予知能力による抑止力
というのが悪いことだとは言わないが、
「だったら、年金支給を、定年が65歳までということを義務付けてからでもいいのではないか」
ということである。
残酷な行動
政府とすれば、いろいろな言い訳をするのであろうが、そもそも、
「自分たちの金ではない」
ということで、
「外国の戦争をしている国に、人道支援という形で寄付しているのであれば、音元は、国民の税金なのだから、本当であれば、国民を救うのに使うはずだという当たり前のことがどうしてできていないのか?」
ということになるだろう。
「まるで、政治家がいじめの扇動をしているようなものではないか」
といってもいいかも知れない。
そもそも、
「戦争をしている国に援助する」
というのは、国際法上においては、
「援助した国を擁護している」
ということで、
「同盟国扱い」
といってもいいだろう。
だからこそ、戦争というものには、
「宣戦布告」
というものが必要だということになるのだ。
これは、
「世界中の国に、自分たちが戦争をしている」
ということを宣言し、第三国の立場を鮮明にさせるという目的があるのだ。
つまりは、
「どちらかの国に援助する」
要するに、
「同盟状態」
ということにする場合であれば、戦争を行う相手国とすれば、
「敵国扱い」
となったとしても、それは当たり前のことだといえるだろう。
「敵対している相手の同盟国」
ということであれば、当然、その時点で、
「敵だ」
ということになるからだ。
だが、実際には、
「自分たちは、どちらの国にも加勢をすることはなく、あくまでも中立の立場を保つ」
ということであれば、
「どちらからも攻撃されることはない」
ということで、
「国際法上、戦闘から守られる」
ということになるのだ。
日本の場合は、
「憲法9条」
によって、
「自衛のため以外では、攻撃をしてもいけないし、戦争に参加してはいけない」
ということになっているので、
「戦争状態にあるどちらかの国に対して、国連を通して非難声明を出す」
ということくらいは許されるだろうが、国が危機に陥るような、片方の国を擁護するなど、本来であればありえないわけである。
つまりは、
「敵対する相手からすれば、日本は敵だ」
ということになり、攻撃目標にされても、文句がいえないということになるのだ。
しかも、
「自衛のためにしか戦闘ができないのであるから、危険が迫っているということを予知したとしても、先制攻撃はできないのだ」
これは、
「武器を持たずに、戦闘地域に入り込むのと同じくらいの暴挙」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「まるで、虐められるための行動をしている」
ということで、まわりの国からも支持を受けることはないだろうから、本来であれば、
「カネを与えて、守ってもらう」
ということであれば、まだ理屈は分かるが、
「カネを与えるということで、戦争における殺し合いの武器を供与しているのと同じことだ」
ということになる。
「戦争放棄」
を憲法の理念とする国の行動とは、もはや思えないといってもいいだろう。
実際に、その供与した金は、元々は、国民の税金である。
苦しんでいる国民を見て見ぬふりをしながら、
「戦争のための武器を買うために、戦争している国に金を与え、結局は、自分たちが攻撃される口実を与える」
というほどのことを、
「どうして、国家主席といってもいい人が分からないというのだろうか?」
ということである。
そんなことを政府がしているようでは、世間においての、
「いじめ問題」
であったり、
「コンプライアンス問題」
というのが、根本から治すことなどできるはずもない。
「表面上だけのものを見せられて、それを信じるというような、簡単に騙される国家主席」
ということで、国民の笑いものになることであろう。
数年前までは、
「今のソーリが変わればいい」
ということで、
「ソーリが変わりさえすれば、世の中が変わる」
と言われていた時代があり、
「世論もマスゴミも、首相の退陣」
というものを煽り立てたりしていた。
しかし、ここ最近のソーリに対しては、その見方が少し変わってきているようだ。
というのは、
「ソーリを悪くいう」
ということはあるが、実際に、直接退陣を求めるようなほど、ひどいやり方はしない。
だから、
「とりあえず、任期の間は最後まで勤める」
ということが多くなってきたのだ。
というのは、
「ソーリが変わればなんとかなる」
という考えではなく、逆に、
「ソーリが変わっても、何も変わらない」
ということを、国民が分かってきていて、それどころか、
「ソーリが変われば、どんどん事態が悪い方に向かう」
ということで、
「それだったら、今のソーリの方がましではないか?」
という考えになるのだ。
だから、国民も、
「政治に興味をもたなくなる」
ということである。
その証拠として、そもそも、
「政府の暴走を防ぐ」
ということとして存在しているはずの野党であるが、その力は次第に衰えてきている。
実際に、
「今の政府与党であれば、野党がしっかりしていれば、政権交代も可能ではないか?」
と言われているにも関わらず、実際にやっていることは、
「真剣に政権を取りに行っている」
というわけではないのだ。
というのが、
「政権を取るには、野党が一致団結し、地域で野党同士が競合しないように、協力しあってこそ」
というのが、選挙戦ということのはずなのに、
「野党は自分たちで独自に候補者を立てる」
ということをするので、
「野党同士でつぶしあう:
ということで結局は、
「与党の圧勝」
ということになる。
もちろん、
「政治思想の方針が同じではないから、別々の党になっているわけで、自分たちを主張したい」
というのは当たり前であろうが、
「真剣に政権を取り、政治に参画し、自分たちの考えで国をよくしよう」
という気持ちのない政党を、国民の誰が支持をしようというのか。
つまりは、
「政府与党には投票したくもないが、かといって、野党が政権を取れば、この国は終わりだ」
と考えている人が多いということで、
「選挙にいっても入れるところがない」
ということで、
「選挙に行かない人が増える」
ということであろう。
そうなると、
「投票率が下がる」
ということになり、結局、
「与党が大勝する」
ということで、
「結局何も変わらない」
ということになるので、実際には、
「マスゴミだけが騒いでいる」
という構図になるであろう。
「今の時代は、昭和の頃のような露骨ないじめであったり、しごき」
というものはない。
実際に平成に入ったことの苛めというのは、
「昔は、そんな陰湿なものはなかった」
と言われていた。
「腹を割って話をすれば分かってくれる」
と考えられていた時代で、だからこそ、
「熱血根性」
というものが、もてはやされた時代だったのだ、
だが、
作品名:予知能力による抑止力 作家名:森本晃次



