質より量
ということで、
「余計に、母親に対して、自分がジレンマに陥っている」
と感じさせられるに違いない。
しかも、
「自分が感じている思いを、親には知られたくない」
という感覚と、
「本当は分かってほしい」
という思いから、結局は、
「絶対に知られたくない心境だ」
と感じるようになったのであった。
もちろん、
「父親が元々は悪い」
ということもあったのかも知れないが、高校生になった頃には、
「俺には父親はいないんだ」
という意識が強く、
だから、
「高校で行く塾というもののプレッシャー」
というものと、
「母親へのジレンマ」
ということで頭の中がいっぱいになり、
「母子家庭は当たり前」
と感じるようになった。
確かに、友達と一緒にいると、
「お父さんが家にいる」
ということが、どこか鬱陶しいと思うようになった。
実際に、今までに、
「お父さんがいなくて寂しい」
と感じたことはなかった。
というのも、父親は、区v費を開けば、
「お前は、いい学校に入って、いい会社に入ればいい」
という、まるで、
「昭和の考え」
というものを持っていたのだ。
そもそも、父親は、
「大学も、三流大学。会社も、地元の商社に入社し、営業となっていたが、その営業成績も悪かった」
ということで、その責任を、
「学歴」
というものに押し付けていた。
「お父さんのような三流大学出身者というのは、誰からも相手にされず、成績が悪いと、ぼろくそに言われ、結局、いい人生を送ることができない」
という理屈をこねていたのだ。
それが、正しいか間違いなのかということは正直分からない。だが、
「大人の理屈だ」
ということは分かっていて、しかも、それが、
「昭和の考え方」
ということも分かっていた。
「今は学歴社会」
というわけではない。
とは言われているが、実際には、いまだに残っているとも言われている。
ただ、
「父親が言っていることは、時代遅れも甚だしい」
という思いから、
「時代遅れだから、父親が嫌い」
ということなのか、
「父親が嫌いだから、時代遅れに聞こえてしまう」
ということなのか分からないが、少なくとも、
「どちらを天秤に架けたとしても、結果は同じことではないか?」
ということであった。
ただ、洋二とすれば、
「今さら父親のことを意識したりm思い出したりする」
というのは、
「まったく意味不明な感情だ」
といってもいいだろう。
そんなことを考えていると、
「また今日も塾に行かなければいけないのか?」
ということで、
「母親に感じたジレンマ」
というものに対し、父親が絡んでくるということになると、何やら、
「三すくみの関係になるのではないか?」
と思えてくるのであった。
強盗殺人
洋二青年が、塾を終えてから帰宅する時間は、いつも、午後9時半くらいだった。
たまに、
「表で食べてくる」
ということもあり、そんな時は、午後十時半くらいになることがあった。
しかし、帰ってから、風呂に入ったりすると、
「寝るまでの間に、ほとんど何もできない」
ということで、
「なるべく、夕飯は家で食べるようにする」
と考えて、ほとんど、
「午後九時半」
くらいには帰ってきていた。
塾は、週二回で、火曜日と金曜日であった。
母親は、
「子供の養育と生活」
だけではなく、
「塾の費用もねん出しないといけない」
ということから、
「火曜日と金曜日以外の平日」
に、スナックでアルバイトをしていたのだ。
その時は、昼のパートが終わっての、夜の仕事、夕飯の準備は、その合間に済ませるということだったので、移動も含めると、月曜日と金曜日は、
「朝出勤してから、夜のスナックが終わるまでの夜12時まで、ほとんど働きづめ」
ということになるのだった。
息子とすれば、
「なるべく、母親と顔を合わせたくない」
と思っていたので、
「これがちょうどいい」
と思っていた。
親とすれば、
「もう少し一緒にいてあげたい」
とは思っていたが、まさか息子が、そんな風に思っているとは知らなかったといってもいいだろう。
「子の心、親知らず」
というところであろうか、
そんな感覚は、
「今の子供であれば、当たり前のこと」
といってもいいかも知れない。
特に、学校で、いじめ問題などが起こってからか、家庭内で、
「引きこもる」
という子供が増えた。
しかも、児童だけではなく、大人になってからも、結婚せずに、仕事もなく、
「自宅で引きこもる」
という人も多いということで、
「それが、今の時代だ」
ということであるなら、なまじ、
「昭和の考え方」
というのも、
「古臭い」
といって、一概にバカにできるというものではないだろう。
だから、
「確かに父親の考えも極端だが、だからといって、今の時代の考え方が正しい」
といえるわけではないのであった。
父親がどうであるかは、今は関係ない。
ただ、
「そんな考え方をする人間が、自分の親父だった」
ということで、洋二とすれば、
「自分にもその血が流れている」
と考えると、
「決して自分の子供には、同じ思いをさせない」
ということで、
「親父と同じことは、俺は絶対にしない」
と思っていたのだ。
ただ、母親に対して、あまりいい印象は持っていなかったが、それでも、
「いつも、申し訳ない」
とは感じていたのだ。
それも、一種の、
「ジレンマ」
というもので、
「そのジレンマが、最終的に自分を苦しめている」
ということを分かっていたのであろうか?
その日は、
「友だちと夕飯を食べてくる」
ということで、
「午後十時半コース」
ということになった。
塾の近くにあるファミレスでの食事だったが、時間的には、塾が終わるのが、
「午後八時半」
ということで、普段であれば、
「塾を出てから、徒歩で駅まで、そして電車に乗って、最寄り駅まで乗り、そこから歩いて15分ほど」
ということで、
「決して遠い」
ということではないのだった。
もちろん、夜の移動ということで、近いとはいいがたいが、どうしても、食事をするということになると、
「帰りが億劫になる」
というのも当たり前のことで、
「食事も、ちゃんと時間を決めてからでないと、へたをすれば、ずるずると遅くなり、家に帰って、風呂はいいか」
などということになると、疲れが取れないままということで、
「生活リズムが崩れてしまう」
ということは分かっていた。
だから、
「一時の気のゆるみが、生活リズムを崩し、精神的に時間をいたずらに過ごしてしまうことに、辛さを感じることになる」
と考えるのであった。
だから、皆とも相談して、
「食事は一時間」
と決めていた。
洋二はまだ近いからいいが、中には、電車から、バスに乗り換えて帰る人もいて、そうなると、
「最終バスの時間がなくなる」
ということになり、その子にとっては、
「死活問題だ」
ということになるのであった。
だから、寄る店も、いつもきまっていて、



