完全犯罪研究の「路傍の石」
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年9月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。
プロローグ
令和も10年が過ぎると、それまでになかった不可思議な研究が行われるようになってきた。
いや、実際には行われていたのだが、それを公表することもできず、政府が握りつぶしていたという部分も大きかったのだ。
だから、実際に天変地異であったり、不可解な伝染病が流行ったりと、
「この世界がどうなってしまうんだ?」
といわれるような世の中になってきた。
幸いなことに、
「自然破壊」
などというものが、今までの文明の発展のための、副作用のようなものとして認識されることで、その裏に何かあったとしても、そこに言及しようとは思わなかったのだ。
特に学者などは、
「原因を究明することは大切だが、それを追求することは意味がない」
ということで、
「未来をいかに明るいものにするか?」
ということで、日々の研究を重ねてきた。
もし、
「過去の過ち」
というものを追求しようとするならば、それは政府の役目であり、
「未来において、同じ過ちを繰り返さないようにしないといけない」
ということから、当然のこととして、政府は、
「過去のできごとを検証しないといけない」
というのが、義務であろう。
しかし、政府は検証などしようとしなかった。
そんなことをすれば、自分たちの立場が危なくなるからだ。口では、
「専門家の意見を聞きながら」
とか言いながら、あくまでも、
「自分たちに都合のいいもの」
というのを開発させ、専門家居とすれば、
「もっと、公共の福祉に役立てるようなものを開発すべき」
という進言がありながら、政治家の金の力で、阻止してきたのだ。
そう、
「金さえあれば、権力が握れるわけで、力のあるものを雇い入れ、立場の弱い者を、懐柔することができる」
ということである。
幸いなことに、
「異常気象」
であったり、
「天変地異」
というのは、すでに数十年前から地球上のあちこちで起こっている。
そのために、
「世界的な環境保護」
というものが、真剣に考えられている。
しかし、実際には、
「時すでに遅し」
ということで、
「一度早めてしまった地球滅亡への速度を遅くする」
などということができるわけもなく、
「科学の発展」
と、
「宇宙開発技術の発展」
というものにより、未来の人間が暮らしていけるような、星を見つけて、
「いかに移住できるか?」
ということにかかっているということだ。
つまりは、
「地球崩壊との競争」
ということである。
ただ、
「地球崩壊がいつなのか?」
ということすら分からない人類に、
「果たして未来があるのか?」
ということである。
ただ、
「今生きている人間」
というものが死ぬまでには、地球は存在しているだろうと考えると、逆に、
「死というものが怖くない」
という発想になるのではないかと考えるのだ。
なんとも、おかしな感覚であるが、そのような発想になるというのは、そもそも、人間が自然を破壊したことで、頭が、今の時代の環境に合うように、自然となってきたといえるのではないだろうか?
「人類に猶予はない」
と思ってはみても、
「どうせ、俺たちが死ぬまでは大丈夫なんだ」
ということもあるので、
「別に慌てることもない」
と考え、
「次世代は次世代で考えることだろう」
という考えに、どんどん移行していくことになるだろう。
ただ、できることは一つしかない。
「地球環境を守ることはできないのであれば、少しでも延命を行う」
ということと並行し、
「他の星への移住先を探す」
ということである。
実際には今までの開発というと、
「資金とのバランス」
ということで、
「採算が合わないのであれば、開発は中止」
ということから、開発が進まなかったということもあるだろう。
そして、もう一つは、
「開発をすることで、リスクが高い」
と考えられているものが、結界になっているということである。
それが、
「タイムマシンの研究」
というものであり、
「ロボット開発の研究」
というものであった。
「タイムマシンの開発」
ということでのネックというのは、いわゆる、
「タイムパラドックス」
と呼ばれるものだ。
これは、
「タイムマシン」
であったり、
「ワームホール」
などと使って、
「過去や未来に、自分自身がいく」
ということから、その発想が始まっている。
問題は、
「過去にいく」
ということであり、
「過去に戻るということは、歴史を変えてしまう」
ということになると考えるからだ。
つまりは、
「過去、現在、未来」
というものの、
「現在」
というのは、今のこの瞬間ということであり、実際には、少しずつ未来に浸食するということになるのだが、
「現在の状況」
というものが、
「過去における無限の可能性の中を、一つの可能性というものでつながる、絶対的な時系列で出来上がっているものだ」
ということだ。
つまり、過去に戻って、何か一つでも、未来に対して変えてしまうと、まったく違う未来が開けるということになり、
「過去に飛びだした時の現在に戻ったとして、その現在は自分が飛び出した時と、まったく違う世界になっている」
ということになるだろう。
それが、
「タイムパラドックス」
というもので、たとえば、
「過去に戻って、自分が生まれる前の親に出くわしたりして、結果、二人が結婚しないということになると、自分は産まれてこないことになる。そうなると、タイムマシンで、過去に行くということはないので、自分が生まれる歴史がそのままとなる。となると、自分がタイムマシンで過去にいくということになり……」
と考えると、
「過去と現在の間で矛盾が生じ、何が正しいのか分からなくなる」
というのが、
「タイムパラドックス」
というものである。
だから、
「人間が、過去や未来を自由に移動する」
ということは、歴史を変えてしまうという大罪となるということなのだ。
だから、
「タイムパラドックス」
プロローグ
令和も10年が過ぎると、それまでになかった不可思議な研究が行われるようになってきた。
いや、実際には行われていたのだが、それを公表することもできず、政府が握りつぶしていたという部分も大きかったのだ。
だから、実際に天変地異であったり、不可解な伝染病が流行ったりと、
「この世界がどうなってしまうんだ?」
といわれるような世の中になってきた。
幸いなことに、
「自然破壊」
などというものが、今までの文明の発展のための、副作用のようなものとして認識されることで、その裏に何かあったとしても、そこに言及しようとは思わなかったのだ。
特に学者などは、
「原因を究明することは大切だが、それを追求することは意味がない」
ということで、
「未来をいかに明るいものにするか?」
ということで、日々の研究を重ねてきた。
もし、
「過去の過ち」
というものを追求しようとするならば、それは政府の役目であり、
「未来において、同じ過ちを繰り返さないようにしないといけない」
ということから、当然のこととして、政府は、
「過去のできごとを検証しないといけない」
というのが、義務であろう。
しかし、政府は検証などしようとしなかった。
そんなことをすれば、自分たちの立場が危なくなるからだ。口では、
「専門家の意見を聞きながら」
とか言いながら、あくまでも、
「自分たちに都合のいいもの」
というのを開発させ、専門家居とすれば、
「もっと、公共の福祉に役立てるようなものを開発すべき」
という進言がありながら、政治家の金の力で、阻止してきたのだ。
そう、
「金さえあれば、権力が握れるわけで、力のあるものを雇い入れ、立場の弱い者を、懐柔することができる」
ということである。
幸いなことに、
「異常気象」
であったり、
「天変地異」
というのは、すでに数十年前から地球上のあちこちで起こっている。
そのために、
「世界的な環境保護」
というものが、真剣に考えられている。
しかし、実際には、
「時すでに遅し」
ということで、
「一度早めてしまった地球滅亡への速度を遅くする」
などということができるわけもなく、
「科学の発展」
と、
「宇宙開発技術の発展」
というものにより、未来の人間が暮らしていけるような、星を見つけて、
「いかに移住できるか?」
ということにかかっているということだ。
つまりは、
「地球崩壊との競争」
ということである。
ただ、
「地球崩壊がいつなのか?」
ということすら分からない人類に、
「果たして未来があるのか?」
ということである。
ただ、
「今生きている人間」
というものが死ぬまでには、地球は存在しているだろうと考えると、逆に、
「死というものが怖くない」
という発想になるのではないかと考えるのだ。
なんとも、おかしな感覚であるが、そのような発想になるというのは、そもそも、人間が自然を破壊したことで、頭が、今の時代の環境に合うように、自然となってきたといえるのではないだろうか?
「人類に猶予はない」
と思ってはみても、
「どうせ、俺たちが死ぬまでは大丈夫なんだ」
ということもあるので、
「別に慌てることもない」
と考え、
「次世代は次世代で考えることだろう」
という考えに、どんどん移行していくことになるだろう。
ただ、できることは一つしかない。
「地球環境を守ることはできないのであれば、少しでも延命を行う」
ということと並行し、
「他の星への移住先を探す」
ということである。
実際には今までの開発というと、
「資金とのバランス」
ということで、
「採算が合わないのであれば、開発は中止」
ということから、開発が進まなかったということもあるだろう。
そして、もう一つは、
「開発をすることで、リスクが高い」
と考えられているものが、結界になっているということである。
それが、
「タイムマシンの研究」
というものであり、
「ロボット開発の研究」
というものであった。
「タイムマシンの開発」
ということでのネックというのは、いわゆる、
「タイムパラドックス」
と呼ばれるものだ。
これは、
「タイムマシン」
であったり、
「ワームホール」
などと使って、
「過去や未来に、自分自身がいく」
ということから、その発想が始まっている。
問題は、
「過去にいく」
ということであり、
「過去に戻るということは、歴史を変えてしまう」
ということになると考えるからだ。
つまりは、
「過去、現在、未来」
というものの、
「現在」
というのは、今のこの瞬間ということであり、実際には、少しずつ未来に浸食するということになるのだが、
「現在の状況」
というものが、
「過去における無限の可能性の中を、一つの可能性というものでつながる、絶対的な時系列で出来上がっているものだ」
ということだ。
つまり、過去に戻って、何か一つでも、未来に対して変えてしまうと、まったく違う未来が開けるということになり、
「過去に飛びだした時の現在に戻ったとして、その現在は自分が飛び出した時と、まったく違う世界になっている」
ということになるだろう。
それが、
「タイムパラドックス」
というもので、たとえば、
「過去に戻って、自分が生まれる前の親に出くわしたりして、結果、二人が結婚しないということになると、自分は産まれてこないことになる。そうなると、タイムマシンで、過去に行くということはないので、自分が生まれる歴史がそのままとなる。となると、自分がタイムマシンで過去にいくということになり……」
と考えると、
「過去と現在の間で矛盾が生じ、何が正しいのか分からなくなる」
というのが、
「タイムパラドックス」
というものである。
だから、
「人間が、過去や未来を自由に移動する」
ということは、歴史を変えてしまうという大罪となるということなのだ。
だから、
「タイムパラドックス」
作品名:完全犯罪研究の「路傍の石」 作家名:森本晃次



