近未来改造計画
「爆発が起こると、近づいてくる車にまで被害が及ぶ、なんといっても、爆発による爆風と煙で運転が困難になり、前後不覚に陥ってしまう」
ということだからである。
そうなると、事故も次第に悲惨になり、
「死亡事故」
というものや、
「事故によって、後遺症が残る」
という人も少なくないのであった。
元々、
「交通事故を減らす」
というのが目的であったはずのものが、最悪の形で、交通事故というものが引き継がれる形になった。
しかも、
「国家を挙げての大プロジェクト」
ということで、かなりの国家予算が動くことになり、政府の赤字は、どうしようもないところまできたということで、
「このプロジェクトは大失敗」
ということになった。
少なくとも、
「近未来改造計画」
と題され、
「交通問題」
「ロボット開発」
「タイムマシン開発」
という、三つの柱のうち、一番実現性があり、誰もが、
「近未来改造計画」
というプロジェクトの中で、一番現実味があり、短期間で実現可能と言われた、
「交通問題」
というものが大失敗をきたした。
ということは、
「国家に対しての信任が地に落ちた」
といってもいいだろう。
問題は、
「金銭的な予算問題だけだ」
とまで言われていた。
なんといっても、莫大な費用が掛かるというのは分かり切ったことであり、なんといっても、今の交通よりも劣ることは許されず、市民生活を後退させることも許されない。
それだけ、莫大な費用が掛かっていて、
「絶対的な成功」
というのが、
「近未来改造計画」
というものの、第一歩だったのだ。
だから、
「最初に行う、試用期間」
というものを十分にとって、目標である、
「安全性の担保」
というものが、
「血税を使う」
ということでの、国民への説得材料だったのだ。
しかし、それが、まったく正反対の結果を生んだということになる。
これまでの、考えかたをまったく変えなければいけないレベルになったことで、
「いかに国民の信頼を取り戻すか?」
ということが重要になるのだった。
そのためには、
「交通事故の被害者に対しての、十分な補償」
というものが、不可欠ということになる。
もちろん、
「研究の練り直し」
というのも当たり前のことだが、何よりも、今現在の一番の問題として、
「被害者の保護、保障」
という問題が最優先である。
昔にあった、
「原爆被害者」
であったり、
「戦争被害者」
などの問題。
あるいは、
「公害問題」
などの、
「人災というものが分かっているにも関わらず、のらりくらりと裁判を引き延ばし」
なんといっても、
「国家賠償問題で、原告勝利は難しい」
という前例ができてしまったことで、
「国家が司法を操る」
とまで言われたようなことは、今回は通用しない。
へたをすれば、
「これまでの、国家賠償という考え方が、根底から覆り、今まで、のらりくらりと裁判を引き延ばしてきたことが逆に、国に対して不利になるという状況を作り出している」
といってもいい時代がきたのかも知れない。
それこそ、
「自業自得」
であり、
「因果応報だ」
といってもいいだろう。
そして、問題は、
「裁判というのも当たり前のことだが、それ以上に切実な問題」
というのは、
「後遺症が残ると言われた人を、いかに保障するか?」
ということである。
少なくとも、裁判の判例から、
「今回の近未来改造計画によって事故に遭われ、障害という後遺症が残ってしまった人に対しては、国家が死ぬまで面倒を見る」
ということが前例として出来上がったのだ。
それが、判例として成立したことで、
「法律として明文化する」
ということを前提として、判例により、裁判において、
「基本的に、全員、死ぬまでの保障と国が行う」
ということは決定事項となったのだ。
そうでもしなければ、
「近未来改造計画」
というものが頓挫してしまうということになり、それは、今のソーリの公約でもあることから、これを中止したり、大規模な計画変更というのは、
「ソーリにとっては許されない」
ということであった。
今の政府は、
「誰がやっても同じ」
ということで、
「下手にトップが変わると、何をされるか分からない」
ということから、
「一度トップになると、それ以上どうなるか分からない」
ということから、
「一期だけは、とりあえずやらせる」
ということになっているのだった。
ただ、ほとんどは、その一期が満了すれば、次回の総裁選に出馬することはない。
「一期もやれば十分だ」
ということで、最初は、いろいろな野望や信念をもってきたのだろうが、とてもじゃないが、やっていられるものではない。
本人とすれが、本音は、
「半年くらいで、もうたまらないと思っていたのに、国民が辞めさせてくれない」
ということで、
「ソーリになんかなるもんじゃない」
と思うのだ。
最初は、まだ、
「ソーリの椅子」
というものに甘い期待を抱いて担ぎ出されていたが、終わってみると、中には、途中で、自殺未遂をする人がいたりして、実際には、
「これほどの貧乏くじはない」
ということであった。
それだけ、世間はろくなことがないわけで、特に、この時の、
「近未来改造計画」
を公約に挙げていたソーリは、
「ある程度の効果が現れなければ、暗殺計画まである」
ということで、
「逃げることができない」
という状態になったことで、
「民主主義の考えを曲げてでも、ソーリの権限で、計画を形だけでも成功させないと、命がない」
ということになるのであった。
それを考えたソーリは、
「辞めるわけにはいかない」
というのを、あたかも、
「国家プロジェクト」
ということを前面に出し、
「ソーリの椅子にしがみついているわけではなく、あくまでも国民のため」
とはいうが、支持率や、世論調査で、明らかに、八割近くが、
「近未来改造計画」
というものを、
「中止」
あるいは、
「一時凍結」
という意見なのに、それでも、強行しようということであった。
本人とすれば、
「任期の間だけのこと」
ということで、
「次期総裁選の時に立候補しない」
ということで責任を逃れられるというのだ。
ここまでくれば、
「なるほど、歴代のソーリが、一期で次期総裁選に出馬しないというのは、今の俺と同じ立場だからなんだろうな」
ということであった。
それを思えば、
「ソーリというのは、国家元首ではなく、何か裏のフィクサーに操られているだけの、ただの傀儡というだけのことなんだろうな」
ということであった。
だから、
「近未来改造計画」
というものを前面に押し出したという時点で、本来なら、
「この内閣は失敗だった」
ということであろう。
かといって、他の内閣で、
「成功した」
と言われるところもあるわけはない。
消去法ということで、
「誰であれば、被害が少なかったか?」
というのが、総裁選というものになるのだ。
数代前のソーリであれば、
「このソーリは最悪だ」
と思えば、



