一感情全偶然
「普通に離婚していれば、楽しい思い出だけでよかったのに」
と思う。
しかし、あの怖い思いがきっかけになったのだから、結局は、避けては通れないものだったといってもいいだろう。
一番悪かったのは、
「すれ違い」
というものに気づかなかったことだろう。
すでに、何も言わなくなった時、
「きっと女房の心の中では、すでに離婚というものは決定事項だった」
ということに違いない。
つまり、
「実家に帰る」
ということも、
「離婚届を書く」
ということも、すでに決定したことを、形式的にこなしているだけだったということになるのであろう。
よく言われることで、
「離婚というのは、結婚の何倍ものエネルギーを必要とする」
というのがあるが、まさにそのことだったのだろう。
それが、無理を押し通すことで、
「知りたくもなかった女房の怖い部分」
を思い知らされるということになり、本当は、
「知らぬは旦那ばかりなり」
ということで、皆知っていたのかも知れない。
実際には、
「俺たちの結婚は最初から決まっていたことで、出会った時から、運命づけられていたんだ」
という、まるで、
「お花畑的な発想」
という発想だったのだが、後から思えば、
「相手の悪い部分を知らないのが自分だけだった」
ということで、他の人は、
「ちょっとあの人は」
というところを分かっていて、分かっていない自分が結婚するということになったというのも、考えてみれば、必然だったのかも知れない。
そう、
「だから、成田離婚などという言葉が流行ったのだ」
ということになるだろう。
要するに、交際期間というと、
「相手のいいところしか見えず、悪いところなんてない」
と思っているから、
「この人が結婚相手としてふさわしい」
と考えるのだ。
それが、自然とそう見えていたのであれば、それでいいのだが、どうしても、
「ひいき目」
に見てしまうということがある。
「いい部分だけ見えて、悪い部分が見えてこない」
というわけではなく、
「いい部分だけを見るようにするから、悪い部分が見えていたとしても、見ないようにしていた」
ということではないだろうか。
「路傍の石」
という発想があるが、
「河原などに、石ころが敷き詰められていたりするが、そこにあるという意識はあるが、その一つ一つにまで意識がいくことはない」
ということだ。
だから、
「河原に石ころが敷き詰められている」
ということは分かっているのだが、ハッキリと意識できているはずなのに、まるで意識しないかのように、後から思い出しても、何ら印象として残らないというものであった。
この感情は、
「路傍の石」
という感覚であり、
「意識して、意識しないようにしよう」
という感覚があるのかも知れない。
それが、
「ひいき目に見てしまう」
ということを、自分の中で、
「無意識に見る」
という考えから、結局、
「都合よく見よう」
という一種の。
「色眼鏡だ」
といってもいいだろう。
だから、交際期間には分かっているかも知れないが、それを重大な問題と認識しないことで、
「ひいき目に見る」
ということになるのだ。
そのまま、
「最初から結婚しようと思っていた」
という思いが、本当はそうでなくとも、結婚が違づいてくると、そういう思いになることだろう。
それが、
「結婚へのエネルギー」
ということで、
「無理をしている感覚が最初からないものだ」
ということで、スムーズに進むことになる。
そして、
「結婚式」
というセレモニーが終わり、新婚旅行に行くと、
「初めての二人きりの共同生活」
ということで、それまで、見えていたはずなのに、ひいき目で見ていた部分が、結婚したことで、相手を、
「自分の所有物」
であるかのように思うようになってしまうと、相手にもその感情が伝わるのか、
「初めて、ぎこちない感覚」
というものが見えてくる。
今まで、なかったはずの、
「感情のすれ違い」
というものを感じると、
「あれ?」
と思ったうえで、
「どうすればいいんだ?」
と思うことだろう。
交際期間に本当は、克服しなければいけなかったものを、
「ひいき目」
として見ることで、見過ごしてきたのだ。
本当であれば、その部分を、自分なりに、相手に対して、自分の考えを示すなどして説得を試みようとしていれば、
「こういう時はどうすればいい」
というノウハウが生まれてくるというものである。
しかも、交際期間というと、
「結婚というものを、ゴールだ」
と考えていたかも知れない。
実際に結婚してみると、
「肩の荷が下りた」
と考えるかも知れないが、実際には、
「そこからがスタートになるのだ」
確かに、
「結婚することで、交際期間のゴール」
ということになるだけで、
「二人の人生はこれから」
ということなのだ。
それを認識できていないと、
「あれ?」
と思ったところで、すべてが、
「ぶっつけ本番」
ということになり、
「結婚してした」
ということを、
「してしまった」
という、後悔の念に襲われることになると、最初から、後ろ向きの考え方になるということである。
そうなると、お互いに、
「逃げの心境」
というところで意気投合してしまうと、
「成田離婚」
というのも当たり前ということだ。
「まだまだ若いんだから、他にもいるだろう」
という思いであったり、
「まだまだ結婚には早かった」
というようなことをお互いに思ったとすれば、
「じゃあ、別れよう」
ということになるのだ。
確かに。
「戸籍が汚れる」
ということであったり、
「世間体」
という問題もあるだろう。
しかし、時代は変わって、
「バツイチ」
というものが当たり前ということになり、中には、
「バツイチの方がモテる」
などという噂もあったりする。
そう、本来なら、
「中年になるくらいまで、独身」
ということであれば、
「何か欠陥があるのではないか?」
ということで、バツイチよりも嫌だと言われていたが、今の時代は、諸事情があるのだろうが、
「結婚しない男女」
というのが増えてきた。
それだけ、
「結婚する」
ということに
「必要性を感じなくなってきた」
ということであったり、
「離婚率が高い」
ということから、
「どうせ離婚するのであれば、結婚なんかしない方がましだ」
ということであった。
それも、前述のように、
「離婚は結婚の何倍ものエネルギーを使う」
ということになるからだ。
そして、
「物事は、始める時よりも、終わらせることがいかに難しいか?」
ということでもある。
それが、例えば、
「戦争」
というものにも言えるのではないだろうか?
特に、かの、
「大東亜戦争」
などがそうではないだろうか?
というのは。
「そもそも、欧米列強が東アジア、特に中国に食指を伸ばしているところを、日本も進出してきたことで、衝突が起こった」
というあたりから、話が始まる。
実際に、この話を最初から始めようとすると、
「ペリー来航による開国」



