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近未来改造計画

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 ということで、へたをすると、各国政府であったり、国際的な、国家連合のようなものよりも、信じられると思われているのだ。
 その理由は、
「地球は確実に滅んでしまう」
 ということが、今の社会の科学が示す中で、その仮説を立てた宗教団体の話の裏付けを行えれば行うほど、
「宗教団体の信憑性が証明される」
 ということになるのだ。
 ものが、
「地球滅亡」
 というヘビー級なだけに、国家や国際社会も無視するわけにはいかない。
 しかも、
「科学の粋を集めた」
 と言われる、現代最高の研究チームの裏付けも、結果は同じだということで、
「宗教団体」
 というものを、今までの、
「うさん臭い集団」
 ということだけで、無視をしたり、無理やり敵対視というものばかりできなくなってしまったといってもいいだろう。
 だが、
「時代が滅亡に向かっている」
 ということで、悪い方にばかり考えてしまうと、混乱だけで、地球滅亡を待つということになってしまい、それこそ、
「本末転倒ではないか?」
 ということになるであろう。
 世の中において、
「どうせ滅びるなら、それまで、面白おかしく暮らしていこう」
 という考えが強くなってきたというのが分かってきた人が増えてきた。
 確かに、
「滅びるのが分かっている」
 という状態で、
「面白おかしくなど、精神的にできるわけはない」
 と誰もが思うだろう。
 確かに、
「滅亡する」
 ということが確定的だということであれば、何かを考える際に、結局、
「最悪のことしか考えられない」
 というものである、
 しかし、最悪のことばかりを考えていると、ふとしたことで、
「楽しいことが頭に浮かんでくる」
 ということが往々にしてあるものだ。
 それが、
「楽しかった思い出」
 というものを、
「苦しみの中で考えを巡らせていると、急に思い出すことがある」
 というものである。
 その楽しかった思い出というのは、まるで、
「夢を見ている」
 という感覚に近いというものであった。
「夢というのは、楽しいものも、怖いものも両方見ることがある。しかし、どちらを覚えているのかということになると、覚えているのは、怖い夢だったという時の方が圧倒的に多かった」
 ということを思い出していた。
「絶対に、怖い夢しか覚えていない」
 というわけではなく、
「夢を見る」
 という現象は、
「最後まで見た」
 という意識をもたらすことはなかった。
 だから、
「怖い夢であれば、また眠りについてから、続きを見るのが怖いと思うし、逆に、楽しかった夢であれば、もう一度眠りにつけば、その続きを見たい」
 と感じるものであろう。
 しかし、実際に、
「一度目が覚めてしまうと、二度と同じ夢を、しかも、その続きから見るということは、絶対に不可能なのだ」
 ということなのだ。
 だから、
「続きが見れない」
 ということで、忘れてしまいたいと思っていることが、記憶としてではなく、意識として残ってしまうことで、頭の中に残っているのであった。
 それが、
「記憶ではなく、潜在意識として残っていることから、思い出した時の印象が鮮明だというのは当たり前だ」
 といってもいいだろう。
 しかし、楽しい夢というのは、潜在意識に残るものではなく、あくまでも、
「記憶として残る」
 ということで、
「以前に見たことがあったような」
 というほどの曖昧なものだったということになるだろう。
 社会全体が、
「地球が滅びる」
 というセンセーショナルな話題に包まれたが、人間というのは、ずっとひきづっテイクということは、本能的にできないということのようだ。
 つまり、
「人のうわさも七十五日」
 ということで、そんな話題も、
「喉元過ぎれば熱さも忘れる」
 ということになるのだ。
 少しでも、
「過去のこと」
 と考えてしまうと、急に冷めた感情になるのが人間というもので、
「いつまでも、混沌とした時代に生きることができないのも人間だ」
 ということであろう。
 ただ、一度、
「地獄のような発想が頭をよぎったのだから、潜在意識の中に、恐怖として残ったことに間違いはない」
 そう考えると、
「世の中には、それぞれに節目があり、時系列の歪みのようなものが存在し、それがパラレルワールドのような発想にいざなう」
 ということになるのであろう。
 今の世の中では、
「とりあえず、平和な社会にいざなう」
 という節目にあったといってもいいだろう。

                 平和時ロボット

 混沌とする社会情勢の中において、
「地球延命」
 ということが最優先ということで、いろいろな団体が、国家や国際社会レベルで、たくさんの組織が、研究所を作って、大いに研究にいそしんでいたということである。
 しかし、時代は、
「平和な発想」
 という両面を持った時代というものが生まれてきたことで、庶民の生活は、
「以前の平和な時代」
 というものに戻ってきた。
 だが、功を奏してということもあるわけで、それまでは、
「それぞれの国家や、組織レベルでは、自分たちの私利私欲のために、世の中を利用する」
 ということで、
「平和とはいいがたい世界」
 というものが形成されていた。
 なんといっても、
「それぞれの国家であったり、組織には、いつも緊張感を持たせ、それが、自分たちの利益に結びつく」
 ということで、私利私欲を貪っていた。
 そこには、秩序やモラルは、
「あくまでも、自分たちだけの取り決め」
 ということで、
「一般市民には、知られてはいけない」
 というほどに、知られることで、さらに混沌とした世の中になることは、自分たちの利益にならないということで、結果的に、
「自分たちの利益が、表向きの平和な社会」
 ということになるのだった。
「平和な社会」
 というのは、あくまでも、表面上のことであり、
「平和な社会」
 と口では言っていても、
「世界のどこかで必ず戦闘が起こっている」
 ということに変わりはないのだ。
 それを、覆い隠すということはしないのだが、それほど、マスゴミが煽るということはない。
 それだけ、
「平和というものを、基本的に庶民は望んでいる」
 ということであり、国家とすれば、
「時々、マスゴミを煽る」
 ということで、必要以上に騒ぎすぎるということもある。
 つまりは、
「戦争が必ずどこかで起こっていないと困る」
 ということなのであろう。
 いわゆる、
「軍事産業」
 というものが存在し、
「武器弾薬が商売道具」
 ということであり、しかも、それが、国家の重大な資金源ということであれば、
「世の中から戦争がなくなってしまう」
 ということは、
「あってはならないこと」
 ということになる。
 しかし、それをおおっぴらにいうわけにはいかない。だから、
「普段は必要以上に、国民を煽ることはしない」
 ということであるが、
「タイミング的に、必要以上に煽り、戦争を正当化して、軍事産業という、国家の重要産業が活性化しないと、自分たちの私利私欲が得られない」
 ということになるのだ。
 つまりは、
作品名:近未来改造計画 作家名:森本晃次