分裂犯罪
「ありがとう。僕が今のように、作家になれたのも、君のおかげだ」
といって、褒めちぎるのである。
実際に、褒められて嫌に感じる人はいないだろう。それは、遠藤氏としても、同じことであった。
ただ、それまで自分でも気づかなかったが、
「褒められると、思った以上に有頂天になる自分がいる」
ということであった。
しかし、遠藤氏の場合は、
「褒められて伸びるタイプ」
ということではないだろうか?
人によっては、
「褒められたり、おだてられて、それで伸びるなんてありえない」
と思っている人も若干数いるということである。
実際に、遠藤氏も、それまでは、その考えに近かったといってもいいだろう。
「褒められて伸びるなんて、そんなのは、本当の実力ではない」
と思っていたのだ。
そこに、何らかの信憑性があったわけではない。自分のまわりにそんな人がいたというわけでもないが、なんとなく感じていたのだった。
それは、きっと、
「俺の身体に流れる家老の血というものは、影響しているのではあるまいか」
と感じていたのだ。
なるほど、家老の血であれば、主君のためであれば、自分を犠牲にしても余りあるというくらいに思えてしかるべきだと思っていた。
それこそ、
「上杉景勝と直江兼続の関係」
といってもいいかもしれない。
「本来であれば、自分が大名になってもいい」
というくらいの実力があり、あの秀吉から、
「上杉家を出て、自分の家来にならないか?」
といわれたのを、丁重に断ったくらいだ。
もっとも、秀吉は、数々の有能な人間に、
「自分の部下にならないか?」
といっていたということなので、どこまで信じていいのか分からないが、少なくとも、そのほとんどの人が、その後有名となり、歴史に名を残していることから、
「秀吉の眼力」
というものは、侮ることはできないということになるだろう。
実際に、秀吉の配下になると、主君である上杉景勝と肩を並べる地位に上るということも可能であろう。
しかし、それをしなかったというのは、
「出世欲がなかった」
というよりも、
「家老としての血」
というものと、
「それだけ、主従の関係が深い者だった」
ということであり、どちらにしても、
「秀吉が見込んだだけの根性のある男だった」
ということになるだろう。
だから、生涯、上杉家のために尽くした従者ということで、歴史に名を残し、ひょっとすると、
「主君としてではなかった」
ということが、この男の本来の姿だったことで、余計に歴史の表舞台で輝いたということになるのかもしれない。
特に、戦国時代というのは、そういう、
「軍師」
であったり、
「参謀的な存在」
という人が、多く登場している。
「群雄割拠の戦国時代」
と呼ばれる時代において、大名が、大名として生き残るには、
「優秀な部下」
という存在が不可欠であっただろう。
特に、
「下の者が上にとって代わる」
といわれる、
「下剋上」
と呼ばれる時代なのだから、それも当たり前のことだといってもいいだろう。
それが、その時代の最大の特徴といってもいいだろう。
今の時代に通じるものがあり、
「歴史は繰り返す」
ということを感じさせるというものであった。
もちろん、今の時代に、
「戦国の世」
という歴史とはまったく違っているが、その側面では、
「企業間の競争」
であったり、
「出世欲」
というものが、戦のようなものとなって、静かに燃えているという世界を考えると、
「戦ではない戦」
といってもいいのかもしれない。
だが、実際に、
「作家デビューをした佐藤氏」
とは、若干の距離を取るようになった。
なるほど、作家としてのネタを提供するということに関しては、
「忠実なしもべ」
というものを演じているということであろう。
それを、
「従順」
といってもいいかもしれない。
作家デビューというものをしたおかげで、二人の間に、表向きには若干の亀裂のようなものが見えるかもしれないが、実際には、そんな亀裂のようなものはなかった。
ただ、心の中で遠藤氏は、
「俺は作家になりたい」
という思いを、佐藤氏が作家になった時点でも、隠しきっているのは、
「我ながら、すごいと思う」
と、遠藤氏は考えていた。
その思いを、もし知っている人がいるとすれば、
「それは、佐藤だけだろうな」
と思っていたが、確かにそうだった。
佐藤氏は実際には、遠藤氏の心が、遠藤氏が感じているよりも、分かっているようだった。
だから、
「遠藤氏には、佐藤氏に対して隠し事はできないだろう」
ということになるのであった。
佐藤氏とすれば、かなり、
「遠藤氏に対して遠慮というものを感じている」
ということだった。
そこには、
「かつての先祖に対しての、後ろめたさ」
というものがあったからだ。
それは、
「自分の代で、佐藤氏の領主としての地位を手放すことになった」
という思いからである。
今の時代になると、そんなことは当たり前のことで、一人の人間ごときが、歴史の大きな波に逆らうことなどできるわけもない。
そんなことはわかっていて、しょうがないことだということも分かっているのに、それでも、律儀に、後ろめたさを感じるというのは、
「領主としての血」
というものが、結局は、
「世間知らず」
ということだったに違いない。
それを思えば。
「佐藤氏と遠藤氏は、お互いに必要以上に気を遣いあっている」
といってもいいのではないだろうか?
佐藤氏というのは、遠藤氏に、
「後ろめたさ」
というものを感じていて、遠藤氏は佐藤氏に対しても、
「ひそかに作家を目指す」
ということを隠しているという、別の後ろめたさというものを感じている。
お互いに、後ろめたさということで引け目を感じているのだが、その感情は違うものであった。
しかし、それでも、感情的な根底にあるものは、実に近いところにある。それは、
「それだけ二人の主従関係というものが、表から見ているよりも深い」
ということを示しているということになるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「遠藤氏が作家になり、デビューすることになれば、二人の関係はぎくしゃくするのではないだろうか?」
というのは、
「遠藤氏だけの鳥越苦労」
という気がしてくるのであった。
佐藤氏は、遠藤氏が、
「小説家になりたい」
という野望を持っていることを、ウスウス気づいている。
それを妨害する気があるのであれば、とっくに何かのリアクションを示しているはずである。
しかし、そんなことはなく、今の状況では、
「自分のために、取材をいろいろ敢行してくれている」
ということを感じ、素直に、
「有難い」
と思っているのだから、佐藤氏には罪はないといってもいいだろう。
そんな二人の関係は、結構長く続いていた。
「作家になりたい」
という気持ちは相変わらずだったが、仕事や佐藤氏の支援ということが、思ったよりも多忙だった。
特に、
「ライターといってもフリーだから」



