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一感情全偶然

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「そんなことを考えているから、彼女ができなかったんだろうな」
 と思えた。
 確かに、
「誰でもいい」
 ということになれば、簡単に彼女くらいはできそうなものだと考えるであろうが、逆に、
自分の好きな相手が定まっていないと、付き合ったとしても、相手から、好かれるということもなく、相手が疑心暗鬼になってくると、今度は、
「あなたが、どこを見ているのか分からない」
 ということで、自然と遠ざかっていくことになるだろう。
 そうなると、
「好きかどうかわからない相手にフラれた」
 という
「屈辱感」
 というものが残ることになる。
 そのうちに、
「あんな女に俺がフラれるなんて」
 という、ナルシストではないくせに、自分の考えかたを棚に上げて、
「好きになろうと思ってやったのに」
 という気持ちになり、きっとまわりからは意固地に見えてくるだろう。
 本来であれば、
「好きになったわけでもない相手からふられたとしても、そこまで気にすることはないのに、フラれた瞬間に、自分から相手を追いかけようとしている」
 ということになったとすれば、それは、
「自分が分からなくなっている証拠」
 ということであり、
「そもそも、相手が好きになってくれたと感じたことも、思い上がりによる、勘違いだったのかも知れない」
 ということになるだろう。
 小学生の頃、まだ、思春期になる前だったので、
「女性として意識はなかったが、子供心に好きだった」
 という女の子がいた。
 おとなしい子で、
「いつも、自分のそばにいた」
 という子だったのだ。
 自分は、
「好かれている」
 と思っていたが、そこに恋愛感情はなかった。
 それは、2,3年続いたのだが、別に終わる時も、
「失恋」
 という意識であったり、そもそも、
「別れる」
 という感覚でもなく、自然消滅でありながら、お互いに嫌いになったわけでもなかった。ただ、
「どこか、お互いに意識している」
 ということが、むず痒さというものを感じさせ、それが別れにつながったのだろう。
 その時のことは今でも覚えていて、
「ちょうど思春期に入ったことが、余計な意識を感じさせ。お互いに、思春期に入ったことが、同じタイミングで、違和感を呼んだのかも知れない」
 と感じるのであった。
 そういう意味では、
「思春期が大人への階段だった」
 というよりも、
「思春期は、子供というものへの決別であった」
 といってもいいかも知れない。
 もちろん、思春期の入り口というのは、
「人によってバラバラ」
 ということである。
 そういう意味で、
「彼女と自分が同じタイミングで思春期に入ったから、別れることになった」
 と思い込んでいたが、考えてみれば、
「そんなに都合よくいくわけはない」
 といってもいい。
 それは、
「自分が別れることになった」
 ということを、自分で納得させられないので、
「同じ時期に思春期に入った」
 という感情をでっちあげることで、まるで、免罪符であるかのように感じさせるのであった。
 子供の頃に、
「免罪符」
 というものを考えながら成長してきたということを自覚してくると、学生時代などで、
「彼女ができない」
 あるいは、
「別れてしまった」
 ということに対して、自然と、
「免罪符」
 というものを考えるということになるのではないだろうか。
 それが、
「ストライクゾーンの広さ」
 ということであり、これは、
「自分で、顔やスタイルを重視しない」
 ということで、彼女がすぐにできるだろうという考えからだった。
「ストライクゾーンの広さ」
 というのは、確かに厳密に言えば、
「顔やスタイルを重視しない」
 というよりも、人を好きになるということが、
「顔や表情を見て、その人の性格を判断する」
 ということから、本当は、
「顔からの判断なので、顔重視だ」
 ということを、免罪符として、違う考えかたにすることで、
「結局、ストライクゾーンを広くとる」
 ということでの、自分なりの納得ではないかということである。
 だから、大学時代などでは、
「あれだけストライクゾーンが広ければ、お前は彼女もすぐにできるかも知れないな」
 ということを言われたが、まわりが考えているのは、別のことであった。
 というのは、
「松島と一緒にナンパや合コンをしても、好みが重なることはない」
 という安心感が生まれることであろう。
 まわりは、
「松島だって、それくらいのことは自覚しているだろう」
 ということであったが、最初の頃は、その自覚はなかった。
 大学2年生くらいになると、
「重なることはないな」
 と感じるようになったが、それまでは、
「合コンによく誘われるな」
 という思いがあっただけだ。
 結局、まわりは、
「合コンなどのように複数形式の時は、一人くらい、噛ませ犬になるような人物が必要だ」
 ということで、その白羽の矢が、いつも、松島に当たっていたということであろう。
 ただ、松島の、
「ストライクゾーンの広さ」
 というのは、本当のことであった。
 実際に、
「好きになる人として、顔から性格を判断する」
 という考えに間違いはなく、
「だからこそ、ストライクゾーンが広まるわけで、優先順位が他の人と違うわけではなく、結局は、同じだったのではないか?」
 と考えるのであった。
 きっと、
「顔から性格を判断する」
 という考えかたは、松島だけであるものではなく、他の人誰にでもあり得るということではないだろうか。
 大学時代は、結局、数人の女性と付き合ったということであったが、実際には、
「長くて3か月」
 というものであった。
「あなたとは合わないわ」
 という女性もいれば、
「何も言わずに、連絡を経とうとする女性」
 というものいた。
 特に、何も言わずに連絡を経つ女性というのは、
「訳が分からない」
 ということで、気が付けば、
「追いかけるようにする」
 ということであった。
 いわゆる、
「ストーカー」
 というものなのかも知れない。
 もちろん、
「自分がストーカー気質だったなんて」
 と考えるが、それは、
「好きで好きでしょうがなかった」
 という相手ではなかった。
 それよりも、
「一緒にいた時が楽しくて、付き合っている時は絶えず、一緒にいて楽しかったということだけを想像していた」
 ということであり、それこそが、幸せだったという感覚であり、別れることで、
「その感覚を味わえなくなった」
 ということであり、
「味わってはいけない」
 という立場になったわけで、
「味わってしまえば、すでに過去の女ということで、こんなに苦しい思いはしたくない」
 と感じることになるに違いない。
 つまり、女性と付き合うということは、
「絶えず、お花畑的な中に自分がいないと気が済まない」
 ということであり、
 その幸せな瞬間を壊したのが、彼女なのだと思い込むことで、
「相手に対しての執着が生まれる」
 ということになるのではないだろうか?
「ストーカーになる」
 というのは、
「決して、好きで好きでたまらない」
 という思いからだけ出てくるものではないともいえるだろう。
作品名:一感情全偶然 作家名:森本晃次