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近未来改造計画

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 であったり、
「個人の言い訳」
 などというのは通用しない。
 それこそ、
「一致団結することで、社会を正す」
 ということが大切なのだろうが、今までの過去の罪というものから、
「どうしようもない時代」
 ということに入ってきたことで、
「誰も信用できない」
 ということから、結局、
「一人の都合」
 というものが正義という時代になってきたといってもいいだろう。
 しかし、それを、
「個人の都合など、勝手な理屈だ」
 というかも知れないが、結局は、
「最後は自分がかわいい」
 ということになる。
 たとえば、
「お粗末ですが」
 といって、、客にお茶を出すというのが、
「礼儀である」
 というように言われているが、そもそも、
「粗末だと思っているものを他人に出す」
 ということほど、相手に対して失礼なことはないといえるのではないだろうか。
 つまり、
「謙虚な態度を取る」
 というのを、まるで、美学のように考えているが、
 それは、
「正直に生きていない」
 ということを示しているのではないだろうか?
 本当であれば、
「人間というのは、死に直面すれば、他の人を助けようなどとは絶対にできない」
 と思っているくせに、テレビなどでは、
「自分が死んでも、他人を助ける」
 というのを、まるで美学のように宣伝し、
 本来であれば、刑法においての、
「緊急避難」
 のような場合でも、逃げた人間を、
「卑怯者呼ばわりする」
 という風潮があるだろう。
「実に、矛盾した心理であり、理不尽な発想だ」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、
「地球の滅亡」
 というものは、本当に運命なのかということである。
 運命であるとすれば、
「それを甘んじて受け入れるとして、受け入れたうえで、人間がいかに助かれるか?」
 ということを考えるであろう。
 そのためには、
「滅ぶ時に、道連れにならないように、そもそも人類が存在しない状態」
 というのもありではないか?
 という発想は、無理があるといえるだろうか?
 人間は、理不尽を嫌う動物であるが、だとすれば、
「合理性で考える」
 ということであれば、
「運命に逆らわない方法とは、どういうものかと考えれば、自分にかかわりがある人が、最後まで平和であること」
 という考えの何が悪いというのだろうか?
 ただ、この時代において、
「最近になって、実際に地球が滅ぶのは、まだまだ先のことと」
 ということが、ある国立大の研究チームから発表された。
 実際に、その大学の研究チームというのは、
「信憑性のある」
 ということで、定評があった。
 だから、社会はすっかり信じ込んでしまい、特にマスゴミが、
「まだまだ地球は大丈夫」
 ということを言いふらすのであった。
 そもそも、
「地球が大丈夫」
 という発想は、あくまでも、
「まだまだ地球が滅ぶのは先になりそうだ」
 ということで、
「その間に、地球を救う方法というものを、今のうちに探す」
 ということが前提でなければいけないということになるのだ。
 実際に、何もせずに、ただ、今までのようにしていれば、
「ひょっとすると、自然破壊が加速する可能性もある」
 ということであり、何もしなければ、少なくとも、
「今想定されている以上の先は、今の人類に残されてはいない」
 ということになるのだ。
 確かに、あまり煽ってしまい、社会不安を必要以上に煽り、混乱を招くことは、
「一番やってはいけないことだ」
 といえるだろう。
 しかし、
「戒め」
 というものを無視してしまうと、どうにもならない世の中を導くということで、
「どっちに転んでも、いずれは寿命が来る地球。せめて、今生きている人間に、できるだけのことをしよう」」
 というだけのことである。
 そんな中で、
「今生きている時代を大切にする」
 という、今までの宗教とは少し違う考え方が生まれてきた。
 その考えが次第に、仲間を作るようになり、組織となることで、一つの宗教団体のようになってきた。
 そもそも、似たような考えの組織は、それぞれに存在し、最初は、
「どうせ地球は滅ぶのだから」
 ということで、
「少しでも考えかたの違う連中とは、話が合うわけはない」
 と思っていたので、
「地球が滅びるまでは、俺たち独自の考えでいくんだ」
 という組織ばかりが乱立していたということであった。
 だが、実際に滅ぶまでには、想定よりも時間があるということを言われると、心に余裕ができてきて、
「他の組織の話も聞きたい」
 という気になってきたのであった。
 実際に聞いてみると、結構似たような発想が多く、
「せっかくだから、一つの組織になった方が、強力な組織ができるかも?」
 ということから、最初は、
「類似組織」
 という程度で考えていたのだが、実際に、
「吸収合併」
 を繰り返していけば、確かに、一つの大きな組織となり、メリットが大きいように見えた。
 ただ、実際には、
「デメリットが低くなる」
 ということが見えてきたということで、
「組織が小さいと、混沌としたカオスになることで、小競り合いが頻繁に起こる」
 ということであった。
 小競り合いが頻繁に起こってくると、ちょっとしたことでも、不安が増幅してきて、そこまで気にする必要もないことが、大きな問題となって沸き上がってくる。
 特に、社会不安というものが、そもそも、
「地球の滅亡」
 という、壮大なテーマから出てきたものだっただけに、
「大きな話題が、混沌とした世界を作ったことで、収拾がつかなくなってくる」
 ということであった。
 そんな世の中において、
「宗教団体のような組織を作る」
 ということで、
「そもそもの不安は、宗教団体に任せる」
 ということで、自分たちの生活単位での不安や問題を解決するために、小さな組織も必要だということで、
「地球滅亡」
 という共通の、全人類に関わる課題を解決するための、国際社会にとっての、
「宗教団体」
 というものが一つあり、
 その
「下部組織」
 としての、普段の生活の中での、地域であったり、思想、さらには、民族性と言ったものをつかさどるという組織も、それぞれにできている。
 それが、
「中央政府が存在する中で、各自治体が機能する」
 という形の組織ができあがってきたのだった。
 これは、そもそも、
「地球滅亡」
 という大きな問題に、一致団結して立ち向かっていこうという考えから生まれたものだった。
 実際には、その課題はヘビーであり、そんな簡単な問題というわけではないということから、
「世の中は、この時代にいかに対応しているか?」
 ということを、それぞれの立場から考える必要があるのだった。
 これが、
「近未来」
 という時代における考えかたであるが、
 この時代は、ある瞬間から、脇に逸れるというような、ある種の、
「パラレルワールドに流れてきたのではないか?」
 と考えられるのだ。
 実際に、今の時代の研究員、組織の研究チームがあらわしたことだったのだ。
 今の時代において、少なくとも
「宗教団体」
 と呼ばれるものは、
「信憑性がある」
作品名:近未来改造計画 作家名:森本晃次