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夢の連鎖の悪夢

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「まったく騒がなくなり、世間から見捨てられる」
 ということになるのだ。
 マスゴミとしては、
「他に活躍している人に鞍替えしないと」
 ということになるのだ。
 つまり、
「持ち上げておいて、一気に叩き落す」
 というのが、マスゴミという商売である。
 その証拠として、
「大東亜戦争」
 の時がそうだった。
 戦争前の頃は、
「大陸に侵攻して、日本の領土を広げる」
 ということを、正当性をもって賛美していた。
 だから、国民も、それに乗せられて、
「軍国主義」
 としての、考えが、
「軍における士気」
 というものを高めることになり、
「すべてがうまくいっていた」
 ということになる。
 だから、戦争がはじまると、
「実際に快進撃をしていた」
 という事実もあるが、
「新聞が売れる」
 ということで、どんどん戦勝記事を大げさに書いて、国民を扇動したのである。
 しかし、
「戦局が悪化していき、軍部が、情報統制をした」
 ということで、戦後になって、
「軍が悪い」
 として、すべての責任を軍におっかぶせたというのはいかがなものだろう。
 確かに、
「本来であれば、当初の計画通り、頃合いを見て、和平に持ち込む」
 という作戦があったにも関わらず、強行突破で戦争を續けたというのも、大きな問題だといえる。
 しかし、それよりも、
「ここで辞めると世論が騒ぐ」
 ということで、辞められなくなったというのも事実だ。
 しかも、
「辞められないのは、マスゴミの扇動が大きい」
 ということもあるだろう。
 だから、軍としても、実際の戦果を隠したというのも悪いだろうし、そもそも、
「戦争を始めるという時に、マスゴミや世論を利用した」
 ということで、
「因果応報だ」
 ともいえる。
 しかし、結局戦後になると、そのすべての責任は、軍部に押し付けられ、占領軍によって、
「武装放棄」
 というものをさせられ、再軍備禁止という、
「平和国家」
 ということになったのだ。
 だが、歴史としては、
「軍部が悪い」
 ということで、すべての責任を押し付けたということは、これを、本当に、
「歴史が出した答えだ」
 といえるのだろうか。
 今の政府は、それを思えば、
「当時の軍部」
 よりも、もっと悪いといえるだろう。
「国民は民主主義によって自由だ」
 ということで、政府と軍の違いを見せ、さらに、
「民主主義で選ばれた政府」
 ということで、政府が何をしようとも、文句を言ってもそこまでだということになるのだ。
 なんといっても、
「今の政府が変われば、それだけで世の中はよくなる」
 といっていた時代を最悪だと思っていたが、今の時代のように、
「他にやる人がいないから、しょうがないから、今の人がソーリになっているだけだ」
 というのだ。
 つまりは、
「ソーリにしている以上、国民が悪い」
 ということで、国民からすれば、
「右を見ても左を見ても、まったく何も見えない五里霧中の状態だ」
 ということになるのであろう。
 そういう意味で、
「世界でプレイしている選手をひいきして、持ち上げる」
 などというのは、実に変和ボケを証明しているようなものではないか。
 ただ、疑問なのは、
「自分の子供でもないのに、どうして、そんなに皆が、海外に行った選手を応援できるというのか?」
 ということである。
「皆が皆応援する」
 ということは、
「集団意識の表れ」
 ということになるのではないだろうか?
 考えてみれば、
「集団意識」
 というものほど、恐ろしいものはないといってもいい。
「大日本帝国時代の戦時中は、情報統制であったり、治安維持という観点から、特高警察などというものが存在し、世間を徹底的に抑えていた」
 ということである。
 さすがに、戦況が悪化してきて、国民生活は、貧窮にあえぎ、徴兵も、
「誰にでも赤紙が来る」
 という状態になり、実際に、
「連戦連勝」
 というマスゴミ報道というものに対して、
「さすがに、矛盾している」
 ということで、おかしいと思う人も多いだろう。
 しかも、
「反戦」
 であったり、
「国家体制に異議」
 というものを唱えれば、連行され、
「殺されるかも知れない」
 というほどの拷問を受けることになるのを考えると、
「政府を心から信じるなどできるわけはない」
 と思う人も出てくるだろう。
 しかし、それを口にすれば、
「特高に連れていかれる」
 ということで、国家が、
「本来であれば、自由であり、自由と憲法で決まっているものまで、特別法を作って陽動する」
 というのだから、異常ということだ。
 それも、
「戦時下」
 という有事では仕方のないことであろう。
 しかし、今の、
「民主主義の時代」
 というものであっても、
「さすがに大っぴらに拷問のようなものはできない」
 といっても、ソーリの一存で、世論開いてであれば、多数決で負けていても、
「ソーリの権限」
 ということで、強行突破をするということも、少なくはなかった。
「数年前のオリンピック強行開催」
 というものを思い出さない人はいないだろう。
 そんな政府と、マスゴミは、昔から、国民から見れば、
「一連托生」
 二しか見えないというものだ。
 だから、マスゴミは、
「自分たちに権力がある」
 と思い込んでいるのではないだろうか。
 なんといっても、
「表現の自由」
「出版の自由」
 ということで、
「マスゴミを擁護する」
 という手段は、
「憲法の条文」
 というものからはじまって、いまだにずっと続いてきているものであった。
 そういう意味で。
「なぜに、そんなに、海外で活躍するスポーツ選手を、厭らしいまでにひいきしなければいけないのか?」
 ということと、それ以上に、
「なぜ国民が、皆、海外組の選手を、誰もが持ち上げるのか?」
 ということであった。
 国内で活躍する選手だってたくさんいるのに、これをひいきと言わずになんというか?」
 ということである。
 そもそも、日本の球団とすれば、
「せっかく、ドラフトなどで苦労して取ってきた選手なのに、数年の活躍だけで、法外ともいえる契約金をかっさらわれて、たまったものではない」
 といえるだろう。
 日本にも、
「あの選手が海外に」
 ということで、最初は
「日本で見られなくなるのは残念だ」
 といっておきながら、実際に海外で活躍を始めると、
「日本の誇り」
 などというようになるのだ。
 そして、スポーツでの特にサッカーなどは、日本のリーグをそれほそ興味を持ってみないくせに、
「ワールドカップ」
 などの国際体感になると、急に興味を持ったりする。
「どうして、そんなに海外への進出を、日本の誇りと感じるのか?」
 ということである。
 考えてみれば、
「日本人にそれほど愛国心がある」
 といえるのだろうか。
「愛国心」
 というものが、本当にあるのか?
 よく言われるが、それも、一つの考え方として、
「諸外国との軋轢」
 というものを考えた時、
「大日本帝国の犯した罪」
 を鑑みることで、
「愛国心はもてない」
 と考えるのだろう。
 それの良し悪しというのは、
「その人それぞれの考え方」
作品名:夢の連鎖の悪夢 作家名:森本晃次