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予知能力による抑止力

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 それを考えると、
「そういえば、子供の頃、座席に靴を脱いで座り、他の皆がしているように、表を見たものだったな」
 ということを思い出していた。
 あれから、
「表を見る」
 ということが一番好きになったのであり、あれから、
「どんなに眩しくても、ブラインドは絶対におろさないようになった」
 ということである。
 そのおかげか、
「自分の性質」
 というものの一つが分かった気がした。
 窓の外を気にするということで、
「ブラインドを決しておろさない」
 ということが、自分にとって、どういうことを意味しているのかというのを、高校生になって、
「やっとわかった」
 と感じたのだ。
 それがどういうことかというと、
「俺は、閉所恐怖症なのではないか?」
 ということであった。
「動いているものの中にいる時、外が見えないと怖い」
 ということである。
 つまりは、
「ブラインドを下ろすということはそれだけ眩しいということであり、その眩しさから、光と影というものが生まれる」
 ということであった。
 動いているものであれば、その光と影というのは、必ず、動作を示すものであり、それがまるで影絵のように見えることから、
「想像力が豊かであればあるほど、どのように見えるのか分からない」
 ということである。
 それが、恐怖ということになり、
「正体不明」
 というものに対して、必要以上な恐怖を感じさせるということは、
「俺は、この恐怖の中でずっといたんだ」
 ということから、自然と、虐められるようになっても、自分の中で、
「俺だったら、いじめられてもしょうがないか」
 というような、理不尽なことであっても、納得できるということで、
「あきらめてはいけない」
 と思うくせに、自分に対しての説得というものができるということで、
「いじめられっ子」
 ということに対して、必要以上に、自分を苛めるということのないと思うのだった、
 だが、最近では、
「虐められることが快感となっているのではないか?」
 と感じるようになると、
「物足りなさ」
 というものが出てくるようになり、どこか、
「予知能力のようなものが出てくる」
 と感じるのだが、それは、
「予知能力」
 というものではなく、どちらかというと、
「状況判断」
 というものからくる、
「先読みの能力」
 というものなのではないかと感じるのだった。
「予知能力」
 というものを、一種の、
「超能力」
 というのだとすれば、
「先読みの力」
 というのは、
「潜在能力」
 ということになるだろう。
 超能力というのは、備わっているだけで、後は、それを発揮するだけの環境が整うかどうかということが問題である。
 逆に潜在能力というのは、それを発揮するためには、自分の中で、努力のようなものが大切ということであり、
「超能力というのは、天才というものであり、潜在能力というのは、秀才になるために、備わっているもの」
 ということではないかと思うのだった。
 だから、
「秀才というものには誰もがなれるが、天才には、もって生まれた才能がない限り、使えない」
 ということだ。
 しかし、
「超能力というのは、それを使うための、さらなる才能というものが必要であり、それは、秀才でなければ、使うことができない」
 と考えると、
「天才というのは、秀才でなければ、能力を発揮することはできないが、秀才というのは、最初から秀才である必要はない」
 といってもいいだろう。
「人間というのは、何がきっかけで、先に進むことができるか分からない」
 といっていいかも知れない。
 ある意味、
「そのきっかけをつかむ」
 ということが、実は天才的ということで、
「運も実力のうち」
 ということを言われるのは、このことになるのではないかといえるのではないだろうか?
 それを、
「連鎖反応」
 という言葉で考えるとすれば、
「やはり、この日の出来事から考えられることではないか?」
 といえるであろう。

               さらなる悪魔

 電車の中で、いつものように、車窓から、表を見ていたが、
「毎日代わり映えのしない景色」
 と感じることは一度もなかった。
 確かに、
「閉所恐怖症」
 ということで、いつも表を見るということに変わりはないのだが、なぜか、
「飽きる」
 ということはないのだった。
 飽きが来るということを感じてしまうと、それまでのマンネリ化した状態を、別に悪いとは思わないという感覚を、一変させてしまうといってもいいだろう。
 表を見ていて、
「毎回同じ風景だ」
 ということが苦痛になってくると、それを解消させようと考えた場合、一番に感じることとすれば、
「いつもと環境を変えるしかない」
 ということになる。
 まず最初に考えるのは、
「通学の時間をずらそうか?」
 ということである。
「これ以上遅くすることはできない」
 ということで、なぜなら、
「これ以上遅くすると、どんどんラッシュが厳しい時間になる」
 ということである。
「だったら、もっと遅い時間に」
 ということにしてしまうと、今度は、
「学校に遅刻する」
 ということになる。
 それでは、
「本末転倒だ」
 ということであり、後考えられることとすれば、
「今よりも早く家を出る」
 ということである。
 確かに、そうすれば、今ほどの通勤ラッシュの時間に絡むことはなく、
「もう少し、電車の中でも余裕がもてるだろう」
 ということで、一度やってみたことがあった。
 実際には、いつもより、20分早く家を出ることにしたのだ。
 親とすれば、
「どうした風の吹き回し?」
 ということになるのだが、
「早起きをして、早く学校にいこうという態度は決して悪いことではない」
 といえるだろう。
 むしろ、
「いいことだ」
 ということであり、それ以上は、余計なことを考える親ではなかった。
 もっとも、
「余計なことを考える」
 というような親であれば、
「子供がいじめられている」
 ということや、
「脅迫されている」
 ということに対して、実際に、そこまでとは思わないまでも、
「何かおかしい」
 ということくらいは普通に気づくというものであろう。
 それを考えると、
「却ってよかった」
 と感じるのだ。
「本来であれば、親にも誰にも気づかれたくない」
 と思うからであり、本当は、
「助けて」
 という、無言の訴えをしていた時期があったのに、気づいてくれないことに対して、
「それならそれでいい」
 と思うようになったのだ。
「足がつった」
 という時、まわりの人に知られたくないという感覚が生まれるということがあるのを感じたことがあるという人は結構いるだろう。
 というのは、
「足が痛いということをまわりに知られると、余計な心配をされ、その表情がいたたましいと感じるようになると、マヒするような感覚で、そのまま収まるのを待てばいい」
 と感じている時に、余計なまわりからの、
「痛々しい」
 というような表情を浴びせられると、却って痛みがぶり返してくるということになることから、
「知られたくない」
 と思うことだろう。
 これは、
作品名:予知能力による抑止力 作家名:森本晃次