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質より量

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この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年9月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。

                 プロローグ

「いつ頃から、俺はこんなに毎日が面白くなくなったのだろう。よく考えてみれば、楽しかったというものを思い出そうとしても、思い出せない。なかったはずはないと思っているのに、なぜか思い出せないのだ」
 そんなことを考えているのは、人生もほぼ終着駅に近づいているという老人ではない。
「まだまだ人生これからだ」
 というはずの、まだ、高校生ではないか。
 今の時代というのは、
「生きていて何が楽しいというのか?」
 というのは、
「勉強すればするほど、世の中の限界を知る」
 ということになり、
「何が楽しくて生きているんだ」
 としか思えないような世の中になってきて、理屈で考えたり、世の中を、つながりで考えたりすると、それこそ、
「お先真っ暗」
 としか思えないのだ。
 それでも、
「大学受験」
 というのは待ってくれない。
 確かに、
「大学に合格して、何があるというのだ?」
 ということではあるが、
「目の前にある大学入試を、棒に振る」
 ということの方が、いかに早まったことなのかということを考えると、
「受験しないより、する方がいい」
 という、
「完全な消去法による人生」
 といってもいいだろう。
 だから、親が言う通りに、塾に通うことになるのだ。
「親の言いなりではないか?」
 ということで、嫌々のことであった。
「本当は勉強は嫌いじゃなかったのに」
 と、思うようになった。
 確かに、
「勉強すればするほど、知りたくないことを知ることになる」
 ということで、勉強を嫌いになった理由は分かっているのだが、それまでは、結構好きな科目があったものだ。
 特に、小学生の頃は、
「理数系」
 といわれるものが好きだった。
 特に、算数は
「好きでもあるし、成績もよかった」
 といえる。
 算数の面白いところは、
「答えは、ほとんどが一つ」
 ということなのだが、
「正しい答えを求めるのに、そのプロセスは、どうやってもかまわない」
 というものであった。
 つまり、
「理屈に合っていれば、途中の式が間違っていなければ、正解」
 ということである。
 へたをすれば、
「答えがあっていても、途中のプロセスに間違いがあれば、その答えはバツということになる」
 ということであり、逆に、
「答えは間違っていても、途中の式や考え方があってさえいれば、前者よりも、点数はいい」
 といってもいいだろう。
 もっとも、
「考え方があっていれば、ほとんど、正解に導かれる」
 ということに違いはないだろう。
 ただ、小学生の算数というのは、
「解き方もいろいろある」
 ということで、自分オリジナルの解き方をしても、
「それは、過去に誰かが解いた解き方の一つに過ぎない」
 といわれる。
 オリジナリティを求めたい人には物足りないかも知れないが、逆に考えて。
「一つの答えを導くのに、過去の人が幾通りも考えた」
 ということで、
「いずれは、過去の人が考えなかった方法を思いつきたい」
 と考えるようになり、小学生の頃は、真剣に、
「算数博士になりたい」
 などと思ったものだ。
 実際に、一つの問題で、いくつもの解き方を考えてみたが、実際には、
「過去に考えられたものでしかない」
 ということでしかなかったが、
「あきらめたくはない」
 という思いから、結構、
「算数は面白い」
 ということで、よく担任の先生と、放課後、算数談義をしたりしていたものだった。
 さすがに、小学生の頃は、
「塾に通いなさい」
 というようなことはなかった。
 そもそも、算数を中心にして、成績はよかったので、親もそこまで考えなかったのだろう。
 ただ、実際には、ちょうどその頃、親の事情として、
「生活するだけでも大変だった」
 ということで、
「子供を塾に通わせる余裕などない」
 というのであった。
 だから、小学生の頃は、
「のびのびと勉強ができた」
 ということである。
 好きな科目は算数だけではなく、理科も好きだった。
「理科が好きだ」
 という理由は、
「算数が好きだ」
 という理由とは若干違っていた。
「理科に関しては、成績がよかった」
 というのが理由だった。
 別に、
「理科が特別好きな科目」
 というわけでもないし、
「勉強が分かりやすい」
 ということでもなかった。
 しかし、意識の中で、
「格好いい」
 という思いがあったのは確かで、なんといっても、
「白衣を着て、試験管や顕微鏡などを使っていると、特撮に出てくる、博士を思わせる」
 という意識があった。
「正悪、それぞれの組織には、科学研究室というのがあり、そこで開発された兵器や武器が、活躍するシーン」
 というものを強く意識していたのは間違いないだろう。
 その感覚が功を奏したといってもいいのだろうが、そのくせ、
「危険な化学実験」
 というものには、臆病になっていて、中学に入ると、理科に興味がなくなってきたのは、
「実験のような、実践教育が増えてきた」
 とことからであった。
 さらに、中学に入ると、あれだけ好きだった算数が、
「数学になってしまった」
 ということで、こちらも、興味を失ってしまったということであった。
 特に、
「算数と数学との違い」
 というものが、歴然としているということで、
「数学は嫌だ」
 と、次第に毛嫌いしていくことで、成績は必然的に落ちてきて、
「数学は苦手だ」
 という意識になってくるのを感じていたのだ。
「数学というのは、公式というものがあり、その公式を用いて、正しい答えを導き出すことができれば、それが正解」
 というものであった。
 だから、
「答えを導き出すために、幾通りかあり、そのどれを使っても構わない」
 というものではなく、最初から、
「与えられた式の下、その式に中の数字を求めるのが、数学というもの」
 ということで、小学生の頃と同じ数字に関する学問でも、名前が変わるということは、
「明らかに、違う学問」
 という意識が強く、
作品名:質より量 作家名:森本晃次