分裂犯罪
ということかもしれない。
そうなると、特別賞が一番候補で、佳作は、おまけくらいにしか考えていないんだろうな?」
と思っていた。
実際に、出版社からの担当が連絡を取ってきたのは、
「本当に連絡がくるのか?」
と考え始めた、専攻の発表があってから、数か月過ぎていたからであった。
「最初は、ぬかるみの悦びだけを与えたんだ」
と思っていたが、それでも、本当に連絡があったことは、嬉しかった。
もしそれが、
「最後の人」
ということであっても、宣言通りに連絡をくれたということは、それだけ紳士的な対応だと思ったからだ。
何といっても、小説やマンガの新人賞応募などというのは、
「これ以上ない」
というくらいにブラックなところが多いということだ。
「作品の選考に関しての問い合わせは一切不可」
であったり、
「原稿は返さない」
ということであったりと、
「あまりにも不透明で曖昧な部分が多い」
ということからも、誰も、出版社を信じたりはしないということになるのであろう。
そういうことから、過去にあった、
「自費出版社系の詐欺事件」
というものが起こるというものだ。
それなのに、
「どうして、選考方法を変えないのか?」
ということで、新人賞に応募する人が疑問を持つことになり、新人賞応募も減ったかもしれない。
しかし、そもそも、
「本気で出版する気がない」
という人が応募してくるというのも、結構あるということで、
「実際には、自然と最初からふるいに掛かったかのようで、よかったのかもしれない」
と、出版社側は感じているのかもしれない。
要するに、手間が省けるということであろう。
自費出版詐欺
「自費出版社系詐欺事件」
というのが、今から約20年くらい前にあり、かなり大きな問題となったものだった。
すでに、時間もかなり過ぎているということから、すでに人々の記憶から殺傷されたという人も結構いるに違いない。
その寺家というのは、原因としては、いろいろなものが考えられるであろうが、他の詐欺と同じで、
「どうせできっこないが、あわやくば」
と思っている人が多かったということが要因の一つだったのではないだろうか?
そもそも、小説の執筆というのは、趣味としても、やっている人は珍しいであろう。しかし、よくよく考えていれば、
「これほど、お金のかからない趣味というのはない」
といってもいいのではないだろうか。
普通趣味といえば、
「ゴルフ、スキーなどのスポーツ」
であったり、
「園芸や菜園など」
であったり、
「旅行など」
のように、そもそもに、道具が必要であったり、場所を借りたりするのにもお金がかかるということであったり、移動するのにもお金がかかるということであった。
しかし、小説の執筆というのは、
「筆記具と用紙、あるいは、パソコン一台」
さえあれば、場所は、机といすさえあればできるということなので、道具代も、場所代もいらない。
家でやれば、移動費もただということで、確かに、
「これ以上安上がりな趣味はない」
といえるだろう。
もちろん、本気でプロを目指したり、コンクールの入賞をねらったりするには、教材うあ、教室に通うなどしてお金がかかることもあるだろうが、あくまでも、趣味として楽しむだけということであれば、そこまでお金がかかるということもない。
それを思えば、
「小説の執筆は、どれほどハードルの高い趣味ではない」
といえるだろう。
しかし、どうしても、小説を書くという趣味の人は少ない。もっとも、
「趣味で小説を書いています」
と公言する人が少ないからなのか、実際には、なかなか聞かないし、実際にパソコンを広げて、街のカフェなどで書いている人の姿を見ることはない。
昔であれば、有名プロ作家ともなれば、
「田舎の温泉宿を定宿にしていて、そこで、アイデアを練りながら書いている」
などという姿は、今では見ることもできないだろう。
実際に、昔にも、そんな作家がたくさんいたとは思えない。
なぜなら、
「小説家というと、出版社の担当の目が光っていて、締め切り近くになると、編集者が哲也で張り付いている」
などというシーンをマンガやドラマでよく見たりしていた。
そんな状況で、そう簡単に、自宅を離れることができる人は、よほど日頃から締め切りを守っている作家だったり、有名作家で、出版社の立場よりも、作家の方が立場が上というほどの実力のある作家しかいないだろう。
そうなると、そんな作家がそう簡単にいるはずもない。
それを考えると、
「作家も出版社も、それぞれに辛いところだ」
ということになるだろう。
要するに、小説家というのは、
「アマチュアのうちが華だ」
ということになる。
それでも、小説を書いている人の中には、
「いずれはプロに」
と考えている人がほとんどであろう。
そもそも、
「小説を書きたい」
と感じた時、プロというものを意識しなかった人というのは、本当にいるのだろうか?
誰もが、
「プロを目指す」
ということで、あきらめずに、
「最後まで書き上げる」
という、一番最初で最大ともいえる難関を乗り越えたのは、少なくとも、
「プロになりたい」
あるいは、
「1冊でもいいから、自分の作品を出版したい」
という人なのではないだろうか?
そのためには、自費出版社系が現れるまでは、
「有名出版社が公募する新人賞や賞に入賞する」
ということと、
「自作の小説の持ち込みを、直接出版社にかける」
というものである。
前者が、一番オーソドックスなもので、
「趣味の段階から、小説家になりたい」
と考えた人が、誰もが考えることであろう。
応募資格は、応募要項に書かれていることさえクリアできていればいいというわけである。
「年齢、性別、職業」
などに制限があるというわけではなく、誰もが応募できるものである。
もちろん、
「日本語ができない外国人」
でもない限り、募集要項に当てはまらないということはない。
しかし、実際の文法であったり、一定の作法が身についていない作品は、最初の段階でふるいにかけられるというのは当たり前のことである。いわゆる、
「応募に値しない作品」
と呼ばれるものである。
その後には、
「部収容考に沿っていないもの。例えば、ジャンルが微妙に違っているもの。文字数制限をオーバーしているもの、逆に、短すぎるもの」
なども、最初にはじかれるというものだ。
実際に、ここまでで、残りが3割くらいしか残らないというものも少なくないということであった。
そこからが、本当の審査というもので、実際に、作品の優劣を判定するというのは、最終選考に残った作品ということで、実際には、そのあたりの詳しい選考までは分からない。
しかし、中間発砲ということで、
「最終選考の終わった時点で、その途中の通過者は色分けなどで分かる」
という仕掛けになっているということで、その発表は、出版社が出している月間雑誌での発表になっているということだ。



