多重推理
というと、
「実行犯と、主犯を入れ替える」
ということであり、
「実行犯は、まったく被害者と関係のない人間」
ということにしておいて、
「本当に動機を持った人間に完璧なアリバイを持たせる」
ということであった。
しかし、
「確かに、交換殺人としての、表に出ていることは、完全犯罪の様相を呈している」
といってもいいかも知れない。
しかし、秋元刑事は、どうにも納得がいかないのであった。
というのは、
「交換殺人だということであれば、お粗末すぎる」
ということであった。
そもそも、
「これを交換殺人などという発想を、果たして誰が持つというのか?」
ということである。
犯人が計画するとすれば、確かに、
「交換殺人」
ということが露呈すれば、半分以上、
「事件は解決した」
ということになるだろう。
交換殺人というのは、まるで数式のようなもので、
「計画通りに進めば、完全犯罪」
ということであるが、それだけに、歯車が狂うと、これほど、危ういことはない。
ということで、それこそ、
「もろ刃の剣だ」
といってもいいだろう。
ただ、最初こそ、
「これは、交換殺人だ」
と思い、その通りの結果になっているのだから、今でも、その思いに変わりはないが、実際に、その
「メッキがはがれている」
ということで、
「何か怪しいところがある」
と思い、せっかく、ある程度まで進んでいた推理が、逆戻りすることになったのだ。
それこそ、
「俺は間違っていたのかも知れない」
という思いだけではなく、
「犯人にはめられている」
ということで、
「犯人の書いた計画に、まんまと載せられている」
と考えたのであった。
そこまでくると、
「少し頭を冷やそう」
と感じたのだ。
事件の奥の奥
今度は、もう一人の。
「名探偵」
F警察署の、
「樋口刑事」
である。
彼も、実は。
「交換殺人ではないか?」
ということは考えていた。
しかし、彼が引っかかったのは、少し違うところからであった。
というのは、
「発見された時間と、犯行時間が逆だった」
ということからであった。
そもそも、交換殺人というのは、
「動機を持った主犯に、完璧なアリバイを持たせる」
ということが、犯行手段を使う目的ということになる。
そのため、
「後になって、発見自国と犯行時刻にそれぞれのずれがある」
ということは、おかしなことであり、
「何か意味があるのでは?」
と考えられた。
そこで、考えたのは、
「片方が毒殺だった」
ということである。
「今回の毒殺は、カプセルに入れた薬の中に、毒を混入していた」
という、
「時間差毒殺」
ということであった。
これは、
「交換殺人」
というものを行うのであれば、
「意味が分からない」
といってもいいだろう。
「完璧なアリバイを作る」
ということであれば、
「死亡推定時刻」
というものが曖昧であれば、まったく意味がないということになる。
「死亡推定時刻がハッキリしているからこそ、容疑者にはなったが、殺すことは不可能だということで、捜査線上から消される」
ということになる。
一度、捜査線上に浮かび、完璧なアリバイがあるということで、容疑者から外れるということになれば、
「よほどの決定的な証拠でも出てこない限り、再度捜査線上に出てくることはない」
ということから、
「こちらこそ、精神的な完璧なアリバイ」
ということで、
「鉄壁のアリバイ」
というよりも、
「鉄板のアリバイ」
といってもいいくらいである。
そう、この時、樋口刑事は、
「この事件は、どこか、叙述的トリックの様相があるかも知れないな」
ということで、結構最初の方から、
「犯人に騙されないようにしないといけない」
ということで、いつもながらではあるが、
「慎重に進めないと、道を誤ってしまう」
と考えたのだ。
実際に、
「赤坂と、長曾我部が、学生時代から面識があった」
ということが気になるのだった。
「この事件は、表だけを見ていては、袋小路にはめられる」
という事件に思えてならないのだった。
そこで、樋口刑事は、いろいろ仮説を立ててみることにした。
というのも、まずは、
「交換殺人だ」
と考えたことと、その矛盾についてであった。
もちろん、
「死亡推定時刻の曖昧さと、容疑者が完璧なアリバイがないといけないという矛盾というもの」
それが一番の疑問点ということであった。
もちろん、樋口刑事は、
「合理性で考える」
ということで、秋元刑事が考えた、
「赤坂と長曾我部が顔見知り」
ということには、最初から引っかかっていた。
ただ、
「それ以上に、今回の事件において、深いかかわりがどこかにある」
ということ、そして、それが、
「心理的なトリックである」
ということから、
「死亡推定時刻と、完璧なアリバイというものの矛盾」
というものに気が付いた。
これは、
「完全犯罪というものなどありえない」
という発想から、
「犯罪計画を練っている中で、それぞれの段階で、矛盾が出てくる」
ということになると、
「合理性の問題」
ということから、
「考えられることの中で、一番効率がよく、合理的な犯罪か?」
ということを考えると、
「中には矛盾というものが出てくる」
ということに気づくことができると考える。
それが、
「犯人の身になって考える」
ということになるのだろう。
それこそが、
「樋口刑事の、秘儀地刑事たるゆえん」
ということで、
「F署内では、彼のやり方に反対を呈する人」
というのもおらず、
「少しおかしい」
と思えることでも、
「樋口刑事の身になって」
ということを考えていくうちに、F署全体の推理レベルが上がっていき、
「県警トップレベルの推理力がある所轄」
といわれるようになってきたのだ。
事件の捜査を、
「樋口刑事なりに精査」
というものをしていくうちに、どこか気にりしない様子が見て取れるのを、
「F警察捜査員」
は気づいていた。
「樋口さんが、あんな様子になるのは、きっと事件の核心に近づいたからなんだろうな」
とみられていた。
昔流行った、
「探偵小説」
に出てくる、
「昭和の名探偵の一人」
といわれる人は、
「自分の気に入った事件にしか首を突っ込まない」
という人であるが、
「とても人情溢れる」
ということで、
「憎めない性格」
と言われていたが、それもそのはず、
「犯人の気持ちを思い図ってか。謎解きをして、犯人が逃れられない」
ということになった時、犯人の中には、
「覚悟の自殺」
というものをする人がいるが、その探偵は
「決して止めようとはしない」
ということであった。
つまり、
「犯罪防御率というのは、爆発的に高い」
ということになるのであった。
樋口刑事は、そこまではなかったが、どちらかというと、
「人情的なところがあり、その考えが却って犯人が計画した、心理トリックであったり、叙述トリックには引っかからない」
ということであった。



