SF風大東亜共栄圏
「アジアにおいて、列強の侵略から解放し、アジアに新秩序を建設する」
という、
「大東亜共栄圏の建設」
というものは、それなりに、説得力があるだろう。
そして、それをなしえるには、
「挙国一致」
ということで、国民が一丸となる必要があり、
「絶対的なスローガン」
というものが必要となる。
幸か不幸か、日本という国は、
「天皇制」
というものがあり、
「天皇を祀り上げることで、目的遂行を完遂する」
という目的に、
「挙国一致」
ができるということであった。
今の民主主義という時代から考えれば、まったく違う発想に見えることで、
「大日本帝国は侵略国家だ」
というような、発想を植え付けられることになるのだろう。
ただ、
「まわりから侵略を受ければ、それに対して、何らかの手段を取らなければ、侵略されてしまう」
という場合に取った政策というのは、当時としては、一番正しい考えだったということなのか、それとも、
「それ以外に手がなかった」
ということになるのか、考えかたとしては、
「それ以外に手がなかった」
ということで、
「大日本帝国の時代」
というのは、時系列で進むしかない時代といってもよく、
「筋書きのある見えないレールの上」
というものを進んできただけだといってもいいだろう。
日本には、そんな歴史が存在することで、
「敗戦」
というところまでは、可能性は、ほぼ他にない時代だったといってもいいのだろうが、
「連合国に占領されてから」
というのは、復興以降。特に
「独立国」
ということになってからの時代は、
「無限の可能性が広がる」
といってもいい時代に突入したのかも知れない。
それが、
「自由」
という発想であり、その発想が、
「無限に広がる可能性」
ということで、表に出てきたのであろう。
ただ、その無限の可能性というものも、ある一点から分かれているということを理解しておかないと、
「無限の可能性」
などというものは、発想として考えられるだけで、実際にはありえないものだということになるであろう。
一事不再理
そんな時代の流れにおいて、前述のように、
「史実の時代」
ということであれば、
「一事不再理」
ということが当たり前の時代であった。
これが、
「冤罪を生む」
ということで、実際には、史実の時代と数の比較はできないのだが、感じ方という意味で、
「冤罪が多い」
と考えることで、
「一事不再理」
ということにしてしまうと、警察はそれでいいかも知れないが、被告にされた人間とすれば、たまったものではないといえるだろう。
そもそも、
「一事不再理」
というものを採用したというのは、
「裁判というものに、金と時間が掛かりすぎる」
ということで、史実に比べて、パラレルワールドの方が、
「合理性を重んじる」
という考え方が強かった。
だからこそ、最初は、
「一事不再理」
というものは、絶対的な考えかただということで、それこそ、
「法律の根幹」
とまで考えられていた。
だが、実際に、
「一事不再理の原則」
ということから、後になって、
「無罪になった人間が、実は犯人だった」
という事実が出てきたことで、警察は、
「その事実を隠蔽しよう」
と考えるだろう。
「一事不再理のために、捜査ができない」
ということで、犯人が誰であろうと、その時点で、冤罪というのは、確定しているといってもいいだろう。
それが、一度や二度ということであれば、そこまで問題にならなかったかも知れないが、実は、
「冤罪を暴く」
という組織が、影で暗躍しているというウワサガ流れたのであった。
これは、
「悪党連中が暗躍する」
という秘密結社とは違い、ある意味、
「正義のための組織」
ということになるだろう。
しかし、これは、世論や世間一般のためには、正義ということであっても、
「警察組織」
というものにとっては、
「国家の安全」
というものを揺るがす
「悪質な組織」
といえるだろう。
しかし、警察組織というのは、
「国民の安全と財産、さらには、安心を守る」
ということがスローガンであり。そのためには、
「警察の権威を絶対的なものにして、そこから安心安全というものを、証明していく」
ということから、
「警察の権威が脅かされる」
ということであったり、
「国民からの信頼が失墜する」
ということであれば、
「警察という組織を守るために、隠蔽工作というのは必要だ」
と思っている幹部も多い。
確かに、
「警察という組織の信頼が失墜すれば、街はまるで無法地帯」
ということになるのは、必至ということであろう。
それが、
「史実の歴史」
ということであり、ただ、国家権力としては、そこまで力が強くないといってもいいだろう。
あまり、国家権力が強すぎると、
「大日本帝国時代」
における、
「治安維持法」
であったり、
「特高警察」
などという、
「恐怖政治」
の時代ということになるであろう。
だから、
「パラレルワールド:
と呼ばれる世界では、
「時効の短縮」
ということで、合理性を保ち、さらに、
「一事不再理の撤廃」
ということから、
「冤罪の防止」
ということであったり、
「不平等な司法にしない」
という発想からではないだろうか。
裁判というものには、刑法犯では、かならず、
「被害者と加害者」
というものがある。
それぞれに、立場というものがあり、一見では、
「被害者はかわいそうで、加害者というのは、許せない存在だ」
といわれるが、そう一刀両断にはできないということでもあるのだ。
というのは、
「加害者にだって家族というものがあり、加害者が許せない存在ということであれば、実際には、まったくの無関係であるかも知れない家族にまで、憎しみが及ぶというのは、実際に、理不尽なことである」
ということになるだろう。
それに、加害者というものも、
「たまたま加害者になった」
ということだってある。
「被害者が、何かを仕掛けなければ、加害者が犯罪者になることはなかった」
ということも、実は結構あったりするのだ。
だからこそ、刑事ドラマのような話が出てくるわけで、そういう意味でも、
「事実は一つでも、複数の真実がある」
ということから、
「同じ犯罪でも、裁判官、健司、弁護士が違えば、まったく違った判決になることだってあるはずだ」
といえるだろう。
実際に、そのせいで、裁判が蒸し返され、
「一事不再理の状態では、不可能だった裁判」
というものも、結構行われるようになり、
「司法に携わる人」
というものの、人手不足ということが問題になってきた。
そういう意味で、
「法曹界への壁」
というものが、
「史実の世界に比べて、かなり甘くなっている」
というのも事実のようだった。
実際に、裁判官や弁護士になるには、
「司法試験に合格し、そこからさらに、研修など数年を要する」
ということで、なかなか、
「先生ということで、法廷に立つということには、ハードルが高い」



