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質より量

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「本当に、殺されかけたり、殺されたりする理由を持った人たちなのだろうか?」
 と思えてならないのであった。
「まったく想像もできない犯人がいて、しかし、その犯人が分かってみると、その意外性に、電流が走ったかのようなショックを感じるかも知れない」
 といえるだろう。
 とにかく、見えている犯行としては、どちらも、
「幼稚ともいえる犯行だ」
 といえる、
「とても、ち密な知能犯には見えないが、それこそが、犯人の計略ではないか?」
 と考えると、
「堂々巡りをさせられている」
 といってもいいだろう。
 この事件が、
「偶然なのか?」
 ということを考えた人は、捜査員の中にもいるだろう。
 ただ、時期が近いというだけで、連続犯を匂わせるものは、それほどなかった。
 あくまでも、
「最初の被害者の勤めていたスナックのパトロンの工場で、死体が見つかった」
 ということであれば、
「死体が運ばれてきた」
 ということで考えるなら、
「死体を動かした」
 ということの理由として、
「この事件二つを結び付けよう」
 という考えから生まれてきたものではないか?
 そんな風に考えられるということであるが、
 そうなると、いろいろな疑問が感じられる。
「死体を運んだ」
 ということは、
「鑑識が捜査すれば、簡単に分かることだ」
 ということはハッキリするだろう。
 それを分かっていながら、
「なぜ、犯人はわざわざ死体を動かす」
 ということをしたというのか?
 何かの疑問を呈させようとしているとしても、そこに何の意味があるというのか、とにかく、
「警察の捜査で分かる」
 ということを、カモフラージュなのか、
「捜査を混乱させる」
 ということでの意図になるのか、どちらにしても、その考えが、曖昧にしか思えないのであった。
 死体を動かすということは、
「誰かに見られる可能性だってある」
 と考えれば、
「それだけでも、危険なリスクだ」
 といえるに違いないのに、なぜ、そんなことをしたというのだろう?
 それを考えると、一つ、
「俺に考えていることがある」
 と思っている刑事がいたのだ。
 それが、
「K警察署の刑事課」
 にいる、
「秋元刑事」
 であった。
 彼は、事件解決において、
「奇抜な発想を推理に用いる」
 ということで、事件解決に今まで何度も導いてきたということであった。
 ここで、彼が注目したのが、
「犯人の身になって考える」
 ということで、
「動機」
 というものに注目していたのだ。
 もちろん、警察の捜査で、推理ばかりを優先するわけにはいかないというのは、当たり前のことであり、
「状況証拠に基づいて、犯人を絞り込んでいき、そこから、物的証拠を探しだす」
 ということが、
「犯罪捜査において、一番大切なことである」
 ということは分かっている。
 だから、
「組織捜査が必要」
 ということになるのだろうが、そこで、犯人としても、
「そんな警察の捜査に対して、いかに逃げ切ろうか?」
 と考えるのだから、
「推理を巡らさないわけにはいかない」
 ということになるだろう。
 そこで考えられることとしては、
「今回の事件において、分からないことが多く、実際に、被害者の身辺調査をしても、
二人を殺したいほどの動機を持った人はいない」
 ということであった。
 しかも、一人は、
「強盗に見せかけた」
 ということで、カモフラージュしているということになる。
 もっとも、
「本当の強盗」
 の可能性もないわけではないが、それにしては、物色があまりにも少なすぎる。
 あくまでも、
「強盗に見せかけるため」
 ということで、仕方なく細工をしたと思えるほどだ。
 となると、
「何をそんな紛らわしい方法で、強盗に見せかける必要がある」
 というのか、
 普通に考えれば、
「犯行をカモフラージュする」
 ということで、
「捜査のかく乱を狙った」
 ということになるであろう。
 しかも、
「強盗はカムフラージュだ」
 と、相手に分からせるかのような、それこそ、
「幼稚なやり方」
 というのは、
「本当に、発想が幼稚なのかも知れない」
 とも思わせる。
 片方では、
「緻密に思わせる犯行」
 でありながら、どこかで、
「幼稚に見える」
 という犯行を行っている。
 ということは、
「犯罪のどこかに限界があるのではないだろうか?」
 と思えるのであった。
 頭脳は、実際に明晰なのかも知れないが、どこかに落ち度であったり、甘さがあるということは、
「机上の発想に掛けては、素晴らしいものがあるが、実際の経験であったり、実践的な経験値というものに掛けては、幼稚でしかない」
 といえるのかも知れない。
「理論的なものと、リアルなもの」
 ということで、
「リアルなもの」
 というものには限界があり、どうしても、超えることのできない考えが、犯行の裏に、
「見え隠れしている」
 といえるのではないだろうか。
「犯罪というものを計画し、それが、事件として形づけられるまでは、あくまでも、計画でしかない」
 といえるだろう。
 となると、
「犯罪を計画する」
 ということは、
「動機があるから、犯行を計画する」
 というわけで、その動機を、
「いかに警察に察知されないようにするか?」
 ということが、警察を、
「犯人や真相に近づけない」
 ということで、一番完全犯罪に近いといえるのではないだろうか?
「完全犯罪」
 というもので、一番完璧なものは、
「犯罪が起こり、警察が捜査を始めても、そこから、誰が犯人なのか、その容疑者すら上がらない」
 というものが、
「一番の完全犯罪」
 というものではないだろうか?
 つまり、
「容疑者が分かってしまうと、その時点で、完全犯罪というものは、成立しない」
 といってもいいだろう。
 容疑者が警察に悟られた時点で、
「犯行をごまかす」
 ということのためには、
「完璧なアリバイ」
 というものをでっちあげる。
 あるいは、
「他に犯人をでっちあげる」
 などという方法を取るしかない。
 そもそも、
「完全犯罪」
 ということで考えられるものとしては、このような、
「後追い犯罪」
 というものが多いといえるのではないだろうか?
 そういう意味で、
「容疑者が定まらない犯罪」
 というものとして、
「一番完全犯罪に近い」
 といわれるものとして、
「動機が判明しない」
 というものである。
 つまりは、
「動機がない」
 ということは、捜査の段階において、
「容疑者として上がってこない」
 ということだ。
 たとえ、被害者と知り合いだったとしても、
「動機」
 というものがなければ、容疑者としてカウントするわけはないだろう。
 実際に、
「動機があっても、完璧なアリバイがある」
 という人と、
「アリバイはないが、動機もない」
 という人であれば、警察は絶対に、前者を容疑者として考えるだろう。
 もちろん、
「アリバイ成立」
 という時点で、一度は、容疑者から外れるということになる。
 しかし、動機のない人間は、最初から、容疑者として上がってくることもないというものだ。
 だから、完全犯罪というものは、
作品名:質より量 作家名:森本晃次