだろう。
 今では信じられないような、
「スパルタ教育」
 であったり、
「しごき」
 などという言葉が言われていた時代であった。
 まだまだ、
「軍隊式」
 というものが残っていた時代であり、
「しごきに耐えてこそ、立派な社会人」
 と言われた時代だったのだ。
 だから、大卒の新入社員の研修期間といえば、
「自衛隊への、体験入隊」
 であったり、
「お寺に籠っての、滝行をはじめとしての寺修行」
 などというのが当たり前という時代だっただろう。
 今でこそそんなことをすれば、
「パワハラ」
 と言われ、大問題になるだろう。
「根性がなければ、社会人としては失格」
 などと言われた時代である。
 それは、会社が、
「終身雇用」
「年功序列」
 ということで、
「会社と社員の関係性が、絶対的な関係だった」
 ということが言えるからであろう。
 町工場」
 などでも、結構、集団就職の辛さや、ホームシックなどから逃げ出すという工員も多かったに違いない。
 それこそ、明治、大正における、
「丁稚奉公」
 のようなものだったといってもいいだろう。
 時代が決定的に違うということで考えると、
「明治大正と、高度成長時代というのも、かなり違っているだろうが、高度成長時代と、今の、令和の時代とでも、まったく違う時代背景だ」
 といってもいい。
 特に、過去の
「悪しき時代」
 というものと、今の時代を比べたうえで、今の時代の体制を考えるということで、余計に、その違いというものが、鮮明に分かってくるということになるだろう。
 高度成長時代に、生活水準とすれば、
「不足するものはなくなった」
 ということから、時代は、
「飽和な時代」
 とも言われてきた。
 最後には、バブルとして弾けることになるのだが、昭和と、今の時代というものを比較した時、
「古臭い考え方」
 ということで言われることもあれば、
「古き良き時代」
 と言われることもある。
 それは、時代背景というものが影響しているといってもいい。
「一つは、べブル経済」
 というものが大きな影響を示しているだろう。
「バブル崩壊」
 というものがなければ、ひょっとすると、昭和の時代というのが、
「まだまだ考えかたとして続いていた」
 といってもいいかも知れない。
「熱血根性」
 などと言われるものが、
「美学だ」
 と言われていて、いまだに、やくざが幅を利かせていたり、今のように、
「個人主義」
 という考えが世間を通っているということもないのではないだろうか。
 なんといっても、
「バブルの崩壊」
 というものにおいて、それまで、
「神話」
 と言われていたことが、すべて崩壊したといってもいいだろう。
 特に、バブル崩壊時で有名なのは、
「銀行は絶対に潰れない」
 といわれた、
「銀行崩壊神話」
 というものである。
 だからこそ、
「銀行が行っていた政策に、誰も意義を唱えなかった」
 というわけで、バブル期には、
「事業を拡大すればするほど、儲かる」
 と言われたものだった。
 ということは、まず、事業を拡大させるのに必要なのが、
「資金」
 という問題である。
 利益はあっても、新しい事業を始めるには、別に資金が必要である。そのためには、
「銀行から借り入れる」
 という必要があるのだ。
「バブル経済」
 の時期でもなければ、シビアな会社の経営状況を調べ、基本的には、
「よほどの優良経営であり、そのうえで、利益を出せるだけの強い会社でないと貸し付けはできない」
 ということであるのに、バブル経済では、
「事業拡大すれば儲かる」
 という発想から、
「事業を拡大することができるだけの力があれば、必ずもうかる」
 というそんな神話から、銀行は、こともあろうに、
「過剰融資」
 というものを敢行したのであった。
 それは、
「銀行の儲け」
 というのは、利息というのが基本ということで、利息を少しでもたくさんもらうには、
「たくさん貸し付ける」
 ということが必要である。
 しかし、普通なら、
「リスクを考えれば、絶対に適正価格でしかできない」
 ということであるが、バブル時代の神話で、感覚がマヒしているということからか、
作品名:限りなく事件性のある 作家名:森本晃次