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一つではない真実

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「いくら、子供の頃に、大人になったら、自分が感じたことを、子供にはしない」
 と思ったとしても、
「結局は、同じことを繰り返してしまう」
 ということになるのだ。
 というのも、
「大人になった瞬間、そして、結婚した瞬間。さらに、子供ができた瞬間」
 とそれぞれに、
「人生の分岐点」
 というものがあり、その時点で、人間は脱皮するかのように成長するといってもいいだろう。
 だから、あくまでも、子供の頃に感じた思いは、
「子供の感覚」
 ということで、大人になったことで、
「子供を叱るのは、大人の責任だ」
 と考えるのだろう。
 しかし、秋元は違った。
「確かに、子供を叱るのは大人の責任なのかも知れないが、ここで、責任という言葉を口にした時点で、親と変わりはないということになる」
 と考える。
 そして、
「だとすれば、子供は、理不尽な思いを抱いたまま、大人になるまで、その理屈が分からないまま」
 ということになるだろう。
「そうなることで、子供の中で鬱積した思いと、大人を見ていて理不尽な苛立ちとが、抑えきれなくなり、学校でのいじめというものを引き起こすのかも知れない」
 と思うのだ。
 だとすれば、それが、
「引きこもり」
 であったり、
「家庭内暴力を引き起こす」
 ということであるわけで、それこそ、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
 というこの問題に、引っかかってくるのではないだろうか?
 だから、
「子供の時の問題は、子供の時に解決しておかなければいけない」
 と考えるのだ。
 今回の事件も、
「何度か解決できる機会が存在し、それが分からなかったことで、事件が絡んでしまったことで、歪な事件となってしまったのかも知れない」
 とも感じていた。
 あるいは、
「その解決できる機会というのは、そのタイミングを繰り返しているというもので、まるで、ループしている中で、完結できないでいることが問題なのかも知れない」
 とも感じた。
 この考えは、実際の、
「捜査」
 というものに関係のあることではないが、
「推理する」
 という意味では重要な意味を孕んでいるような気がする。
 そんな、
「ニワトリが先か、タマゴが先か?」
 などという発想の、
「ループ」
 を考えていると、この事件が少し見えてきたかのような感じがしてきたのは、気のせいであろうか。
 この事件において、どうしても気になるのが、
「なぜ、白骨死体が見つかった時、比較的腐乱していない指輪が見つかったのか?」
 ということであった。
 確かに、そこには、
「ある種の作為」
 というものが垣間見えるが、それが何を意味しているのか分からない。
 今までの事件にも、
「犯人による何らかの作為」
 というものが存在したこともあった。
 そのほとんどが、
「策を弄しすぎて、どこかに穴がある」
 ということであったり、
「余計なことをしてしまったことで、犯人が、墓穴を掘った」
 ということもあった。
 それを考えると、逆に、
「弄する策は、却ってこちらの思うつぼ」
 という考え方もあった。
 そんな時は、
「相手の策に嵌らないように、広い目で全体を見る」
 ということが、
「事件解決に必要だ」
 ということになる。
 もっといえば、
「相手の策に嵌るかどうかが、相手の策を感じた時に問題となることだ」
 といえるだろう。
 そうしても、警察の捜査とすれば、
「物証に対しての裏付けから、事件を暴いていく」
 というのが、常套手段ということになる。
 しかし、実際には、
「そううまくいく」
 というものでもない。
 確かに、
「表に見えていることを一つ一つ潰していく」
 という、正攻法というのは当たり前のことで、
「基本その方法がなければ、事実関係というのは見えてこない」
 ということになる。
 しかし、
「事件というのは、愉快犯でもない限り、犯人としても、何も好き好んで犯罪を犯すわけではない」
 といえるだろう。
「やむを得ず」
 という動機があるはずである。
 例えば、
「お金に困って、食べていくためにやむなく犯罪を犯す」
 であったり、
「復讐のため」
 ということで、これも、今後生きていくためということでの、身勝手かも知れないが、その理由には、それなりの正当性というのがあるというものだ。
 だからこそ、犯人は、必死になって、
「自分が捕まらないようにしよう」
 と考えるだろう。
 中には、
「復讐」
 などの場合は、
「相手を殺して、その場で自分も死ぬ」
 という覚悟の元の犯罪を犯す人もいるが、
「暮らしていくため」
 ということでの犯罪で、自分が捕まったり、死んでしまったりするというのは、それこそ、
「本末転倒」
 である。
 最初から、
「死ぬこと」
 であったり、
「捕まること」
 というものを前提であれば、何も犯罪など犯すことはない。
「潔く、そのまま死んでしまえばいい」
 ということになる。
 特に、
「犯罪を犯す」
 と考えた時、相当な覚悟が必要であろう。
 しかも、
「捕まりたくない」
 と思えば、
「必死になって、捕まらないようにするための計画を練る」
 というのが当たり前である。
 だから、犯人とすれば、
「物証すら、トリックに使う」
 ということで、
「わざと、物証を残す」
 ということもあるだろう。
 しかし、実際に、
「やりすぎてしまう」
 ということもあるようで、そこが、推理をする、
「探偵」
 であったり、
「刑事」
 に対して、犯人側との、化かしあいということになるのだろう。
 ただ、実際に事件で、どこまでそのトリックや、犯人が意図する計画が、盛りこまれているかというのも難しい。
 犯罪計画というのが、計画したことが、そのまま行える」
 とも限らない。
「うまくいくか行かないかは、事件経過が、どこまで計画に沿えるか?」
 ということで、
「計画を練り直す必要が出てきた」
 ということで、
「中には、二重三重に計画を練っている」
 という犯人もいるのかも知れない。
 そんな中での
「一番の疑問」
 とされた、
「埋まっていた死体に、なぜ、指輪が、しかも、佐久間探偵のものだということが、容易に分かるというものが埋められていたか?」
 ということである。
「埋められた時期が、明らかに違う」
 ということで、
「後から、掘り返して、指輪を埋めた」
 と考えた。
 しかし、これはあくまでも、
「何かのカモフラージュだ」
 と考えた時、秋元刑事の中で、何かが弾けた気がした。
 まるで、
「推理の糸が絡み合っていたものが、結ばれた」
 という感覚であった。
「絡み合った糸をほどく時」
 というのは、そもそも絡み合ったということから、ほぐそうとすることが、却ってまずいと感じさせるのだった。
 だから、
「絡み合ったものをほどく」
 ということではなく、そもそも、
「どうして絡み合うことになったのか?」
 ということを考えると、
「もし、そこに、犯人の意図が絡んでいる」
 と考えた時、
「糸を絡ませるには、自分だったらどうするだろう?」
 と考えることが大切だと思ったのだ。
 これを、
「犯人だったらどうだろう?」
作品名:一つではない真実 作家名:森本晃次