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SF風大東亜共栄圏

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 これは、
「探偵小説」
 というものと、まるで違う状況といってもいいのだろうが。
「パラレルの時代」
 においては、
「探偵小説と、社会派推理小説というものを、組み合わせる」
 と考えられたのだ。
 つまりは、
「社会問題が起こる中で、頭脳集団が起こす犯罪」 
 というものが、
「トリックを駆使したり、時代背景からの、天才的な犯罪」
 というものと結びつくからであった。
 しかし、史実の時代の
「探偵小説」
 というと、
「本格派」
 というものと。
「変格派」
 というものに別れるといわれる。
 本格派というのは。
「トリックや謎解きを、主人公である探偵が、そのストーリー展開において、鮮やかに解き明かす」
 というもので、
「変格派」
 というのは、それ以外のことで、主に、
「ホラー色が豊か」
 ということであったり、
「異常性癖」
「耽美主義」
 などという、
「変態的な犯罪」
 というものの二つに分かれていた。
 だから、頭脳的な犯罪ということであれば、
「本格派」
 ということになり、その中には、
「幾種類かのトリック」
 というものが、歴史を作ってきたといってもいいだろう。
 実際のトリックとして、
「密室トリック」
「死体損壊」
 といわれる、
「顔のない死体のトリック」
「アリバイトリック」
「一人二役トリック」
 などというのが、大まかなものといえるのではないだろうか。
 それが、
「戦前戦後」
 という時代に一世を風靡したといってもいいだろう。
 実際には、
「混迷のカオスな時代」
 ということで、
「変格派探偵小説」
 というのも流行ったことから、
「戦争中における出版統制」
 という悪夢の時代以外では、結構人気を博したものだったといってもいいだろう。
 実際に今の時代においても、
「いまだに、当時の探偵小説が人気」
 というものもある。
 これは、
「探偵のキャラクター」
 ということから人気を博しているわけで、時代が進んでくるにしたがって、
「探偵」
 というものは、その形を変えながら発展してきた。
「実際に、探偵とは思えないような職業の人が推理する」
 というものであったり、
「安楽椅子探偵」
 といわれるように、
「事件現場に一歩も踏み入れずに、推理だけで事件を解決する」
 というものもあったりした。
 それが、
「平成の時代の推理小説」
 というもので、特に、
「一人の作家が、パイオニアとなり、一つのパターンを築き上げることで、そのパターンが一定期間人気を博する」
 という時代だった。
 だから、数十年にわたって、毎日のように。
「2時間サスペンス」
 というものが、
「夜のゴールデンタイムで放送された」
 という、一つの大きな時代を形成したといえるのではないだろうか?
 ただ、
「サスペンス劇場」
 ということで、ほとんどは、
「本格派」
 ということであり、さすがに、モラルや道徳の観点から、放送倫理の問題で、
「変格派探偵小説」
 というものが、出てこないといってもいいだろう。
 だが、この、
「変格派」
 と呼ばれるような犯罪も結構あったりした。
 実際には、
「耽美主義」
 といわれるものが多い傾向にあったのだが、それは、
「犯罪を芸術として完成させる」
 ということを最優先にしていた。
 そのためには、まず、
「誰かを殺したい」
 という、
「殺意という動機」
 というものを持った人がいて、さらにその人の憎悪は、
「ただ殺すだけでは我慢できない」
 という憎悪に溢れている必要があるといえるだろう。
 しかし、これを一人でやろうとすると、確かに難しいということではあるが、それだけではなく、
「精神的な矛盾」
 というものが現れてくるといってもいいだろう。
「憎悪」
 というものと、
「耽美主義」
 というものは、実際に同じ方向を向いていた場合、
「交わることのない平行線」
 ということで、決して成立することはない。
 となれば、
「目的は違うが、結果は同じという人が協力することで出来上がる」
 というものだ。
 憎悪を抱いた人がいて、その人は殺人には、一切関与しておらず、
「アリバイというものも完璧」
 ということで、実行犯である人物には、まったく、被害者と接点がないということであれば、まず疑われることはない。
 動機の上では、
「限りなくクロ」
 といわれる人間は、当然疑われるが、
「アリバイが完璧」
 ということになる。
 そうなると、警察の捜査は、その時点で、暗礁に乗り上げるか、
「他の人を犯人に認定する」
 という、
「冤罪を生んでしまう」
 という、あってはならないことをしでかしてしまうかも知れない。
 それであれば、まだ、
「迷宮入り」
 ということで、
「未解決事件」
 ということの方がまだマシだといえるのではないだろうか?
 それを考えると、
「それこそ、完全犯罪というものではないか?」
 といえるだろう。
 しかし、そんな都合のいい犯罪があろうはずもない。
 いくら、
「実行犯と被害者の間に、まったく接点が見つからない」
 とは言っても、実際に犯罪を行えば、
「いつどこで、誰が見ているか分からない」
 ということであり、もし、実行犯だと疑われ、身辺調査が行われたりした時、
「憎悪という殺意を持った最重要容疑者と、少しでも接点というのが見つかる」
 ということになると、
「共犯だ」
 ということになり、
「完全犯罪どころか、計画的な犯行」
 ということで、裁判では実刑を食らってしまうことになるだろう。
 そういう意味で、
「実行犯には、まったくのメリットがない」
 ということになるが、もちろん、警察や、その後の裁判で、明らかにならないわけはないだろう。

                 真実と史実

 立場としては、圧倒的に実行犯の方が不利だからである。
「動機を持った人間」
 というのは、自分で手を下さなくて、自分に完璧なアリバイを作るということで、
「一番安全な場所にいる」
 ということになるだろう。
 しかし、
「実行犯」
 の方は、
「縁もゆかりもない」
 という相手、つまりは、
「何の恨みもない」
 という人を手を汚して殺すということは、普通であれば考えられない。
 だからこそ、
「捜査線上には上がってこない」
 ということであるが、だからといって、
「何も殺人を行う必要性がどこにある」
 というのか?
 もしあるとすれば、
「動機を持った主犯」
 という人間に、弱みを握られているということであろう。
 ただ、殺人という最大級のリスクを負うのだから、少々の弱みでは、殺人を犯すということまでは、ありえない。
 一番考えられるのは、
「誰かを殺してしまったことがかつてあり、それを動機を持った主犯に見られていた」
 などということであれば、考えられなくもない。
 普通であれば、
「最初に殺した相手に対しては、完全に動機があり、容疑者として捜査線上に浮かんだ」
 ということであろう。
 しかし、それでも逮捕に至っていないということは、
「状況証拠だけで、物的証拠は何もない」
 ということになる場合であったり、
作品名:SF風大東亜共栄圏 作家名:森本晃次