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予知能力による抑止力

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この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年10月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。

                 プロローグ

 あれは、まだ高校時代だったので、今から4年前くらいのことだっただろうか。佐土原という男は、いじめに遭っていた。
 とはいえ、そこまで陰湿ではなかったのが幸いだったのか、引きこもりということにはならなかった。
 しかし、それでも、学校に行くのが憂鬱で、実際には億劫だった。
 それでも、引きこもりとなって、家族に虐められていることを知られるのがいやだったのだ。
 それは、
「家族に心配を掛けたくない」
 というのが理由ではなく、どちらかというと、
「余計な心配されるのが、億劫だ」
 ということからであった。
 とにかく、まわりから、余計な詮索をされたり、傷口をいじくられたりするのがいやで、それくらいなら、
「一人で虐めに耐えている方がいい」
 と思っていた。
 実際に、
「そのうちに、飽きて苛めなんてやめるだろう」
 と思っていたからだったが、意外としつこいもので、なかなか苛めがやむということはなかったのだ。
 中学時代には、自分に対して苛めのようなことはなかったのに、なぜ、高校生になってからこんなことになったのか分からなかったが、その理由は、
「高校に入ったから」
 ということであった。
 高校に入ったことが直接的な理由ではなく、単純に、
「中学時代のターゲットが、別の高校に行ってしまった」
 ということで。別のターゲットを探していたところ、その白羽の矢が、佐土原に当たってしまったということである。
「なんで俺なんだ?」
 とも思ったが、
「まだ、陰湿ではない分マシだ」
 と思えばいいとしか考えられなかった。
 他の苛めというと、本当に理不尽で、犯罪まがいのことをさせられるなどというのは当たり前のことで、しかも、数人が束になっての苛めなので、なかなかやまないというのが、当たり前と思っていた。
 しかし、佐土原を虐めているやつは、3人だった。他の苛めというと、いくつかの苛めグループがあり、先生や大人に分からないように、うまく苛めグループの間で、協定のようなものが結ばれているのか、団結しているように思える。
 虐められる方とすれば、たまったものではないが、だからといって、どうすることもできないのは、忌々しい限りであろう。
 佐土原を虐めている連中はm一つのグループだけで、そこから、苛めグループが派生することはなかった。
 ただ、実際に、
「いじめに参加しない」
 というだけで、他の連中は、
「ただの傍観者」
 というだけだった。
 そのうちに、
「いじめる側にいつ変わるか分からない」
 という恐怖もあり、だからといって、起こるかどうか分からないことにずっと怯えているということも、ナンセンスだといってもいいだろう。
 ただ、その思いは次第に深まっていくことで、時々、
「たまらなく、苦しい」
 と思う時がある。
 その頃からではないだろうか、
「俺は、躁鬱症なのかも知れない」
 と感じるようになった。
 特に、
「鬱状態」
 に陥った時、目の前に見える色が、明らかに普段と変わって見えるからであった。
 特に、時間帯によって感じる色があ、今までとは違っていることが、気になるのだが、それが、
「信号の色」
 というものと比較して考えると、結構分かりやすいと感じるものであった。
 昼間と、夕方、さらには、夜において、その感覚の違いというのは歴然としたもので、
「昼間は、青信号が緑色に見えるが、夕方になるにつれて、次第に、真っ青に感じられるのが、普段であった」
 と思っていた。
 しかし、
「鬱状態になれば、緑色に感じられるのは、夕方までであり、なかなか青に変わっていくことはなかった。そこには、けだるさが感じられることで、昼間の余韻が夕方まで残っている」
 と感じるからだった。
 夜になると、一気に、けだるさはなくなり、その分、真っ暗な中に吸い込まれそうな感覚が生まれてくることで、真っ青に見えるのが、恐怖を煽る」
 ということになるのであった。
 普段は、
「緑から徐々に真っ青になっていくのに、鬱状態の時は、ある瞬間からいきなり、緑から真っ青に変わる」
 ということで、その瞬間からあとは、恐怖でしかないのだった。
 その瞬間が、夕方における、いわゆる、
「逢魔が時」
 と呼ばれる時であり、
「夜が来るのが怖い」
 と感じさせる。
「けだるさが恐怖に変わる瞬間」
 というものを毎日感じさせられるのが、
「鬱状態」
 という時なのだろう。
 それが、精神的なものだと思うことと、
「躁鬱症ということで、そのうち、躁状態になるだろう」
 と考えると、
「少しの辛抱だ」
 と思うことができるのだが、鬱状態におけるけだるさと、瞬間で変わる精神状態というものには、うんざりさせられるというものであった。
 躁鬱症というものは、
「とても分かりにくい病気だ」
 というのを、本で読んだりしたことがあった。
 実際に、今の時代に、いわゆる、
「躁鬱症」
 と呼ばれるような人が結構たくさんいたりするというのだ。
 しかも、これは、
「脳の病気」
 ということで、
「甘く見てはいけない」
 とも書かれていた。
 実際に、
「鬱状態」
 と一口にいっても、どの病気の派生によるうつ状態なのかが分からない場合があるというのだ。
 つまりは、
「一つの症状を見た時、その原因であったり、内面に潜む要素から、いろいろな原因や過程が考えられる」
 ということになるのだ。
 今までは、
「躁鬱症」
 と呼ばれていたものが、
「双極性障害」
 という病名に変わってきている。
 これは、
「躁状態とうつ状態が、定期的に入れ替わる」
 ということで、そのサイクルによって、その症状であったり、その人の表に出ている症状が、変わってくるということになるだろう。
 ただ、これは、普通にいわれる、
「うつ病」
 というものの、
「鬱状態」
 とは違っているものであり、こちらは、
「定期的に、処方された薬を飲んでいないと、病状が悪化する」
 ということであった。
 さらに、この病気で気を付けなければいけないのは、
「躁状態」
作品名:予知能力による抑止力 作家名:森本晃次