予知能力による抑止力
本来であれば、
「相手の方が、逃れたい」
と思っているはずだ。
その思いが分かるからなのか、
「決して逃してはいけない」
という発想があるのだ。
その発想というのが、
「自分の中の、バランスと距離感」
というものに結びついていき、やがて、それが、
「芸術的な発想」
に至る何かを求めているように思えてならないのであった。
そんな中で、じっと、佐土原を見ている中で、
「佐土原が何をするのかが分かる」
と感じるようになってきた。
「何をしようとしているのか?」
ということではない。
それであれば、
「佐土原の性格から、行動パターンが分かる」
ということになるのであろうが、そういうことではなく、
「俺には予知能力のようなものがあるのでは?」
と感じるのであった。
そういう委員で、
「佐土原がどういう人間なのか?」
というのは分からない。
分からないが、
「何をしようとしているのかが分かる」
というのは、そもそもの、
「人と関わりたくない」
ということから、人の性格を読み取ることができないのは当たり前のことであろうが、だからこそ、
「予知能力のようなものが、自分の中に備わっている」
ということになるのだろうと、感じるのだった。
それが、
「鈴村という男の本質ではないか?」
と考える人がいて、それは、鈴村本人ではなく、実は、佐土原でもないのだ。
今まだ、その人物は出てきていないが、すぐに登場することになる。
それは、
「鈴村が知り合った」
というわけではなく、
「別のルートからだどってくることになる」
ということであるが、
「それはあくまでも、たどってきたことが、偶然ということになるのかどうか、この時点では誰にも分からない」
ということである。
そこに、何か、
「目に見えない連鎖」
のようなものがあり、実は、
「佐土原も鈴村も、感じていた」
ということであった。
もちろん、
「相手が同じことを感じている」
などということは、考えもしない。
特に、鈴村はそうであろう。
今の時点で、特に鈴村が、
「一番自分のことを分かっていない」
と思っていたのであるが、逆に、
「一番分かろうとしていた」
という人間なのかも知れない。
連鎖反応
いじめられっ子であることから、脅かされることになってしまった佐土原であったが、彼の人生が変わってしまうことになるのは、鈴村に脅迫されるようになってから、数か月が経ってからのことだった。
それまでは、
「どうして、俺ばかりがこんな目に遭わなければいけないんだ?」
と、世の中を呪っていた。
確かに、
「苛めに合っている中で、さらに脅迫までされる」
というのはたまらない。
脅迫を受ける原因となった万引きというのも、そもそも、苛めっこ連中にたきつけられて、やりたくもないのにやらされたことだったはず。
本来であれば、いじめっ子連中が脅迫されてしかるべきなのに、佐土原は、その事実関係を、脅迫者である鈴村に白状しようとは思わなかったのだ。
理由としては、
「もし、それを話しても、問題の解決にならないどころか、一歩間違えれば、さらにひどい結果になりかねない」
と感じたからで、
なぜなら、
「そもそも、自分が脅迫されるというのが理不尽」
ということで、それこそ、
「世の中、思うようにいかない」
と思えば、感じたことや思ったことを、いきなり何も考えずに行うのが怖いということになる。
しかも、相手の鈴村が、
「どこか、人と関わることを嫌だ」
と思っていると感じていたので、人と関わることを陽動しているようで、却って、相手を怒らせる結果になるということを恐れてもことだった。
いじめられっ子というのはえてして、その防衛本能から、相手の性格というものに対して、結構気にするということがあるといってもいいだろう。
それを考えると、今回の今までの登場人物は、
「相手のことを分かる」
であったり、
「予知能力のようなものが備わっている」
ということで、
「他の人よりも長けている」
ということを感じさせるものがあるようだった。
それも、それぞれにだけ感じることであるが、それは、
「お互いの立場関係が、ハッキリしている」
ということからくるものだといってもいいだろう。
そんな二人のうちの佐土原の方で、最初に、そのバランスや平衡というものが崩れてきたというのは、ある意味、
「必然だった」
といってもいいかも知れない。
一つには、
「いじめっ子たちの興味が、自分から薄れていく」
というのが分かってきたからだった。
いわゆる、
「飽き」
というものが出てきたのかも知れない。
どんなに楽しいことであり、簡単にやめられないという、
「中毒性のあるもの」
といっても、
「薬の効果」
のようなものでなければ、しょせんは、根拠のない興味というものは、次第に薄れていくというのは当たり前のことだといってもいいかも知れない。
だからこそ、佐土原としても、
「どうせそのうちに、いじめはなくなってくる」
という意識は持っていた。
これも、実際には根拠のないものではあったが、連中を見ている限り、
「自分を虐めているのは、中毒性とはいっても、興味がなくなれば、すぐに離れていく」
ということを感じさせるものだった。
それは、
「目を見ていれば分かる」
というもので、
「苛めというものをしている時に、恍惚とした表情があるわけではなく、どちらかというと、その目は正常だった」
といえる。
それこそ、いじめの中に、
「苛めこそが最優先」
という意識を持っていれば、自ずと、
「恍惚の表情」
というものが浮かんでくるわけであり、それがまるで、
「狂犬」
のように、口元から涎が誰てくるかのような状況であれば、その恐怖から逃れられないという表情にこちらもなることで、
「結局は離れられない関係」
ということになることだろう。
へたをすれば、虐められている方も、その快感を味わうようになり、まるで、
「SMの関係」
という異常性癖というものになってくると、別の意味で、離れられなくなってくるというものだ。
だが、そうなると今度は、
「脅迫者というものも、仲間に引き入れよう」
とするだろう。
それは、
「虐める側」
からではなく、
「いじめられる側」
という、佐土原が望むことになる。
そうなってくると、
「もう、自分たちにはついていけない」
ということで、いじめる側の方から、自分たちで去っていくという行動に出るだろう。
そうなると、完全に立場は逆転し、
「脅迫者が、佐土原というサディストに操られる」
ということになりかねない。
もっとも、この可能性は、かなり低いところにあり、
「よほどのうまいタイミングでなければ、ないことだろう」
と思うのだが、佐土原の中で、
「容易に想像ができる」
と感じることで、この関係が、
「決して、不可能ではなく、信憑性という意味では、十分にありえることだ」
と最初から考えているということが、逆に、
「一般的な可能性」
作品名:予知能力による抑止力 作家名:森本晃次



