いたちごっこの光と影
ということだろう。
大学にもいかなくなり、そのうちに、大学も中退してしまった。
結局、田舎では何も知らない親とすれば、
「大学中退」
の時点で、説教をしようにも、本人の所在が不明ということになったので、何も言えなかった。
もちろん、捜索願は出したが、警察が、
「事件性のない」
というものを、いちいしh取り上げるわけもなく。その時に親たちも、
「警察の」
いや、
「世間というものの冷たさ」
というものを、いやというほど味わっていた。
その頃息子の方も、そんな世間の理不尽さ」
というものを分かってきていて、
「組に突っ込んでしまった足が、そう簡単には洗えない」
ということが分かったのだ。
だからといって、落ち込むことはなかった。
世間の理不尽さというものも同時に感じていたので、
「こうなったら、世間への反発の機会を、この組織で得られたわけだから。俺が、今度は組織を利用して。世間の理不尽さに挑戦してやる」
と感じていた。
しかし、
「組織における上下関係は厳しいものであり、まるで。奴隷扱いされている」
ということに関しては、不満があった。
それだけに、
「自分にしかできないこと」
というのを身に着けて、
「立ち回っていく」
という考えに至った。
そのために、
「どうすればいいか?」
ということを考えた時、
「自分の二面性で、相手を欺く」
ということを考えたのだ。
それが、光と影というものであり、。
「自分が以前、カリスマ性を発揮し、まわりから慕われていた」
ということを思い出し、
「カリスマ性を発揮する表」
というものと、
「暗躍して、その存在が分からないというような影に徹する」
という両面を示そうと考えたのだ。
時系列の捜査
実際に、
「俺には、二重人格的なところがある」
というのは、今から思えば、
「高校時代から感じていることだった」
というのであった。
高校時代というと、
「自分が今までで一番輝いていた時期だった」
ということで、思い出そうとすると、まるで昨日のことのように思い出せるのであった。
それを思えば、
「影に徹する」
ということも、
「俺だからできるのかも知れない」
と思ったということであった。
ここまでは、なかなか証言してくれる人もいなかったので、それ以降の時代に証言から、想像したものであったが、
「ほぼ間違いない」
ということだろうと、樋口刑事は考えていた。
刑事というのは、いろいろな人間と正対する必要がある。
特に犯罪者などが、そのほとんどだが、結構、
「二面性を持った人間」
というのが結構多かったかも知れない。
逆にいえば
「犯罪を犯すような人間」
というのは、
「二面性を持った人間が多いのではないか?」
ということと、
「その二面性の性格から犯罪計画を練ると、結構いい案が浮かぶ」
と考えた。
それは、
「犯罪者の気持ちにも、被害者の気持ちにもなれる」
ということで、
「被害者に同情しない」
という考えを持てば、
「被害者側の心理から、計画通りに犯罪を遂行せしめることが、可能となってくるだろう」
という思いがあったのかも知れない。
さらに、
「多面性を持っている」
ということになると、今度は、
「捜査する側の刑事の気持ちにも近づけるかも知れない」
というものであった。
実際に、構成員などやっていると、警察に眼をつけられているということもあって、
「理不尽な逮捕」
ということもあるだろう。
取調室で、刑事が尋問する時というのは、
「最初から、相手をやくざ」
ということで、
「ひるんではいけない」
と思っているからか、威喝の意味も込めて、
「相手を下に見る」
という態度をあからさまにしている。
しかし、片桐の場合は、
「本当に犯人としての逮捕」
ということではないような場合、警察からの威喝の尋問の際、
「こいつら、どうせこっちを下に見て、あまく見ている」
という感覚で見ていると、
「少々の威圧くらいは気にしない」
という余裕がもてるので、態度とすれば、
「相手の威喝に乗っている」
というふりをしながら、
「警察というのが、どういう時にどういう態度を取るか?」
ということを、自分で研究していたのだ。
だから、
「時々、わざと捕まる」
ということをしていた。
「前科が付く」
などというのは、そんなに気にすることはなかった。
ついた前科というのも、
「傷害」
であったり
「暴行」
などという、そこまでひどいものではないので、警察も、
「こいつは、どうせチンピラでしかない」
というくらいにしか考えていないことだろう。
それを思えば。
「逮捕されるうらいは、勉強だ」
と思えば別に気にならない。
兄貴分も、片桐の性格を分かっているので、黙っているのであった。
そんな片桐は、両面を持っているということで、組からは重宝された。
こんな男を、
「鉄砲玉」
であったり、
「身代わりに使う」
などというのは実にもったいないということも分かっていたことだろう。
そこで、目を付けたのが、
「裏の仕事人」
ということであった。
これに関しては。片桐としても、
「願ったり叶ったりだ」
と思っていた。
「裏の仕事は自分にふさわしい」
と思い始めていただけに、
「組幹部と利害が一致した」
ということであった。
特に、片桐は、
「口が堅い」
ということも目に留まった理由であり、なんといっても、
「片桐という男の独創的な発想は、影の仕事にうってつけだ」
ということであった。
しかも、その裏の仕事は、結構危ないということでもあったが、片桐の中での、
「勧善懲悪の精神」
というものに共鳴していた。
「組に入っていて勧善懲悪とは何事か?」
といわれるかも知れないが、
「片桐にとっての勧善懲悪というのは、他人の勧善懲悪というものとまったく違うのであった」
そう、彼の
「勧善懲悪」
というのは、
「懲悪の方に特化している」
ということであった。
つまり、
「悪を懲らしめることが、善を助けることになる」
という、本来の勧善懲悪の精神に、近いのかも知れないのであった。
それを、組とすれば、
「利用しよう」
と考えたのだ。
もちろん、片桐も、
「そこに自分の存在意義」
というものを見出したということであり、それが、片桐にとっての、
「一番の腕の見せ所だ」
ということであろう。
そんな片桐を、
「時系列に沿って調べる」
というのは、
「実に合理的だ」
ということであった。
なるほど、普通の捜査をしていれば、
「片桐が、影も行動をしていた」
ということが分かるかも知れないが、
「なぜそんな影に徹するようになったのか?」
という本当の理由が分からないだろう。
つまりは、
「片桐という人間の本質」
というものをとらえることができないということであり、それこそ、
「組織や片桐の思うつぼに嵌ってしまう」
といってもいいのではないだろうか?
「片桐という男の二面性の本質がどこにあるのか?」
作品名:いたちごっこの光と影 作家名:森本晃次



