予知能力による抑止力
というものがあるということである。
というのも、
「鬱状態」
というものを抜けると、すぐに、
「躁状態に入る」
ということで、
「躁状態に入ると、何でもできる」
と思うようになる。
「鬱状態」
であれば、億劫や面倒くさいという感覚から、
「何もできない」
と思っているのだが、躁状態に入ると、今度は、
「今なら何でもできる」
と思い込むことから、
「実際には危険な状態に陥る」
ということが考えられるというものだ。
「一つには、鬱状態の時には、思ったとしても、とても精神的にできなかったということで、
「今なら、自殺もできるのではないか?」
と思い込み、
「自殺に走る人もいる」
ということである。
つまりは、
「躁状態の時ほど、自殺する可能性が高くなる」
ということで、実際に、双極性障害において、自殺が多いのは、躁状態の時だということであった。
まわりの人も、躁状態になると、
「これで大丈夫」
と勘違いすることで、油断してしまい、自殺を止めることができなかったというのが、問題になったりするのであった。
そして、もう一つの問題は、
「躁状態になれば、まわりも、これで治った」
と思うことで、本人も、治ったと勘違いしてしまい、
「医者から処方された薬を飲むのを辞めてしまう」
ということになるのだ。
「本人の勝手な判断で薬をやめたりしないでください」
ということは、医者は最初に警告するだろうが、そもそも、
「精神疾患」
という状態の人なのだから、勝手な判断をしてしまうということはありがちなことで、結局、
「やめてしまえば、さらに病状は悪化する」
ということで、医者とすれば、
「まさか、薬をやめている」
とは思ってもいないだろうから、
「どうして悪化するんだ?」
と、不思議に思うのは当たり前だ。
本人が勝手にやめているのだから、それも仕方がないといえるが、本人も、
「勝手にやめたことを医者に告白するだけの勇気もない」
実際に、
「薬というのは、大なり小なり副作用というものがある」
というもので、
「薬をやめたとたん、副作用に苦しめられていた部分を、それが副作用だとと分かっていなかった場合」
ということで、
「薬をやめたことで、身体の調子がよくなった」
と思えば、それが逆に、
「本当に治ったんだ」
と思い込んでしまうかも知れない。
へたをすれば、
「通院すらやめてしまうかも知れない」
しかし、実際に、次第に病状は悪化していき、しかも、それが、元々の病気の悪化という自覚がないことでの問題なので、さらに、悪化は否めないといえるだろう。
実際に医者に行ってみると、
「かなり進行している」
ということで、実際に、かなりの期間掛かって、治してきたものが、
「あっという間に、逆戻り」
ということで、
「医者の落胆」
もさることながら、問題は、
「患者が、どうしていいのか分からない」
という精神状態に陥ることであろう。
とにかく、一度は、
「治った」
と思い込んでしまったのだから、
「また病気がぶり返した」
ということになったとしても、それは、自分にとって、無関心にさせられることであったり、
「誰を信じていいのか?」
という、
「本来であれば、自分が悪い」
ということを分かっていないのか、それとも、
「先生のいうことを認めたくない」
という思いから、余計に、
「自分の殻に閉じこもる」
ということになりかねないと言えるのではないだろうか?
精神疾患と呼ばれる病気は、本人が、
「どこまで自覚できているか?」
ということが大切ではないだろうか。
そのためには、
「まわりの協力」
というのも大切なことであり、特に昔などであれば、
「精神疾患」
というと、
「精神病」
などと言われ、
「差別の筆頭」
と言われていた。
しかし、そんな差別に対しての問題も、時代とともに、問題視されるようになり、差別もどんどんなくなっていったといってもいいだろう。
だが、まだまだ差別体質がなくなっているわけではない。それでも、社会体制として、
「コンプライアンスの問題」
ということで、
「精神疾患に陥る原因」
というものが、まわりからの圧力などが原因ということで、へたをすれば、
「誰もがいつ精神疾患に陥っても不思議ではない世界」
というのが、今の時代だといってもいいだろう。
「セクハラ」
「パワハラ」
「モラハラ」
などという言葉で、会社などでは、それらの問題が、大きく言われるようになったきた。
昭和の時代では、当たり前のようにあったことが、今の時代になると、
「絶対にあってはいけない」
ということになってきているのである。
ただ、それでも、なかなか、精神疾患の人が減るということはない。
むしろ、
「増えている」
といってもいいかも知れない。
それは、世間で、
「コンプライアンス」
という問題が叫ばれてはいるが、その問題を探し当てて、対処するのは、人間だということである。
実際に、
「コンプライアンス違反:
ということで、今でも社員を苦しめている会社があるのも事実であり、だからこそ、
「ブラック企業」
などという話が出てきているのだ。
最近、よく言われるようになってきたのは、
「定年退職時による、人員整理」
という話である。
今、
「年金の支給というのは、基本的には65歳から」
ということになっている。
「繰り上げ支給」
ということで、
「60歳からもらうことができる」
ということであるが、実際には、60歳からもらえば、その金額は65歳からもらうよりも、3割くらい低いということらしい。
「65歳からもらえる金額でも、実際に働かずに暮らしていける保障がないくらいなのだから、60歳からもらってしまうと、働けなくなったら、暮らしていくことが本当にできない」
ということになる。
実際に、
「60歳から年金をもらうと、その額は、生活保障でもらえる額よりも低い」
と言われるほどなので、
「生活保護」
というのが、
「生活水準の最低限」
ということであることを考えると、
「働かないと暮らしていけない」
ということになる。
しかも、今は、皆働くという風潮なので、実際に、働きたいと思っても、
「職がない」
というのが現状である。
「人手不足」
と言われるところがあるのに、
「職がきまらない」
という人がいる。
これは、
「職を選ぶから決まらない」
と言われればそうなのかも知れないが、高齢者となれば、できる仕事も限られてくるというわけだ。
雇う方も、
「高齢者では無理」
ということで、なかなか採用に至らないということになるのだから、
「これほど理不尽なことはない」
ということである。
そもそも、
「年金が65歳から」
ということなのだから、
「定年も65歳まで」
ということにしなければいけないはずだ。
それを、
「企業に対して、努力義務などという甘い制度にして、結局は、失業者を世間に溢れさせるということになるのだ」
世の中というものが、
「個人よりも、企業」
作品名:予知能力による抑止力 作家名:森本晃次



