SF風大東亜共栄圏
つまり、社会不安などが影響し、会社の倒産などによって、失業者が溢れたりすることで、自殺を試みる人が増えるということである。
ただ、鉄道自殺というのは、自殺の中でも、いろいろな意味で理不尽と呼ばれるものであった。
「電車に飛び込む」
というのは、飛び込まれた電車に乗っていた人だけが迷惑を被るというわけではない。
特に、
「電車というのは、決まったレールの上を走る」
というもので、
「別の道で」
というわけにはいかない。
つまりは、同一の線上であったり、途中の乗換駅があれば、そこから延びている線にまで影響が及ぶというものである。
「電車が人身事故で停まってしまうと、その場所での、救護から、警察に現場検証が行われることになるが、その間は、絶対に電車を動かすことができない」
さらに、
「事故車両を撤去せねばならず、そのために、数時間、へたをすれば、その日一日終日運行禁止」
ということになり、夕方のラッシュ時も動かせないとなると、
「帰宅難民」
というものができたりして、
「数万人の足に影響が出ました」
というような大変なことになるのだ。
鉄道会社は、対応が終われば、
「賠償責任」
というものを、
「鉄道を停めた」
という人間に課すということになる。
もし、これが死亡事故であれば、残りは家族に及ぶというものだ。
そうなれば。自殺の原因が、
「借金苦」
ということであれば、残された家族は、さらに重圧を追うということになる。
だから、
「自殺をするときは、電車に飛び込むのだけはしてはいけない」
といわれるが、それを知らずに飛び込む人が後を絶えないのは、どういうことなのだろう?
しかも、この賠償というのは、有無も言わせずということになり、へたをすれば、
「チンピラによる借金取りよりも悪質」
といわれるほどである。
本当に、
「有無も言わせず」
とはこのことだ。
しかも、ひどいのは、
「迷惑を被った」
ということで、鉄道会社が、賠償を求めて搾取した賠償金は、あくまでも、鉄道会社だけのことということになる。
つまりは、
「本当に迷惑を被ったのは、その路線を使っている善良な市民」
ということであるから、本来であれば、彼らにその賠償が行われなければならないはずなのに、一切の還元はないということだ。
そういう意味で、
「何の賠償なのか?」
ということになるではないか。
「やくざ顔負けの取り立て」
つまりは、後ろに国家権力がいるということ、さらには、賠償金が、鉄道会社だけで完結するということであれば、
「そもそも賠償金の意味がない」
といえるのではないか。
それこそ、かなり大きな意味での、
「理不尽なこと」
といってもいいだろう。
さらには、
「一番理不尽ではないか?」
と考えられることがある。
それが、
「安楽死」
という問題ではないだろうか?
確かに、
「安楽死」
というものを認めるということは、
「生殺与奪の権利」
というものを認めることになるといってもいいだろう。
しかし、自分の力で、歩くことも食べることも、さらには呼吸することもできないという、いわゆる、
「植物人間」
となってしまった人は、自分の気持ちを意思表示できないことで、
「本当に生きているといえるのだろうか?」
という状態で、問題は、その家族である。
自分で何もできないために、
「最大限の手厚い介護」
ということであったり、人工呼吸器のように、
「機械によって生かされる」
という状態が、
「果たしていつまで続くのか?」
ということで、しかも、その費用も莫大なものとなる。
中には、女性であれば、
「身を売る」
ということまでしないと賄えない人もいて、へたをすれば、
「犯罪に走る」
という人も出てくるだろう。
「いつになったら終わるのか?」
ということも分からない。
確かに、最初は、
「家族のため」
ということで頑張ることもできるだろうが、人間には、限界というものがあり、その家族が倒れでもすれば、誰が後を引き継ぐというのか?
考えただけでも、ゾッとするものだ。
それであれば、
「安楽死」
というものを考えていいのではないだろうか?
確かに、
「死者は尊厳されるもの」
という考えがある意味絶対となっているが、生きている人間が奈落の底に落ちたとして、それでもいいというのだろうか?
それこそ、
「植物人間化した人に、国家予算を割り当てる」
というくらいしてもいいではないだろうか。
それこそ、大切は社会保障というものだ。
今の時代のように、
「老後は、まるで姥捨て山」
という状態で、本来であれば、
「早く死んでほしい」
というところが、今では、
「人生100年」
などと言われて、死ななくなったといってもいいだろう。
そうなってくると、
「老後は、どんどん年金が減っていき、へたをすれば、年金がもらえない」
という時代が、すぐそこに来ている。
分かっていたくせに、何ら対策ができていない政府。自分たちが暴利をむさぼることしか考えない政治家というものは、
「史実」
においても、
「パラレルワールド」
と呼ばれるこの世界においても。この
「極悪非道」
といってもいい連中に変わりはないというのは、
「これほどの皮肉なことがあるというのだろうか?」
ということであろう。
これらいくつかの問題、つまりは、
「加害者家族の問題」
「鉄道事故の補償問題」
「安楽死の問題」
というものは、
「史実」
においても、
「パラレルワールドの世界」
においても、存在する。
しかし、実際には、その内容は若干の異なりを見せている。それが、どういうことなのかというと、
「必要悪」
というものが影響しているということであった。
正直、どちらかの世界にいる人は、向こうの世界の存在を知っていたとしても、あくまでも想像でしかないことで、詳しいことは分からないが、少なくとも、
「史実の世界には、必要悪が存在し、パラレルワールドの世界には存在しない」
ということが影響しているということは、うすうす気づいているようだ。
もっとも、
「パラレルワールドの世界」
と、
「史実の世界」
というものを知っているというのは、それぞれの世界の、学者だけであった。
というのも、
「パラレルワールド」
などという、
「無限の可能性」
というものを秘めた世界が存在するということは、今の時代では、学者であれば、
「どちらの世界であっても、常識」
といってもいい解釈となっていた。
そして、その根底にあることが、
「電磁波」
というもの。
それが、一定の、
「周波数によるもので結ばれている」
ということまでは、研究されてはきた。
しかし、この発見は、
「さすがに、世間に対しての影響が大きい」
ということで、完全に感銘され、全人類がある程度まで理解できるくらいにまでいかないと、発表してはいけないということが、どちらの世界でも、共通の問題ということで考えられていたのだ。
だから、それぞれに、
「かん口令」
というものが敷かれ、
「電子工学」



