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一つではない真実

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 というものを予知できなかったのか?
 と考える人もいるだろうが、逆にいえば、
「それだけ発展が目覚ましい」
 ということで、
「事業を拡大すればするほど儲かった」
 といわれるくらいの時代なので、もっといえば、
「事業を拡大させて儲けにつなげない経営者は、経営者失格だ」
 とまで言われた時代だった。
 だから、
「バブル経済に乗らないと、時代に乗り遅れる」
 ということで、
「社会全体が、バブル経済を後押ししていた」
 ということになる。
 そんな時代に、
「このバブルには限界があり、堅実な商売をしないと、いずれは大きな破綻を招く」
 などということを言えば、
「社会に逆行する」
 ということで、
「余計なことを言って、せっかくの経済成長を邪魔するな」
 といわれるのがオチである。
 要するに、まるで、
「オオカミ少年のようだ」
 といえるのではないだろうか。
 もっといえば、
「社会混乱を招くような言い方は、たとえ可能性があるとしても、招く混乱が、せっかくのバブル経済を崩すことになれば、それはそれで罪悪だ」
 ということになるだろう。
 要するに、
「根も葉もないうわさを流せば、社会が混乱する」
 ということで、その噂の元がどこかということになり、
「自分も関わっている」
 などと思われると、困ったことになるという、
「保守的な考え方だ」
 といってもいいだろう。
 だから、
「バブル崩壊」
 というものは、
「誰か一人くらいは、予知できただろう」
 といわれる。
 しかし、逆に考えれば、
「一人が考えられることであれば、他の人だって考えに及ぶというのは、当たり前のことだ」
 といってもいい。
 そういう意味では、
「一人が分かるかどうか」
 というのが、問題である。
 一人として分からなければ、誰も分かることはない。
 しかし、誰か一人でも分かるのであれば、他にも分かる人が出てきて当たり前だといえるだろう。
 つまりは、
「ゼロか、有か?」
 ということになるのか、
「100か、それ以外か?」
 ということになる。
 つまり、
「100か、それ以外か?」
 ということでなければ、
「ゼロか、有か?」
 ということになるのが、バブル経済に対しての考え方で。一般的な考えが、
「100か、それ以外か?」
 ということであり、それ以外の考え方をすれば、
「ゼロか、有か?」
 ということになるわけで。
「前者の考え方しかできない人間には、後者の発展型の考え方ができないということになる」
 といってもいいだろう。
 バブル経済に対しての教訓から、今の時代は、いろいろ言われるようになった。
「バブル経済」
 においては、かなりの、
「都市伝説的なこと」
 というのが言われていたりした。。
 その一つとして、
「銀行というものは、絶対に倒産しない」
 というものである。
 つまり、
「銀行が潰れれば、社会経済は大混乱に陥る」
 ということから、政府がなんとかして、
「銀行をつぶさないようにする」
 ということが、その根底にあったようだが、
「そもそも、破綻するに十分なだけの負債」
 というものがあれば、いくら、
「政府が銀行を潰さないようにする」
 といっても、そのために、
「政府が危機に陥る」
 ということになってしまっては、どうしようもない。
「銀行どころではない」
 というわけだ。
 そもそも、政府が支援したところで、銀行が生き残れるということはない。
 なんといっても、
「一つの銀行の破綻」
 だけでは済まないからだ。
 一つの銀行が破綻すれば、他の銀行も次々に破綻していく。当然のことながら、銀行からの支援を下に、何とか事業を展開できた会社も、支援がもらえないということで、どんどん倒産してくるというものだ。
「利益を次回の支出につなげる」
 ということで、その利益が得られないということで、次回の支出もままならない。
 いわゆる、
「自転車操業」
 というものが、回らなくなると、企業としては、
「それが破綻」
 ということになる。
「手形は不当たりということになり、倒産」
 ということになる。
 最初は狭い範囲での状況が、あちこちで同じことが起こってくると、社会全体が、完全に崩壊してしまう。
 しかも、
「バブル経済」
 というものが、
「実態のないもの」
 ということで、
「何とか利益を取ろうとしても、実態のないものが取引材料ということで、混乱が起こってしまうと、何をどうしていいのか、混乱だけしか残らない」
 そもそも、経済学者というのは、
「バブル崩壊」
 というものの、シミュレーションもできていたのかも知れない。
 そのうえで、
「どうせ、崩壊してしまうと、どうなるものでもない」
 ということで、少しでも、
「何とかバブル期の延命を」
 と考えたのかも知れないが、それ以上に、
「ここで騒いで、混乱が起こり、その混乱が、バブルを崩壊させた」
 ということで、
「言いだした人間が、余計なトラブルを引き起こした」
 などといわれると、
「本来であれば、起こるべくして起こったということを、すべて自分のせいにされてしまった」
 ということになると、
「これほど理不尽なことはない」
 ということになるのだ。
 だから、
「頭がいい」
 というのも、実に困ったことだ。
「だったら、政府に進言して、政府に考えてもらう」
 ということもできるかも知れない。
 しかし、そんなことをしようものなら、
「保守的で、保身しか考えていない連中にかかると、結局握りつぶされるか、何かあった時は、その責任のすべてを、進言者に押し付けて逃げることだろう」
 としか思えない。
 かつてあった、
「世界的なパンデミック」
 という時代、政府の発表の中に、
「専門家と相談して決める」
 というのが、毎回の決まり文句ということであったが、
「実際に、政府が専門家ともめた」
 ということが、マスゴミにすっぱ抜かれた時、
「政府は、専門家の意見などまったく聞いていなかった」
 ということまで暴露されてしまい、それこそ、
「政府のいい加減さ」
 だけではなく、
「いっていることに信憑性がない」
 ということが、暴露されたではないか。
 そもそも、国民としても、その事実に対して、冷ややかな目で見ていただろう。
「なんだ、そんなことか」
 というような感じである。
「そんなことは最初から分かっているさ。誰が政府なんか信じるもんか」
 ということである。
 だが、
「選挙で皆が選んだんだろう?」
 といわれるかも知れないが、二つ返事で、
「100人が100人、同じことを答える」
 ということになるだろう。
 というのは、
「俺たちが政府に投票したのは、他にいないからさ」
 ということである。
 つまり、
「消去法で選ばれただけの政府」
 ということであり、逆にいえば、
「お前たちしかいない」
 という状況で、
「選択肢」
 というものをなくしておいて、その分、本来であれば、
「国民が、お前たちを選んでよかった」
 といわれるような政治をしてくれれば、それでいいものを、それでも、あくまでも、
「お前たちしかいない」
作品名:一つではない真実 作家名:森本晃次