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SF風大東亜共栄圏

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 というものはなかった。
 ただ、そのかわり、世界的な民主国家というのは、
「史実における日本の民主主義」
 というようなものであった。
 つまりは、
「政治とカネ」
 といわれる時代であり、史実においては、
「日本独自の民主主義」
 といわれていたのだが、実際には、それが、民主主義の代表のようになっていた。
 だが、それらの民主国家と呼ばれる政府を、誰も断罪することができない。
 もちろん、そういう制度はあるのだが、それを恐慌するだけの力が、国民にはないのだ。
 表向きは、史実のような民主主義ということで、特に某国のように、
「国家元首」
 というものが、最後はほとんど、悲惨な末路を描いている。
 ということが、こちらの世界ではないのだった。
 それは、あくまでも、
「政府というのが、国家で重宝されている」
 というわけではないのであった。
「政府は形だけ」
 ということで、まるでお飾りのような状態なのだ。
 しかし、それは、国民に対しての力ということで、
「政府にいる」
 ということでの、金銭的なことへの権力は絶大だった。
 それこそ、
「政治家というものが、私利私欲のために暴利をむさぼる」
 というのは当たり前のことであり、国民に無理強いができない分、
「国が乱れてくれば、力が弱い中でも、どれだけ国家運営ができるか」
 ということでの、
「金の力」
 ということになるのだろう。
 そういう意味で、
「金の力が、法律の力と結びつく」
 ということで、このあたりが、史実とはまったく違った世界だということになるのだろう。
 そのために、世界は、
「合理性を重んじる」
 という社会になってきた。
「精神論であったり、洗脳」
 というものが、史実の民主主義のように、
「自由」
 というものが最優先されるということでは、、結局は、そこに戻ってくるということになるだろう。
 そもそも、史実での民主主義というのは、
「自由、平等、博愛」
 といわれてきたが、実際には、
「自由と平等」
 というものが共存することはできず、
「自由というものを最優先にするということから、平等というものが、犠牲になる」
 といっていいだろう。
 だから、
「自由競争」
 というものを全面的に認めるということになると、
「貧富の差」
 という問題が社会問題になるというのも、必然的なことであるといってもいいだろう。
 だからこそ、
「自由に政治とカネというものを使える」
 ということになると。
「貧富の差」
 というものを、問題だとはしながらも、平等を犠牲にするということで、それこそ考えかたは、
「弱肉強食」
 ということになる。
 過去の歴史において、
「戦国時代」
 というものが存在したが、その時代というのは、
「国家元首」
 というものがおらず、中央集権だったはずの、
「幕府の力」
 というものが衰えたことで、
「下剋上」
 などという、
「自由に、天下を狙う」
 ということから、無法地帯が出来上がり、その地帯を領主における
「群雄割拠」
 というものが各地で起こってきたことで、
「国盗り」
 という発想からの、戦国時代が出来上がっていったのだ。
 そもそもは、
「幕府の力が弱まり、さらに、将軍が、政務に無関心になったことが、一番の原因」
 ということであった。
「自由に国盗りができる」
 ということで、誰もが天下を狙える時代。
 それが戦国時代ということで、
「弱気領主は罪悪なり」
 といわれるが、まさにその通りである。
「土地を守ってもらう代わりに、領主のために、戦に参加する」
 という封建制度の意義が、戦国時代には、
「中央集権」
 ではなく、
「群雄科挙」
 という形で生まれてきたということになるのだろう。
 幕府というものが、衰えたことで出てきた、
「群雄割拠」
 というものは、必然といってもいいだろう。
 しかし、群雄割拠の時代に入ってきたというのは、最終的な目標は、
「誰かが天下を握り、中央集権を築く」
 ということで、
「それしか、戦のない世を築くことはできない」
 ということになるのだ。
 結局、
「中央集権」
 というのが絶対であり、その絶対性があることで、
「戦のない世」
 というものができあがり、中央集権を必要以上に強化するということでなければ、いつ何時、
「群雄割拠の時代になりかねない」
 ということになるだろう。
 しかし、
「いつの時代」
 であっても、憂き目を見る人たちがいる。
 特に、百姓などがそうであろう。
「群雄割拠の時代」
 ということであれば、
「戦に駆り出される」
 ということであり、さらには、
「戦で田畑が荒らされる」
 ということになると、本当に踏んだり蹴ったりということである。
 だから、群雄割拠の時代には、
「百姓のためにも戦のない時代に」
 という発想もあったかも知れないが、
「いざ、中央集権」
 ということになると、今度は、
「戦のない時代が訪れた」
 ということであれば、次に考えるのは、
「その継続」
 ということだ。
 それは、
「中央集権の強化」
 ということであり、そうなると、
「国家元首とそれ以外とでは、明らかな力の差がないといけない」
 ということで、
「謀反などが起こせないようにしないといけない」
 ということである。
 武士に対しては、
「藩の取り潰し」
 などによって、恐怖政治を植え付けたが、あまりにも、派手にやったため、浪人という失業者が増えることで、治安が乱れるという、副作用が起こってきた。
 さらに、身分制度である、
「士農工商」
 というものを作り、
「子々孫々と、その身分を受け継ぐ」
 ということにして、世情の安定を図ろうとした。
 さらに、農民に対しては、
「生かさず殺さず」
 という精神で、徹底的に頭を押さえるということで、中央集権の力を示してきたのであった。
 だから、農民からすれば、
「群雄科挙の時代」
 であっても、
「幕府による幕藩制度」
 であっても、どちらに転んでも、迫害を受けるということに関しては、変わりはないといえるだろう。
 そんな時代において、大日本帝国の時代までは、
「中央集権国家」
 というものは、封建制度の時代とはまったく変わってしまったのだが、その理由というのが、
「開国した」
 ということで、諸外国との折衝というものが、大切になってきたということからであった。
 元々、
「不平等条約」
 というものを結ばされたが、それを撤廃するということを目標に、
「殖産興業」
「富国強兵」
 ということを前面に出した。
 つまりは、
「世界という中央集権に対して、群雄割拠の時代を迎えた」
 といってもいいだろう。
 ただ、戦国時代とは違い、
「元々、世界という中央集権が存在していた」
 というわけではないし、日本という国は、明らかな小国であり、世界からも、進出には、鎖国という時代があったことで、かなり遅れてしまったということから、
「第一に国防」
 ということでの、
「大日本帝国の国家としての意義」
 というものが生まれたといってもいいだろう。
 だから、
作品名:SF風大東亜共栄圏 作家名:森本晃次