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過去と未来の人類

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 しかし、貧困で、身内もいなければ、この世に未練もないという人もさぞかし多いことだろう。
「貧困で、身内がいない」
 というのは、数年前からのパターンとなっていて、社会問題になりつつあった。
 しかし、相変わらず減らない、
「老人の孤独死」
 というものとを考えれば、
「この二つは、切っても切り離せないものだ」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、
「心中とは言いながら、中には無理心中というのも結構ある」
 といえる。
 一番大きいのは、
「老人の介護」
 の問題で、
「介護する人間が、精神的にも肉体的にも疲れたことで、介護される人、そして、自分の生きる意味が分からなくなってしまったことでの心中だ」
 ということになるのだろう。
 今の時代の、
「少子高齢化」
 という時代において、
「年を取れば取るほど、みじめになる」
 という時代である。
 昔であれば、
「定年までまじめに働いてくれば、後は、老夫婦で、悠々自適の楽隠居」
 ということであっただろうが、まったくそんなことはない。
 定年というものが、どんどん上がっていき、
「昭和の頃は55歳」
 ということで、
「年金も、定年と同時にもらえる」
 という時代だったのに、今では、
「60代が定年で、年金がもらえるのは65歳から」
 ということになっている。
 しかも、その年金の金額も、60歳までもらっていた給料の、ほぼ半額ということで、それこそ、
「姥捨て山状態」
 ということである。
 しかも、今の時代は、
「人生百年時代」
 であったり、
「生涯雇用」
 などという表現で、要するに、
「政府は金を出さないから、死ぬまで働け」
 といっているようなものだ。
 実際に、若い連中も、
「厚生年金」
 という形で、給与天引きされているが、
「本当に、定年後に年金がもらえるのか?」
 というのが分からないものだ。
 そもそも、
「定年などなくなっているかも知れない」
 ということで、つまりは、
「年金制度が崩壊してしまったことで、年金が出せない」
 ということで、
「死ぬまで働かなければ、生きてはいけない」
 ということで、
「働けなくなったら、死んでしまえ」
 と言われるのと同じことであろう。
 そういう意味では、
「地球の滅亡」
 という問題も大きいのだが、もっと切羽詰まったところで、
「人類の滅亡」
 という方がもっとリアルではないだろうか。
 いずれ地球は滅亡するだろうが、そのまえに、
「地球上から人間が一人もいなくなる」
 という、死滅ということになるかも知れない。
 それこそが、今の世の中において、
「国破れて山河あり」
 の状態なのか、それとも、
「過去に戻るか、地球を脱出するか?」
 という事情のどちらが早いかということである。
 要するに、
「最悪を考えれば考えるほど、果てしない」
 という悪夢が、迫っているということであった。

                 30年前

 タイムマシンの研究が進み、何とか過去と未来に行くことができるタイムマシンを、何とか開発することができるようになった。
 そこで、
「実際に過去を変えてはいけない」
 という発想から、一人の男性が、
「実験台」
 ということで、一度過去に行って、すぐに戻ってくる。
 ということを考えたのだ。
 今回のタイムマシンの研究は、
「初めて実用化できるところまで出来上がった」
 ということで、研究としては、
「第一歩を踏み出した」
 といってもいいだろう。
 実際には制限があり、
「過去と未来の30年しか行くことができない」
 というものであった。
 実際には、タイムマシンを運用するには、かなりの電力が必要ということで、本来であれば、
「理論的な開発」
 というのは、すでにできあがっていたのだが、
「その電力をいかに作るか?」
 という問題と、もう一つは、
「その電力の強さに、操縦する人間が耐えられるか?」
 ということであった。
 電力に関しては、何とか、科学的な発想からなので、
「時間はかかるだろうが、いずれは、近い将来作ることはできるだろう」
 ということであった。
 しかし、
「操縦する人間に耐えられるか」
 というのは、最初は、ロボットで試験をしてみたりしたが、そもそも、
「ロボット開発がおいついてきていなかったので、その実験が若干遅れてしまった」
 ということであった。
 その時に得られた教訓として、
「ロボット開発」
 というものと、
「タイムマシンの開発」
 というものは、切っても切り離せない関係ということで、
「並行して行う必要がある」
 ということであった。
 これをまるで、
 「競争心を煽る」
  かのように、
「ライバル視」
 をすることであれば、それはお互いに、研究を損なうことになり、それこそ、
「時間がもったいない」
 ということであった。
 それを、
「タイムマシンの研究のために、ロボットが必要」
 ということで、
「タイムマシン研究室の中で、独自のロボット研究」
 というものが行われたが、それこそが、
「ロボット研究」
 というものを独自に行っている場合の、
「ねじれた発想」
 が、堂々巡りを繰り返しているということを分からせなかった。
 そもそも、
「ねじれた発想」
 というのは、
「タイムマシン開発において、考えられている発想であり、ロボット開発側からのねじれを考えるということが、実際には、ロボット開発を先行させるにふさわしい考えだ」
 ということになるのを、分かっていなかったのだ。
 実際に、
「タイムマシン研究」
 という中でのロボット開発は、どうしても限界があった。
 確かに、
「ねじれというものが、ロボット開発本職の方にはなかったことで、お互いに、意識しあってはいたが、どうしても、意地とプライドがあることで、相手を認めようとしなかった」
 ということである。
 しかし、実際には、
「タイムマシン側のロボット開発」
 の方は、そもそもが専門外ということで、
「別に意地もプライドもない」
 ということから、あくまでも、
「タイムマシン研究の一環」
 ということで、ロボット工学専門研究所に、
「お互いの発想を照らし合わせてみよう」
 ということで相談に行ったところ、相手も待ち構えていたことで、研究は進んだ。
 相手も、タイムマシン研究所を意識していた中で、
「あっちもロボット開発を行っている?」
 ということが分かれば、大いなる興味を持った。
 心の中では、
「自分たちが専門的に研究しても、結局結界というものがあり、先に進むことはない」
 と思っているだけに、
「どうせあいつらには何もできない。何ができるというのか?」
 という考えを持ちながら、
「何か、こちらの結界をぶち破るだけの何かが見つかれば、儲けもの」
 という程度に考えていた。
 そこに、
「ねじれ」
 という発想が前面に出ていることで、見た目は歪に感じられたが、
「一直線の考えでは、どうしても、結界を破ることはできない」
 ということは分かっていて、
「では、一直線でない研究とはどういうものなのか?」
作品名:過去と未来の人類 作家名:森本晃次