生き残りへのいたちごっこ
だが、もし、あくまでも探偵が、
「暗躍する」
ということであれば、
「探偵が動いている」
ということは、
「超極秘事項」
といってもいいだろう。
被害者側でも、
「ごく一部の人間しか知らない」
とでもいうような状態である。
だから、
「犯人グループにも知られないように、まるで、忍者のように暗躍する」
と考えれば、
「探偵」
という職業は、まさにうってつけといってもいい。
しかし、今回の事件において、
「もちろん、暗躍の中の一つ」
ということであるが、その探偵が、
「犯人グループに対して、挑戦状を送る」
というのは、いささかおかしいといえるだろう。
依頼人である被害者に対しても、挑戦状のことに関しては、一切話をしていない。
そんなことがバレれば、
「すぐに首」
ということで、そもそもが、本末転倒で終わってしまう。
実はここには、
「探偵と、犯人側にしか分からない」
という、それぞれの関係性があった。
もちろん、犯人グループと探偵が、
「最初からグルだった」
というわけではない。
それに、彼らの利害が一致しているというわけでもない。
あくまでも、立場的には、
「被害者の家族が人質にされた誘拐事件」
という中で、
「犯人が、身代金を要求してきた」
ということで、
「被害者が探偵を雇った」
というのは、当たり前の流れであり、
「この関係に、一切の間違いはない」
といってもいい。
それなのに、
「犯人に知られないように暗躍するべき探偵」
というものが、こともあろうに、
「犯人に対して、挑戦状をたたきつけた」
というのは、いかにもおかしなことであるのだ。
そもそも、
「犯人グループが、脅迫状を、昭和レトロなやり方で送ってきた」
というのもおかしなわけで、ただ、それよりも、今回の探偵の行動というのは、
「そんなことは、どうでもいい」
といえるほどの、不可解であり、理不尽な行動といってもいいだろう。
実際の、事件というものは、
「警察や被害者が想定していた内容と、まったく違う方向で移行していく」
ということで、
「この事件には、二重三重の計画が用意されていた」
ということになるのだろう。
現実
人質が解放されたのは、誘拐事件が起こってから、一週間後のことだった。
その間、警察と、被害者は、
「ピリピリとした毎日を過ごす」
ということになり、警察の捜査も、犯人を刺激しないように行われた。
なんといっても、犯人側からは、
「警察に知らせると、人質の命はない」
と言われていたからだ。
いくら、犯人が、警察に知らせることくらいは織り込み済みとはいえ、
「犯人を無駄に刺激してしまう」
ということに変わりはないわけで、被害者とすれば、
「警察に知らせたことが、一生の不覚だった」
ということになれば、
「それまでの自分の人生は何だったんだ?」
という思いを抱かせ、精神的に、
「負のスパイラル」
というものを引き起こし、
「誘拐事件」
というものが、またしても、
「世の中に蔓延することになったら」
という、
「どこか、まだ世間体というものがしみ込んでしまった身体から抜けない」
ということが、どこか、
「自分の習性のようなものだ」
として、
「因果応報」
というものを感じないといけないとすれば、
「そんな余裕もないくせに、考え方の堂々巡りを繰り返さなければいけない」
ということに対しても、
「人生というものを、今さらながらに考えなければいけない」
と思い知らされる。
そもそも、
「今までに人生というものを、どれだけ考えたのか?」
ということであるが、人生こそが、
「自分の私利私欲だった」
と考えると、
「誘拐事件」
というものが起こって初めて、自分の中の、
「因果応報」
というものが分かることになったというものである。
「探偵による挑戦状」
というものが、最終的には功を奏したということになるのかも知れないが、
「誘拐事件」
というものに関しては、完全に、
「犯人側の失敗」
といってもいいかも知れない。
結果的に、
「身代金の受け渡し」
というものもなく、
「人質は、無条件で解放された」
ということであった。
当然、犯人にメリットはないわけで、結局、
「犯人が逮捕される」
ということもなかったのだ。
とはいえ、
「犯人の不可解な行動」
ということは間違いないということで、
「当然、綿密な計画を立て、少なくとも、誘拐に関しては成功し、これから、犯行の第二段階に進もうとしているところでの、人質の無条件解放」
ということである。
警察も、被害者側も、
「狐につままれた」
かのような感覚であり、
「犯人の行動が、読み取れない」
という不安が残ってしまったことで、今後、どのような要求があるかと思えば、
「安心はまったくできない」
といってもいいだろう。
犯人から解放された人質は、少しの間、
「健康上の問題」
ということで、病院に入院することになった。
医者が見た中で、
「人質は、記憶の一部をなくしている」
ということが判明したのだ。
もちろん、犯人側とすれば、
「人質から、自分たちの身元がバレると困る」
ということで、記憶を消したのだろうが、その消された記憶というのは、
「記憶すべて」
ということではなく、実際には、
「今回の事件に関しての一切」
ということであった。
「誘拐された」
という事実に関しては、覚えているようなのだが、本人の自覚としては、
「誘拐された」
とは思っていない。
もっといえば、
「誘拐はされたが、苦痛に感じてはいなかった」
ということであった。
「誘拐はされているが、待遇は、VIP待遇だった」
ということで、実際には、
「どこかは分からないが、豪華な場所で、豪華な食事、さらには、まわりにいる人が、何でもいうことを聞いてくれる」
という、まるで、殿様状態だったということであった。
だから、本人は、
「親も承認の上で、ちょっと知り合いのところに遊びに行っていた」
という程度のことであった。
これは、犯人側が実際にここまで用意できたわけではなく、
「そんな、VIP待遇ができる」
というサービス会社を知っていたからだった。
その会社の素性は分からなかったが、本当は誘拐なのに、それを詮索されないような企業の方が都合もいい。
そういう意味で、
「さらに、依頼を掛ける」
という方法で、
「何かの捜査が及んでも、犯人に直接結びつかない」
ということで、まるで、
「サイバー詐欺」
などにおける、
「受け子」
であったり、
「出し子」
のようなものだという認識でいいだろう。
人質になっていた人は、
「記憶の一部を消され」
さらには、
「一部を、都合のいいように、改ざんされている」
といってもいいだろう。
その改ざんというのも、
「警察側とすれば、不可思議なところ」
といってもいいだろう。
「改ざんする力があるのであれば、記憶を消すということに、どういう意味があるというのか?」
作品名:生き残りへのいたちごっこ 作家名:森本晃次



