一感情全偶然
から始まることになるのだが、結局、日本は、国防などの観点から、東アジアに権益を持つ必要があったということで、結局は、
「衝突したことで、欧米列強から、避難を浴び、経済制裁を食らった」
ということによって、致命的に資源が少ない日本とすれば、
「欧米列強の圧力に屈するか?」
あるいは、
「新しい資源地帯を目指して、進軍するか?」
という二者択一ということになったのだ。
軍の士気であったり、世論やマスコミの支持を考えると、とても、欧米列強の圧力に屈するということはありえない。それまでに、たくさんの兵士が、日本国のために死んでいったということを考えると、
「もう引き返すことができないところまで来ていた」
ということだ。
そもそも、東アジアは、欧米列強の植民地ということであったので、そこからの脱却と、新秩序の建設ということから、
「大東亜共栄圏を目指す」
というスルーがんから、圧力をかけてくる欧米列強と、
「一線を交えることもいとわない」
ということから、
「大東亜戦争突入」
ということになったのだ。
しかし、実際に戦争開始前に粉われた。
「机上演習」
などで、
「とても勝ち目はない」
ということから、戦争前夜は、
「外交で何とか打開」
という方法が考えられていた。
しかし、列強は、
「日本を戦争に引き込みたい」
という思いがあったことから、結局、
「戦争不可避」
ということになった。
「勝ち目のない戦争をいかに戦うか?」
というのは、一つしかない。
「勝つ戦争を行う」
ということではなく
「負けない戦争」
というのを行うしかないということであった。
もっといえば、
「どうすれば、負けずにうまくいくか?」
ということで考えられたのが、
「最初に、相手を完膚なきまでにやっつけて、戦意を喪失させ、連戦連勝の間に、外交を用いながら、いかに、一番有利なところでの講和に持ち込むか?」
ということであった。
それが、日露戦争の時だったともいえるのだ。
ただ、戦争を始める時には、国民に、
「最高の戦争機運を高める」
ということで、マスゴミなどを使って、相当国民を陽動するということを行ってきた。
だから、戦意は高揚し、士気も高い状態で、目的通りの連戦連勝だったのだ。
しかし、問題は、
「本来であれば、このあたりで講和に持ち込む」
ということであったが、それに対して一番のネックになったのが、皮肉なことに、日本の世論ということであった。
それはそうだろう。
「連戦連勝で勝っている状態で、停戦交渉というのは何事か?」
ということである。
特に、
「日本の未来のために死んでいった英霊に申し訳がたたない」
という考えから、国民のほとんどは、
「戦争継続」
というものを望んだだろう。
そうなると、
「いったん初めてしまった戦争を辞めるということができなくなった。軍の中にも、このまま快進撃を続ければ勝てるのではないか?」
と思う人も出ただろう。
「相手から降参してくるかも知れない」
という思いである。
しかし、圧倒的な工業力と、国土の差は、一目瞭然で、最初から、
「長期戦は戦えない」
ということが分かっていただけに、政府も、軍首脳も、
「辞めることができなくなってしまった戦争」
ということで、かなりの苦悩があったことだろう。
そうなると、後は、
「国民の士気を喪失させず、戦争遂行を全うするしかない」
ということになることで、
「情報統制」
ということが行われ、さらに、
「国民生活が困窮しても、苦しい言い訳をして、日本は必ず勝つ」
といい続けなければいけなくなったということだ。
要するに、
「進むも地獄。戻るも地獄」
という状態になったのだった。
結局は、
「日本という国が焦土となって、一般市民が犠牲になった」
ということであるが、それを果たして、すべての責任を。
「軍部」
や
「政府」
というものに押し付けていいのだろうか。
「ウソの報道をした」
ということで、マスゴミも非難される。
確かに、マスゴミは非難されても仕方がないとは思うが、本当に非難される部分は、そこではないということではないだろうか。
というのは、
「最初に、国民の士気を高めたり、戦争機運を高める」
ということで、相当国民を扇動したということが問題だったといえるのではないだろうか?
だから、世論もそれにつられて、戦争熱が高まったともいえる。
ただ、片方から見ればそうなのかも知れないが、全体で見て、
「世論の戦争機運に載せられた形で、マスゴミも国民を煽った」
とも言えなくはない。
ただ、どちらにしても、
「マスコミの本分」
というものがこの時正しかったのかということであれば、
「記事が売れる」
という側面が強かったと考え、若干の本分が見失うことになったといってもいいだろう。
もっとも、この傾向は、
「戦後さらにひどいものとなり、今のマスゴミを見ていれば、どっちがひどいか?」
というのは、甲乙つけがたいといってもいいだろう。
要するに、
「戦争」
というものであっても、
「結婚」
というものであっても、
「いかに終わらせることができるか?」
ということが問題であり。
「少なくとも、終わったあとの後始末」
というものが、どんな終わり方をしようとも、問題として残されることになるということであろう。
堂々巡り
松島が、45歳まで勤めてきた会社を、まるで、青天の霹靂としてリストラされることになったが、なんとか新しい会社で、しかも、
「今までの経験を生かした職に就くことができた」
というのは、ありがたいことだった。
「新たな気持ちいで、心機一転」
ということで、
「気分は新入社員」
ということであったが、実際には、
「デザインの経験とスキルを活かしての再就職」
ということになったので、会社内では、かなり専門的な会話が飛び交っているので、その会話に、積極的に参加していた。
本来であれば、
「まだまだ新入社員」
ということで、遠慮すべきところがあるのだろうが、実際に平均年齢から考えると、45歳という、松島の年齢は、
「結構高いところにある」
といってもいいだろう。
もちろん、
「途中入社ということで、自分よりも若い連中が、先輩ということになるのだから、お互いにやりにくい」
というのは当たり前のことである。
ただ、
「幸か不幸か」
松島は、年齢よりも若く見られることが多かった。
へたをすれば、
「45歳という年齢なのに、見る人によっては、30代に見える」
という人も結構いて、その中でも、
「完全にお世辞だろう」
とは思いながら、
「30代前半でも行けますよ」
という人もいるくらいだ。
確かに、自分でも、
「30代くらいであれば、鏡を見てそう思うかも知れないな」
と感じていた。
しかし、
「30代前半」
というと、、
「おべんちゃらにしか感じない」
と思っていたが、
「そうでもないかも?」
と感じたのは、会社で、
「桐生和子」
と意識しだしたからかも知れない。



