近未来改造計画
ただ、それを抑えるということで、当時から、
「メイド型ロボット」
というのがm
「慰安婦」
の代わりに、あてがわれていた。
前述のように、
「一人に一体」
ということである、
だから、
「破壊されてはいけない」
ということで、破壊されないように、
「異次元へ隠す」
ということが、
「戦場でだけ行われていた」
というのは、
「世の中において、異次元という発想は、知られてはいけない」
ということから、
「最高国家機密」
ということになっていた。
しかし、戦場の兵士は知っている。
「いずれ、兵士は戻ってくる」
ということから、
「それまでに、一般市民に、異次元というものをいかに説明するか」
ということが、課題となっていたのだ。
だが、
「それだけ戦争というのは、国家体制の中で、一番大切なことだ」
といってもいいだろう。
ただ、
「そうであるなら、そもそも、戦争以外に問題解決ということはできないのだろうか?」
という考えがあった。
確かに、太古の昔から、
「戦闘による問題解決しかなかった」
といえる。
「軍需産業問題」
ということは今に始まったことではなく、昔からあったということであれば、
「戦争がこの世からなくなる」
ということは、
「ありえないことだ」
ということではないだろうか?
だとすれば、
「戦争ありき」
ということで、他の問題をいかに、最小限に食い止めるかということになるのだろうが、今のところ、解決方法は、
「いたちごっこ」
ということになり、解決に至るということはないのであった。
そんな中で、
「性欲処理ロボット」
と連れて帰ることで、各地において、
「性欲ロボットのカスタマイズ」
というのが行われることになった。
これは国家プロジェクトなので、費用は、ほとんどかからないといってもいい。
そもそも、税金で賄っているということから、戦争に行っていない国民からは、反対意見があったが、国家とすれば、
「出征もしていない連中が何を言っても、それは、甘い戯言でしかない」
ということから、
「甘い戯言」
というものをいう連中にしか、その考えはないといえるだろう。
しかし、それでも、ものが、
「税金」
ということで、
「政府は税金を賄ってくれる連中には弱い」
ということで、
「相手が、税金を持ち出しているのであれば、それに逆らうことはできない」
ということから、
「人情では、逆らいたいのだが、それをすれば、政府の人間ではいられなくなる」
ということになるのだ。
それが、一種の、
「民主主義の弱点」
ということで、
「政府」
というものは、結局は、
「甘い戯言」
から生まれたものではないだろうか?
といえるのだった。
これは、
「政府というのが問題だ」
ということではなく、
「民主主義という体制」
というものを背負った政府ということが一番の問題なのだということになるだろう。
それを考えると、
「世界にはいろいろな主義主張があるが、その代表的な民主主義」
というものが、ほとんどの世の中ということで考えれば、
「戦争などの悪」
というのは、そもそも、その民主主義という考え方から生まれたというものではないだろうか?
といえる。
実際に、今の世の中で、
「メイド型ロボット」
というものを、戦闘員に与えるというのは、その甘い戯言の連中に対して、
「政府は、国民のことを考えている」
ということを示す必要があるということからの考えであり、ただ、これが、
「民主主義の基本」
ということでの多数決ということを考えると、結局、
「税金だけを戦う武器」
とする国民よりも、人情的に、
「元兵士」
と呼ばれる人たちに対して、力の強い政党もあるということから、
「国家としては、メイド型ロボットを支給することは、国家義務である」
ということまでは求めさせたのであった。
交通事故の果てに
そんな時代に流行っていた事故に、交通事故というものがあった。交通事故は昔からあったのだが、それは、近未来である今の時代ならではというものだったのかも知れない。
その頃になると、車というのが、地上の道路を通るというよりも、
「空中に浮く車」
というものが開発され、それによって、
「歩行者と車両の接触事故」
という、
「昔からの永遠の課題」
というものの開発を考えたのであった、
最初は、チューブのような真空状態のところを通すことで、安全性の担保を計ったのであったが、それでも、スピードにはついていけないという問題があった。
「だったら、スピードを緩めればいいじゃないか」
ということであったが、実際には、
「高速道路」
ということで、スピードを遅くするわけにはいかない。
なぜなら、そもそも、
「拘束で走ることができ、歩行者や、他の種類の車両とも接触することはない」
という触れ込みで始まったことだった。
それを今さら、
「高速運行までには、さらなる期間を必要とする」
というわけにはいかなかった。
なぜなら、それだけの改革のための、開発や、道路の整備、さらには、車両の入れ替えと、莫大な費用が掛かっている。
それを政府は、
「百年近いスパンでの回収」
というのをもくろんでいる。
それも、
「道路の使用料」
というものを、国民に取っているのだ。
さすがに、歩行者には取ることはできないが、自転車にまで、
「車両使用料」
というものを取っている。
「もし、車両使用料というものを取らないと、高速料金は、今の百倍の値段にしないと、採算が取れない」
ということからであった。
実際に、
「高速道路の使用料を百倍にされるくらいなら、車両使用料くらいはしょうがないか」
ということであった。
もっとも、燃料費ということで、昔のガソリンに比べれば、今の燃料費は、半額近くになるということもあって、
「車両使用料」
というものを払っても、公共交通機関を使用するよりも、まだマシということであった。
結局、公共交通機関も、道路のような、パイプ型の通路を使う車両なので、結局は、会社が払うということになるわけで、それを考えると、仕方がないといってもいいくらいであった。
当初は、それでも、まだ安全性が保てた。
「どうなものか分からない」
ということで、運転手もこわごわ運転していたからであったが、そのうちに、慣れてくると、それまで道を運転していたよりも、
「運転が簡単だ」
と思うようになっていた。
それは、
「歩行者や、他の車両を意識しなくてもいい」
ということからであった。
だが、それが、運転技術の未熟さにつながり、それまで意識したこともない危険性に気づかないまま、新しい交通システムにて、交通事故の件数が、徐々に増えていったのであった。
最初は、接触事故程度のもので、それも、同じ空間を走っている車同士ということで、そこまで悲惨な事故は起こらなかったが、そのうちに、高速道路で発生するということになると、その二台だけということではなくなってきた。



