夢の連鎖の悪夢
であれば、もちろん、その通りなのだろうが、少しでも関わっていれば、
「自殺をしようとしている人を止めるというのは、本当に正しいことなのだろうか?」
ということである。
確かに、
「自らの命を自分で断つ」
というのは、いけないことに違いはない。
しかし、それは、
「宗教的な考え」
からきているのではないだろうか?
たとえば、
「戦国時代に、数奇な運命に翻弄された女性」
ということでの代表例として、
「細川ガラシャの物語」
があるではないか。
「関ケ原の合戦前夜、石田三成が、西軍に味方させようと、大名屋敷を襲い、妻子を人質にする」
という作戦を立てた。
細川忠興の細君であるガラシャは、
「自分が、主人の足かせになりたくはない」
ということで、自害を考えたということであったが、彼女は、
「キリシタン」
であった。
キリスト教では、
「人を殺めてはいけない」
ということであるが、それは、自分自身に対してもいえることで、要するに、
「自殺は許されない」
というのであった。
となると、
「どうするか?」
ということを考えた時、彼女は、
「配下の兵に、自分を殺させる」
と考えた。
しかし、それが本当に正しいのかは、疑問であり、少なくとも、
「人を殺めてはいけない」
という戒律を、
「自分が破らなければいい」
ということで、
「配下の人間に命じるという形で、自害をする」
という考えはありなのだろうか?
というのも、
「自分の都合で、他人に戒律を破らせる」
ということである。
「自分が、直接しないだけで、人にやらせるというのは、責任転嫁のようなもの」
ということで、
「キリスト教では許されるかも知れないが、この世では許されない」
といってもいいのではないか?
そういう意味では、
「雄二青年の行為は、他人を巻き込んだ」
ということで、
「心境的には、細川ガラシャと類似していた」
ということなのかも知れない。
「雄二は、キリシタンだったのでは?」
という考えが出たとしても、それは無理もないことであった。
晴彦も、実は、キリスト教に感銘を受けていた。
まだ子供ということや、家族などに話をしていないということもあって、大っぴらには誰も知らないという状態だったが、
「キリスト教に、心酔していた」
ということになるであろう。
晴彦の父親は、実はかつて、オリンピック候補に挙がったことがあった。
実際に、出場することはなかったのだが、そこには、何やら、精神的なものが影響していたといってもいいだろう。
「いざとなると、おじけづいてしまう」
ということで、普段の試合では、全国大会であっても、
「無類の強さ」
というものを発揮するのだが、これが、
「オリンピック選考」
ということになると、その力を発揮できないのであった。
何やら、
「オリンピック」
という言葉に、どこか強い意識が働いているのだろう。
そんな父親の光彦の背中を見て育った晴彦青年であったが、子供の頃から、
「夢はオリンピック選手」
と思っていたのだ。
父親とすれば、
「自分の果たせなかった夢に対して、息子が果たしてくれよう」
ということを考えてのことではないか?
と思っていたが、実はそうではなかった。
晴彦とすれば、
「親父のことなど、どうでもいい」
ということで、
「あくまでも、俺が、
「オリンピックに出たい」
というだけで、
「たまただ親父がその候補生だった」
というだけのことだ。
という思いがある中で、
「きっと俺が、オリンピック選手になりたい」
と口にすれば、まず、そのほとんどの人は、
「皆が皆。親父の夢を果たそうと思ってのことではないか」
ということである。
実際に、
「オリンピックに出る」
ということだけに青春を燃やし、それが瓦解したことで、今では、
「別の生き方」
というものが何とかできるようになったというのが、父親だった。
それだけに、父親の本心としては、
「俺が、果たせなかった夢を息子が果たそうとしている」
と考えるのは、そんな自制を歩んできた親父として、本心から、
「うれしい」
と思うだろうか。
逆に、
「俺が果たせなかった夢を息子が果たす」
ということで、ちやほやされるのは、息子ではないか。
しかも、
「父親の夢を果たす」
という大義名分のもと、しかも、
「美談」
という形で語りたいがれることになるわけだ。
「息子がちやほやされるだけでも、辛いのに、これでは、俺はただの息子の立役者になるという、ピエロという存在ではないか」
と考えると、
「俺がどうして、そんな息子の犠牲にならないといけないのか?」
ということで、
「完全に、引き立て役というだけではなく、犠牲になる」
という感覚である。
きっとまわりは、
「被害妄想だ」
ということであったり、
「気持ちがひねくれている」
というだろう。
しかし、他の人も、
「自分と同じ立場」
ということになったら、どうだというのだ?
そんな簡単に許すことができるであろうか。
これが、結局、
「事件の連鎖」
ということになるのか、今度は自殺ではなく、
「明らかな、殺人事件」
ということになったのだ。
殺害動機
今回殺されたのは、
「晴彦青年であり、殺害したのは、親父である光彦氏」
だったのだ。
「目の前で、息子が倒れて死んでいるのを仁王立ちになって、逃げることもせず、震えながら立ちすくんでいた」
というのが、第一発見者の言葉であった。
父親は完全に憔悴していて、
「あれでは、自殺をする勇気もないくらいだった」
というほど、
「意識があるのが不思議なくらいだ」
というくらいに見えたのであった。
「第一発見者というのは、郡司親子とは家族ぐるみでの付き合いだった人であり、結構いろいろと、面倒を見ていたのだった。
母親は、晴彦が小学生の頃に亡くなった。
晴彦が、中学時代に、
「雄二の親友になった」
というのは、
「晴彦にも晴彦なりの事情」
というのがあったからだった。
晴彦は、小学生の頃、友達が数人はいたが、母親が死んだ時、子供とはいえ、その時に、友達の言動が、
「容認できない」
と思えるような理不尽さを感じたことで、
「友だちとして一緒にいる」
というのがいやだった。
ということで、友達関係を解消したのであった。
相手も、
「何のことか分からない」
ということで、きっと理不尽に感じたことだっただろう。
だから、お互いに相手にしないということで、友達が自然消滅したかのようになっていたのだった。
だから、晴彦は、
「友だちは当分いらない」
と思ったことだろう。
ちょうど、
「オリンピック選手になりたい」
というような思いを抱いた時だった。
これは、晴彦が、きっと、
「母親の死」
というものに直面した時、何かを感じたことで、そう思ったのだろうと感じたが、その感じたことが何だったのか?
ということは、分かっていなかった。
ただ、その頃から、



