多重推理
ということで、
「どこか、人間が住める星を探し、移住するしか、生きる方法がない」
などという、
「SFマンガのテーマ」
というものが、
「冗談ではない」
といわれることになってくるのかも知れない。
それを思えば、
「真剣に、空気のある星を発見する」
ということなのか、それとも、
「人間が生きていくのに必要なものを、人工で作り出すことができるだけの科学力を持たなければいけない」
ということになるだろう。
地球では、
「タイムマシン」
であったり、
「ロボット開発」
などというものが、まったく開発されていない状況において、
「50年ぽっちで、そんな一気にできるわけはない」
ということになる。
そもそも、今から50年前というと、
「50年後の未来予想図」
ということで、
「ロボット」
「タイムマシン」
などは当たり前のことであり、
「宇宙旅行」
や、
「空中を走る車」
あるいは、
「地下都市計画」
などとあったのに、そのほとんど、どれも開発されていないということで、
「実際に、50年など、あっという間のことだ」
と考えられるに違いない。
それを思えば、
「地球最後」
というのは、昔でいえば、
「核戦争」
などというものによってもたらされる。
と言われてきたが、今では、そんな問題ではなく、
「地球環境の変化によるもの」
ということであり、
「核戦争であれば、因果応報」
と言われていたのに、今の、
「地球環境の変化」
という言い方ではなく、実際には、
「環境破壊」
というもので、それが、真剣に、
「地球崩壊への足音だ」
ということであれば、それこそ、今から半世紀前に描かれた、
「SF」
であったり、
「アニメや特撮」
というものが、将来を見据えていたといえるだろう。
特に、
「空想特撮シリーズ」
ということで特撮ドラマ化されたもののテーマとすれば、
「地球環境の変化によって、生命などの生態系のバランスが崩れ、怪獣などが出現することで、人間に害を及ぼす」
ということであった。
中には、実際に、
「核爆発による突然変異」
ということで生まれた怪獣というのもテーマとしてあった。
政治的な、微妙な考え方というのもその裏にはあったが、実際には、
「特撮ブーム」
というものがあり、
「人気を博した」
と言われたりしたものだ。
それを考えると、
「地球というものを、生かすも殺すも、人間だ」
ということになっている。
それこそ、
「地球に対しての、人間に、生殺与奪の権利を与えられた」
ということになるのだろうが、実際には、それは、
「厳禁だ」
といわれるもので。
その、
「禁を犯した」
ということが、そのまま、因果応報になるということで、
「ひょっとすると、ノストラダムスの大予言で、世界の破滅」
というのは、
「自然破壊」
というものが、一番近く、信憑性のあるものではないか?
ということになるだろう。
ただ、
「動物には慣れ」
というものがあり、身体がそのうち、暑さに耐えられるようになるかも知れない。
ただ、それが、
「人間の死滅までに間に合うか?」
ということになるのだろうが、それは、ほとんど、不可能だといってもいいかも知れない。
セミの声が、けたたましく。
「今年も厳しい夏の到来」
というものを感じさせ、まだ慣れていない身体を容赦なく照らしつける太陽に、すでに、疲れという苦痛がのしかかってくる季節である。
場所は、K駅近くの、線路沿いにある児童公園だった。
そこでは、昼間は、
「暑さなど、どこ吹く風」
とばかりに、子供が遊びまわっていたのだろう。
砂場は、子供が秘密基地でも作ったのか、山が壊れたようになっていて、砂場に降りてくる滑り台には、砂をかぶった様子が見られた。
昼間の滑り台は、高温になりすぎて、やけどしかねないくらいであるが、よほど、子供は、子供なりにうまく遊んでいるのか、砂が残っているということは、直接座ったわけではなく、足で座る形で遊んだということであろう。
セミの声だけでも、鬱陶しいのに、そこにもってきて、子供の元気な声は、疲労困憊の大人には、
「一種の毒だ」
といってもいいだろう。
「仕事だから仕方がない」
とはいえ、
「なるべくなら、外出を控えて」
とばかりに、
「警戒アラートが出ている」
という状態で、誰が、好き好んで表を歩こうというものか。
歩いている時よりも、休憩がてら、どこかに座ったりすると、その瞬間に、身体から汗が噴き出してきて、汗が乾かぬ間に、頭痛に耐えられなくなり、結局、
「自分で自分を制御できなくなる」
ということになる。
だから、
「セミの声も、子供の声も、その時の苦痛によることで、暑さが倍増する」
というよりも、
「暑さから、セミの声と子供の声が自分の中に残っていて、暑さの中のトラウマとして潜在している意識に、実際に聞いた声がシンクロすることで、意識が曖昧になり、めまいを起こしたり、意識が遠のいたりするのであった」
それが、
「トラウマの正体」
なのかも知れない。
特に、今の熱中症というのは、
「日射病」
というものと違って、
「夜でも、気温が下がらない今は、日が暮れてもなることが多い」
と言われている。
なろほど、
「一日の最低気温が、30度以上」
という日が多くなってきているということで、
「夜だから、少しはしのぎやすい」
などという時代ではなくなっているのだ。
そんな状態で、その日、会社の連中と、ビアガーデンで飲んで帰ってきたサラリーマンが、児童公園で、少し休憩して帰ろうと思ったようで、時間的には、9時半を過ぎていたのだが、まだまだ、近くのマンションの窓からの明かりは、結構な数で、
「このあたりも最近、入居者が増えてきたんだな」
と感じていた。
「そういえば、いつだっただろう? 同じように、酒を飲んだ帰り、この公園で休憩して帰ろうと思ったのは?」
というのを思い出してみると、最初は、
「2年前くらいか?」
と思ったが、実際にさらに思い出してみると、
「すでに、4年は経っているんだろうな」
と思ったのだ。
というのは、彼にとって、2年前に、一つの転機というものがあったからだった。
といっても、それは、
「転職した」
ということであった。
今の時代、
「転職」
というものは、そんなに珍しいものではない。
「非正規雇用」
というものが出てきてから、
「終身雇用」
というものがなくなって、仕事をする側も、雇う側も、どんどん、
「時間のある時に働く」
という形態になってきているのかも知れない。
確かに正社員だからといって、将来が保障されているわけでも、いうほど給料が高いというわけでもない。
正社員であっても、
「いつリストラされるか分からない」
という時代であり、リストラされないまでも、
「会社が、どこかと合併」
などということになったりすれば、近い将来の、
「リストラ候補」
ということになるだろう。
そもそも、
「合併か、倒産か?」



