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予知夢を見るということ

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 その感覚は思い込みからの、意識であり、それを一般的に、
「勘違い」
 というのだろう。
 ただ、その思いは頼子には伝わっているようだった。
 本来であれば、そんな余計な気の遣い方をされると、いやな思いをするものだろうが、頼子の場合は、それだけ、
「楽天的な性格だ」
 ということになるのだろう。
 だから、頼子とすれば、
「この人の気持ちを大切にしたい」
 と感じたことから、結婚してもいいと思ったに違いない。
 ただ、頼子の方では、
「桜木が自分で勘違いしている」
 という性格を分かっていて、
「本当は、神経質で、かなり気を遣う必要がある」
 とも考えていた。
 しかし、自分が、
「楽天的すぎる」
 というところから、
「少しは、自分の猪突猛進的なところを戒めてくれる」
 と考えたに違いない。
 結婚というのは、
「相性がよければいい」
 というものでもなく、
「性格が同じであればいい」
 というわけではない。
「お互いに戒めあうということだって必要なことであるし、二人が、すべてにおいて、同じ方向を見ているとすれば、それはそれで問題だ」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、
「お互いにそれぞれの本性を補い合う関係」
 ということで、いいのではないかと思ったのだ。
 ただ、一つ気になったのが、それぞれの本質が、
「自分で感じていたことと正反対だった」
 ということは、
「一度はそのことについて話をする必要がある」
 ということであった。
 本当であれば、夫の方から持ち掛けるべきなのだろうが、性格が分かってしまったことで、頼子は、自分の方から話をすることにしたのだった。
 話をするといっても、改まってということではなく、
「お互いに気づいたことを言い合う」
 というだけの、確認だといっていいだろう。
 だから、お互いにざっくばらんでということで、話を持ち掛けたのが、妻の方からということも、ちょうどよかったのかも知れない。
 それを聞いた旦那としても、
「助かった」
 と思ったことだろう。
 本来なら、自分が話を持ち掛けないといけないと感じていたからである。だが、この関係がお互いに
「ツーカー」
 ということで、却ってよかったといってもいいのだった。

                 石ころと鏡

 二人の話は、本当にざっくばらんだった。
「なんだ、俺の考えすぎか」
 というところもあったり、
「気を遣うことに、違和感がないというのは、いいことだな」
 なとという会話になったのだ。
 そんな中で、うすうすは気づいていたが、この会話でハッキリしたというのが、
「二人とも予知夢を見る」
 ということであった。
 しかも、その予知夢というのは、
「旦那の方が、楽天的な夢」
 ということで、
「奥さんは、怖い夢を見る」
 ということであった。
 奥さんが怖い夢を見るというのは聞いていたことで、
「予知夢ではないか?」
 と思ったのは、
「自分が見る予知夢」
 というものと比較して想像できたからであった。
 だが、ハッキリと聞いたわけではなかったので、絶対的な意識はなかった。それが、桜木としては、
「決して楽天的ではない性格の表れだ」
 ということに、今になって気づいたのであった。
 そして、話をしている時、
「かつて、予知夢の話をしたことがあった」
 ということが、鮮明に思い出され、
「そんな話をした」
 ということ自体、
「まるで予知夢に見たことのように思い出す」
 ということであった。
 というのは、
「今、その話を思い出した時、二重に思い出せる」
 ということだ。
 ということは、
「予知夢として見た」
 という時と、
「実際にそんな話をした」
 ということの両方が、かぶって思い出されるからではないだろうか?
 そんなことを考えた時。
「デジャブというのがあるが、それは、予知夢と関係があるのではないか?」
 と感じたことだった。
「デジャブ」
 というのは、
「今までに、見たり聞いたりしたことが一度もないくせに、前にも見たことがあったような気がする」
 ということである。
 実際に、ほとんどの人は、
「一度くらいは、そういう感覚になったことがある」
 といってもいいだろう。
 ただ、その現象については、科学的に証明されているわけではない。いろいろな説もあるだろうし、アマチュアの人であっても、それぞれに、自分を納得させるだけの理論を持ってる人もいるだろう。
 そんな中で、デジャブに対して、桜木は、
「辻褄合わせだ」
 と思うようになった。
 というのは、
「自分にも思い込みというのが結構ある」
 と思ったからである。
 元々、
「楽天的な性格だ」
 と思っていたので、
「思い込みの激しさ」
 というのは、
「自分の性格の辻褄を合わせる」
 ということで、必要なことだと思うようになっていたのだ。
 だが、自分の性格が、
「神経質でネガティブに考える方だ」
 ということになれば、
「辻褄を合わせるわけではなく、そもそもの性格から、当たり前のことではないか?」
 と感じるのであった。
 だったら、
「デジャブというのも、辻褄合わせということではなく、あくまでも、必然性のあることだ」
 といえるのではないだろうか。
 それを考えると、
「自分にとっての予知夢というのは、デジャブとは、関係のないものではないか?」
 とも思うようになっていた。
「デジャブが、あくまでも、必然性のあるものだと考えるのであれば、予知夢は、自分にとって、本当に必要なものなのか?」
 と思うのであった。
「もし、自分の性格と、予知夢の内容が、今まで考えていたように、同じようなものではないか?」
 ということであれば、
「予知鵜というのは、間違いなく、必然性があるもので、辻褄合わせとも合致する考えなのかも知れない」
 ということで、
「予知夢と辻褄合わせを一緒に考えることは、今でもあることだった。それは逆に、それぞれが、正反対だ」
 ということから考え付いたことなのかも知れない。
 それはあくまでも、
「対になる」
 という考えからきているのかも知れない。
「両極端というのも対ということであり、対になる考えを思い浮かべると、考え付くこともあった」
 一つは、
「路傍の石」
 という、石ころの考え方である。
 例えば、河原などには、たくさんの石ころが大小転がっているものであり、それをいちいち気にすることはないだろう。
 しかし、もし、自分が石の立場になれば、自分を踏みつぶそうとする足があれば、意識しないわけにはいかない。
 もっといえば、
「相手が意識していようがいまいが、石ころの立場になれば、気にしないわけにはいかない」
 ということだ。
 だとすれば、
「どっちが怖いか?」
 ということになれば、
「意識せずに足を出される方が怖いだろう」
 というのは、
「意識していないということは、何をするか分からない」
 ということだからである。
 つまりは、
「相手が意識をすれば、そこに石があれば、なるべく踏まないようにしよう」
 と思うからだ。