質より量
「小学生の頃の算数に比べ、型にはまったやり方での数学というものの、何が楽しいというのか?」
と考えると、自然と、
「面白くない」
ということで、興味が薄れてくるというものであった。
本来であれば、
「その数式というものが、本当はどういう役目なのか?」
というのが、一種の、
「生きる道」
というものの礎となるのが数学だと分かることになるのだろうが、一度興味を失ってしまうと、今度は、
「面白みを取り戻す」
ということに関しては、
「勉強を嫌いになる一因」
ということなのだ。
当然、中学に入ってから、成績は落ち始めた。
2年生の途中くらいから、
「塾に行かないと間に合わない」
と親が判断したようで、
「お前は塾に行って、勉強の遅れを取り戻さないと、いい学校にいけない」
ということで、半ば強引に、
「塾通い」
というものを強制された。
成績が落ちている途中で、精神的に自分の中で、
「なぜ、勉強に興味がなくなっているのか?」
ということは分かっているはずなのだが、成績と比較して考えることで、理屈が分からないと思うようになってきた。
だから、
「親がいうから」
ということで、塾通いをしているが、それこそ、
「親のいいなり」
と考えるようになった。
「親のいいなり」
ということであるが、それが、
「子供として、屈辱」
と感じるようになったのは、高校に入ってからであろうか。
中学3年生くらいになると、
「塾の効果」
というのが現れたのか、成績は、それなりに上がってきた。
高校受験も、
「少々上のランクも目指せる」
というくらいに感じていたが、実際に、担任の先生も、
「五分五分と思っていた学校を受けてみるのもいいかも知れないな」
という、確実ではないが、
「太鼓判的なものを押してくれた」
ということで、本人も、
「受けてみたい」
ということで受験した。
実際に、合格というものにこぎつけることができたのは、親としても、
「息子はやればできる」
と思わせるに十分で、息子としても、
「これが俺の実力か?」
と少し、自信過剰になっていたのかも知れない。
ただ、高校に入ると、状況は一変した。
一学期の途中くらいで、すでに、
「追いつけなくなってきた」
ということで、
「周りからおいて行かれる」
ということになったのだ。
「中学時代は、トップクラスとまではいかなくても、上位に入っていた実力があった」
ということであったが、
「高校生になると、とたんについていけなくなった」
のである。
まわりの生徒が、
「皆秀才」
という風にしか見えなくなり、自分が、劣等生というイメージを引きずることになった。
その理由が分からなかったが、途中で分かってきた。
考えてみれば、
「当たり前のこと」
といってもいいだろう。
「中学時代には、いろいろなレベルの生徒がいたのだが、高校受験では、成績順にふるいに掛けられ、特に自分は、五分五分と言われた学校を受験したのだから、ギリギリのところで入学したのかも知れない」
ということになる。
もしそのことを自覚し、
「最初から、下の方のレベルだ」
ということが分かっていれば、もう少し早く打開策を持てたかも知れない。
もっとも、
「低いレベルの入学となる」
ということが分かっていれば、
「最初から、こんな学校を目指す」
などということはない。
そもそも、入学試験というのは、模擬試験などのように、
「自分の学力を計ることが目的」
ということではなく、あくまでも、
「学校側がふるいにかける」
ということが目的だということになるだろう。
つまりは、
「入学試験が最終目的」
というのは、
「受験戦争」
というものだけのことであり、本来の戦いは、
「入学してから決まる」
ということが分かっていれば、
「なるほど、最初からそんな学校を目指そうなどと思わない」
と後から思えば感じることであろう。
そういう意味で、
「結局また大学受験のために、塾にいく」
ということになるのだが、あくまでも、それ以前に、
「学校の勉強に追いつく」
ということが目標であるということで、
「高校生になって塾に通うのは、中学時代までとは違い、そこか、屈辱的な感覚に襲われる」
ということになるのであった。
しかも、
「親が考える、塾に通っているレベル」
というものと、
「実際に、本人が感じているレベル」
との間に、かなりの開きがあるということで、
「精神的なものと、勉強という実践」
という二つは、
「親と本人の間のギャップだ」
といってもいいのではないだろうか?
それを考えると、
「親の心子知らず」
というよりも、
「子の心、親知らず」
ではないだろうか?
ただ、それは、子供だけが感じていることで、本来であれば、
「親が考えていることを子が共有し、古賀考えていることも親が共有する」
ということが当たり前なのだろうが、今の状態は、完全に、
「親の言いなり」
ということであった。
「親に何でも言える子供」
ということであれば、ここまで悩むことはないのだろうが、そのことに気づくのは、かなり経ってからのことであり、
「結局すれ違いというものが、親子の間にいつの間にか形成されていく」
ということになるのであった。
今年で、高校2年生になった、
「坂田洋二」
は、一人っ子で、今は、
「母と子」
の二人で暮らしている。
両親は、洋二が10歳の頃に離婚したということであった。
子供には、
「お父さんは、お前を英才教育しようとしていて、お母さんとの教育方針の違いが結局、お互いに許せないところまできたので、離婚することになった」
といっているが、
「まだ、子供のお前には分からないよね」
といって、言い訳をしていたが、そう言われてしまうと、
「子供の自分では分からないことなんだ」
と思い込んだことで、成長しても、その時の言葉がトラウマとなり、
「それ以上のことは考えないようにしよう」
と思うようになったのであった。
だから、
「両親の離婚は、俺のため」
ということでもあり、
「お母さんの気持ちはよく分かる」
ということで、完全に、
「母親の味方」
と思っていたが、洋二が中学生になると、まるで、
「昔の父親が乗り移ったのか?」
と思うようになってきた。
昔の父親への記憶はほとんどなかったが、中学生になった頃の母親を見て、
「どこかで、あんな母親の感覚を感じたことがある」
ということで、しかも、それが、
「母親に対してではない」
ということで、最初こそ、
「デジャブ現象ではないか?」
と考えていたが、
「実はそうではない」
ということで、よく考えてみると、
「ああ、子供の頃の嫌な思い出としての、父親のイメージだったんだ」
という感覚だったのだ。
だが、
「母親というのは、子供のことを一番に考えている」
という思いが強ければ強いほど、子供に意識させるもので、
「特に、子供の頃に感じた嫌な思い出を思い出さされたことで、トラウマだけではなく、ジレンマというものにも襲われることになった」



