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二階級特進

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 ということではなかった。
 山林も、杉などの産業になるものもなく、これといった、
「幕府に献上できる作物」
 というものはなかったのだ。
 しかし、それでも、藩として成り立っていたのは、
「戦国時代において、当時の戦国大名が、その資金源として、この村から、銀の鉱脈が発見された」
 ということで、
「戦国大名としての、資金源」
 ということで、この場所は、他の土地とは違った行政で賄われたということであった。
 つまりは、
「領主直轄」
 ということで、今でいえば、
「特別行政区」
 のようなものだったということであろう。
 実際に、
「幕府も、その土地に眼をつけていた」
 といってもいいだろう。
「跡継ぎ不在」
 ということで、一番喜んだのは、幕府だった。
「これ幸いに」
 ということで、
「改易処分」
 となったことで、一気に、
「幕府直轄領」
 ということでの、
「天領」
 となったのだ。
 幕末までは、その
「銀の鉱脈」
 を幕府が独占することで、それぞれの時代における、幕府の財政難を、救ってきた歴史があるということであった。
 明治になってからは、最初は、
「銀鉱脈」
 というのが重宝されたが、時代が進むと、世界的には、
「金」
 というものが重宝されるということで、昔ほどの華やかさはなくなってきた。
 しかも、
「政府直轄」
 などということで、
「甘い汁が吸えるわけではない」
 ということで、次第に街もすたれていくようになり、戦後になると、
「地図にも載っていない」
 といわれるくらいに、
「忘れられた存在になっていた」
 ということであった。
 しかし、時代は、
「地方創生」
 ということになり、
「道路や鉄道などのインフラが整備される」
 などということになると、
「都市を結ぶ」
 ということで、
「交通の要衝」
 ということで、また注目されるようになると、
「道路建設とともに、レクレーション施設」
 などが作られるようになった。
 いわゆる、
「行楽地」
 というイメージである。
 街のほとんどは山間部であったが、その途中においての、
「山のふもとに、湖があり、その湖を囲む形で、小さな、
「樹海」
 のようなところがあったのだ。
 まわりの数か所から、中に入れる道があり、その一か所は、主要道路といわれる国道から、車で入ることができる道に改装し、そんな、
「森林のトンネル」
 を超えると、そこには、
「湖を中心として、新緑に囲まれたリゾート」
 が広がっていたのだ。
 一時期は、たくさんの人が別荘を建て、軽井沢のようなところをいうことで、避暑地としての観光が賑やかだった。
 それが、今度は、バブル経済になってくると、世の中は、
「テーマパーク」
 であったり、
「博覧会会場」
 などの建設ラッシュとなったのだ。
 この、湖畔の土地も、まだまだ開発がされていなかった場所のあったので、そこに、大きなアトラクション会場を作り、
「博覧会が催された」
 ということであった。
 それなりに人は集まったようだが、さすがに、
「都会でのテーマパーク」
 に比べれば、どうしても、見劣りしてしまうということで、なかなか、うまくいかなかったというのが、本音というところであろう。
 そこにもってきて、
「いきなりの、バブルの崩壊」
 ということだった。
 元々、跡地の転用というものも、確立されていなかったのに、
「バブル経済」
 という勢いに乗って、
「乗り遅れてはいけない」
 と、半分、強行したということになり、やはり、
「跡地問題が大きい」
 ということであったが、そこに、
「バブルの崩壊」
 が襲い掛かり、
「ダブルの痛手」
 ということであった。
「結局、山間部に大きな跡地だけが残った」
 ということで、取り壊すこともできず、土地の再利用も中途半端になってしまったのだ。
 元々あった別荘地も、
「バブル崩壊」
 ということによって、売りに出されたのだが、買い手がつくということもなく、この辺りは、
「バブルの負の遺産」
 と言われたところであった。
 それでも、数十年の間に、建物の老朽化ということもあり、
「自治体による取り壊し」
 というものが行われ、その場所がすっぽりと開いてしまった。
 数軒のペンションが、、別荘の跡地を買うということで、経営をすることになったのだが、今では、
「こんな場所が、まだ日本には残っているのか?」
 ということで、最近では、
「観光客が結構いる」
 ということであった。
 そもそもの賑わいの理由というのは、
「外人の観光客」
 というものがもたらした恩恵だった。
 今は、ほとんど外人の姿は見なくなったが、一時期、
「インバウンド」
 ということで、日本に来る外人観光客が増えたことで、街の運営が、
「背に腹は代えられぬ」
 ということで、
「外人どもをターゲットに」
 ということで、外人向けのパンフレットや、観光案内誌に宣伝を乗せたのが、思ったよりも反響を呼んで、観光客が増えたことだった。
 あくまでも、
「風景は、ヨーロッパのような佇まいであるが、内装やサービスは、日本風ということで、それも、外人からすれば、面白い」
 ということになったのだろう。
 数年は、
「外人によって潤った」
 といってもいいだろう。
 しかし、この街の人たちは、元々から、
「外人が嫌い」
 ということだった。
 宣伝をしたのは、
「最後の手段」
 としてのやり方で、
「ダメなら、ここを廃止すればいい」
 ということでの開き直りだったことから、
「嫌な外人でダメなら、あきらめもつく」
 という思いからであった。
 だから、
「外人が来て喰売れたことで、まだやっていける」
 というめどがついたのはありがたかったが、
「外人への客寄せは、3年までだ」
 と決めていた。
 そもそも、
「外人連中は、日本の風土も何も知らずにやってきて、いろいろな観光地を荒らしまわるだけだ」
 ということは、十分に分かっていた。
 だからこそ、
「外人連中は、利用するだけだ」
 と割り切って応対したのが、ある意味功を奏したのかも知れない。
「あいつらの暴挙を我慢できたんだから、相手が日本人であれば、たいていのことは我慢できる」
 と考えたのだ。
 だから、実際に、
「外人への宣伝」
 を始めてからちょうど3年で、今度は、
「外人お断り」
 ということに、完全に方向転換したのだった。
 最初のほぼ一年は、
「外人しか客は来ない」
 ということであった。
 しかし、徐々に日本人も増えてきて、比率は日本人の方が次第に多くなってきて、三年目に突入した時には、
「日本人の方が多くなった」
 といってもいいだろう。
 なんといっても、ここでは、都心部のように、外人どもが行う、
「爆買い」
 であったり、
「得体の知れない行動」
 というものは一切できないという、田舎だったからである。
「外人どもが減るのも、当たり前だ」
 ということで、正直、
「最初から分かっていたことだ」
 と思っていたのだ。
 つまりは、
「この土地は、完全な鎖国体制を取った街」
 といってもいい。

                 鎖国の街
作品名:二階級特進 作家名:森本晃次