分裂犯罪
というのは、そのほとんどが倒産していて、比較のしようがないということであった。
それだけに、
「この会社のどこがよくて、悪いのかということを選別できないでいた」
というのが、本音だった。
だが、
「自費出版社の会社」
というものを、少しは見直してみるというのもいいかもしれないと思うのだった。
実際に入って見ると、営業的な仕事も任された。
とは言っても、しょせん派遣ということで、張り付くということまではなかった。
実際には、
「できあがった原稿をもらいにいく」
ということであったり、
「相談に乗ったりする」
という程度のことだ。
実際に、以前のような張り付いてでも原稿をもらうというような仕事ではない。そこまでの出版社ではないということで、あくまでも、その業態は、
「自費出版をしたい人のお手伝い」
というものであった。
向田氏の担当作家として、例の、
「富豪作家である佐藤俊介」
がいたのだ。
佐藤氏は、ミステリー小説に、オカルトを降り増せるような小説を得意としていた。
実は、向田氏が志していた作家というのも、似たような作品だった。
これは、面接の時に、社長から、
「だったら、佐藤氏の担当などいいかもしれないな」
といわれたのだった。
佐藤氏というのは、そもそも、もっと有名なところで書いていたのだが、最近では、なかなか本屋に作品が並ぶこともなくなったということから、早々と、有名出版社に見切りをつけて、この出版社に乗り換えた。
他の作家のように、
「原稿料だけでは食っていけない」
ということはなく、まだ、
「悠々自適な作家生活」
というものができるということからの、余裕というものであった。
だから、向田氏は、
「じゃあ、僕にやらせてください」
ということになったのだ。
「きっと、話が合うかもしれないな」
ということであったが、実際には。そこまで簡単ではなかった。
そもそも、作家の担当で、ちょうど、空いていたというのも、偶然とは言い切れないだろう。案の定、
「誰も、佐藤氏の相手ができない」
ということから、どんどん担当が辞めていったという、お決まりのストーリーということであろう。
確かに、
「同じ内容の小説を書くということで、佐藤氏も興味を持ってくれて、話は聞いてくれるが、それ以外の時は、横柄なもので、何をどう話しかけていいのか難しい。その場を取り繕うというのが、どれほど難しいのか」
ということであるが、向田氏とすれば、
「少しでも、佐藤氏の作風や発想を盗むことができれば」
と考えたのだ。
そのために、
「一挙手一同」
というものを見ていたといってもいいだろう。
そのうちに少しずつ打ち解けてくるというもので、短刀を初めて3か月くらいで、だいぶ落ち着いた話もできるようになってきた・
それまでは、話を聞いてくれていても、どこか、探りを入れるような素振りがあったので、緊張感がハンパないと思っていたが、最近では、余裕をもって話すこともできる。
それが、いいことだったのだ。
そのうちに、
「先生、先生」
と、何かにつけて、持ち上げるように話すようになると、相手も、まるで子供のように、それを受け入れているようで、お互いに、
「安心感というものを求めていたんだ」
ということに気が付いたということではないだろうか?
それを考えると
「結局は、お互いに作家だ」
ということになるのであろう。
佐藤俊介が作家になってから、その家老ともいうべき遠藤は、新聞記者になっていた。
いろいろなところに取材にいき、一時期は危険と思われるようなところにも取材に生かされることがあったので、
「さすがに、身体が持たない」
ということで、新聞記者を辞めていた。
そして、雑誌記者になったのだが、その時はどこかに所属というわけではなく、フリーのライターとなっていたのだ。それでも、その取材の才能は持って生まれたものなのか、それとも、それまでに培われたものなのか、とにかく、才能があるということで、フリーでも十分にやっていけるということであった。
新聞記者としても、危険さえなければ、そのまま続けていても十分だったことだろう。
そういう意味では、
「新聞社は、一人の優秀な人材を失った」
といってもいいだろう。
そんな遠藤の取材が、そのまま佐藤の、
「小説のアイデア」
として使われることも多かった。
最近の佐藤の取材では、結構幅広いところが多かった。
そもそも、
「自然を中心とした風景を題材にして、キジを書いている」
ということから、温泉や風光明媚なところ、さらには、食レポのような、
「文化的記事」
というのが多かったが、中には、
「都市伝説的なオカルト性のある記事」
というものを定期的に依頼してくる馴染みの出版社もあった。
普通の人はあまり乗り気ではない取材なのかもしれないが、遠藤とすれば、
「これは、佐藤の小説の題材になるな」
ということで、その取材の依頼を、いつも快く引き受けていた。
そういう意味では、佐藤の題材としての問題は、そんなにはなかったのだ。
実際に、遠藤が集めてきた題材が、結構、ネタのストックとして保管されている。
「紙の記事」
として保管してあるものも、
「パソコンにメモ帳機能を使って保存してある」
というものもある。
そんな遠藤が、
「実は彼も密かに、作家になりたい」
ということを熱望しているということを、知る人はいないだろう。
実際には、
「いろいろな取材もその目的のため」
ということであった。
佐藤氏が、オカルト系のような、
「都市伝説」
であったり、
「最後の数行で読者にあっと言わせる」
というような、
「奇妙な物語」
というものを得意とするようになっていたのだが、そのような小説を得意とするからなのか、佐藤氏の小説には、
「短編の話」
というものが多かった。
さすがに短編ともなると、結構書かなければ、作品としては成り立たないということになる。
だから、彼の本を文庫化すれば、
「どうしても、短編集という形にしかならない」
ということになるだろう。
だから、そんな短編集を書き続けるには、数多くのネタが必要というわけで、遠藤氏の集めてくるネタが、それこそ大切となるのであった。
遠藤氏の方は、実はそんなに焦っているわけではない。
それでも、最初に佐藤氏が、デビューすることになった時は、正直、
「焦らなかったわけではない」
ということであった。
「あの佐藤がデビューするなんて」
と、本当は、デビューできるとしても、もう少し時間がかかるのではないかとばかりに、タカをくくっていたというわけだ。
それでも、デビューしたからには、そもそもの、
「家老の血」
というものに逆らうことができないのか、
「応援や支援にまわる」
ということを余儀なくされるわけだった。
それこそ、
「人間の性というものではないだろうか?」
ということで、半分は諦めの境地のようなものがあった。
実際に、遠藤が集めてくる題材に、佐藤氏は、いつも嬉々として素直に喜びを表現している。



