生き残りへのいたちごっこ
といっていた。
しかし、実際に、犯人が、そういっても、実際には警察に知らせるというのが、普通である。
なぜなら、
「警察を呼ぼうが呼ぶまいが、犯人が最初から人質を殺すつもりであれば、警察は関係ない」
といってもいい。
なんといっても、
「顔を見られたりするリスクだって高いわけで、犯人が、最後は無事に人質を返すという保証はどこにもない」
ということからである。
そもそも、
「営利誘拐事件」
というのは、ある意味、
「これ以上、割に合わない犯罪はない」
といってもいいのではないか。
誘拐して、身代金を要求し、さらに、その受け渡しを行う。
確かに、金額的にはかなりのもので、成功すれば、
「完全犯罪だ」
といってもいいだろう。
しかし、実際には、
「完全犯罪などありえない」
といわれる。
つまり、
「完全犯罪がありえない以上、誘拐というものが成功することもありえない」
といえるのではないだろうか?
特に、
「一番犯人にとって危ない時」
つまりは、
「逮捕される可能性が高い」
というのが、
「金の受け渡しの瞬間」
ということだ。
そこまで、犯行計画が100%うまくいっていたとしても、結果として、金の受け渡しの瞬間にしくじれば、
「すべてが終わり」
ということである。
だから、
「どんなに完璧な犯罪計画」
ということであっても、計画というのはあくまでも計画でしかなく、とくに、時系列が、犯人の都合よく動いているというわけではない。
犯人にとって、突発的な事故があるとも限らないわけで、そもそも、計画を立てるのは犯人であり、どこか一つで、その計画が狂ってしまえば、
「すべてが瓦解する」
といってもいい。
「時系列というものは、元に戻すことはできない」
ということであり、それこそ、その瞬間瞬間で、想定できることをすべて想定し、その時々の想定した中で計画が頓挫しそうな場合に備えて、それぞれに、打開策を練っておく必要があるだろう。
むろん、
「そんなことは、絶対に不可能だ」
一つの計画を、
「都合よくいく」
と信じて、その計画に万全を期するように祈るしかないのが、犯人側のできることだということになる。
だから、犯人側とすれば、
「誘拐事件」
などというのは、博打のようなもので、
「犯罪としては、リスクが大きく、わりに合わない」
というのは、そういうことになるのだ。
もちろん、逮捕されて、裁判になった場合、よほどの犯行に及ぶ情状がなければ、
「ほぼ実刑」
というのは間違いのないことだ。
しかも、
「誘拐事件」
というと、被害者が大物であれば、それだけ、
「世間を騒がせる」
ということで、社会的な反響を考えると、それだけでも、罪が重くなるというものである。
だから、この時の被害者は、警察だけではなく、
「私立探偵」
にも、事件を依頼していた。
警察とすれば、
「警察が信頼できないのか?」
ということで、面白くないと思っているだろうが、被害者側とすれば、
「藁にもすがる」
ということで、それはそれで当たり前ということであろう。
顧問弁護士が知っている探偵ということで、実は今までにも、会社の諸問題に対して、顧問弁護士を通して、
「裏で動くエージェント」
のような形で、この時が初めてだったというわけではなかった。
ただ、この事件において面白かったのは、
「犯人が被害者に対して、脅迫状を送る」
ということが行われたのと同時に、これは、世間も警察も誰も知らなかったが、
「探偵が、犯人に対して、裏で挑戦状を送る」
ということが行われていた。
これは、被害者は分かっていた。
犯人は、たぶん、
「警察に通報されるだろう」
ということは、最初から想定していたのだろう。
犯人と被害者の間で」
つまりは、
「警察に知られないルートで、連絡を取り合う」
ということを、
「犯人側主導」
で行っていたのだ。
そのルートを使って、探偵は、犯人に対して、
「探偵からの挑戦状」
というものをたたきつけていたのだった。
とはいえ、そこまで強いものではなく、
「今回の事件に、探偵である自分も参戦しているので、そのあたりをよろしく」
という程度の、いわゆる、
「挨拶状」
といってもいいだろう。
今回の事件の特徴は、
「警察を半分、蚊帳の外に置いておいて、犯人、被害者、探偵のみっつが、何かの関係に立っている」
という状態だったのだ。
だから、
「探偵というのは、確かに被害者側に雇われてはいるが、犯人との間の関係においては、被害者側との関係とは違った、独自の関係というものを結んでいる」
というのが、特徴だったのだ。
被害者側は、
「探偵に依頼した」
ということで、信頼を置いてはいるが、そこは、あくまでも、
「人質の無事な開放」
というのが、一番の最優先事項で、警察のような、
「人質解放はもちろんだが、犯人逮捕も大切」
ということで、
「一歩間違えれば、犯人は逮捕したが、被害者は殺された」
ということに結果的になってしまうかも知れない。
と感じると、
「それでは困る」
というのが被害者側で、世論も、
「被害者側の味方」
ということになるだろう。
しかし、世論の中には、別の考え方をする人もいる。
つまりは、
「人質が無事であっても、犯人が逮捕されない」
ということになれば、
「模倣犯が増える可能性がある」
ということである。
そうなると、一般市民の一般的な考え方とすれば、
「人質が無事だった」
というのは、
「警察の捜査や対応がうまく機能した」
ということであろうが、あくまでも、
「今回はうまくいった」
というだけのことなのかも知れない。
それよりも、
「犯人が逮捕されない」
ということは、犯人が味をしめて、また、
「誘拐」
という犯罪に手を染めることになるかも知れない。
それよりも、
「誘拐事件を計画している人」
がいるとすれば、その連中の火に、油を注ぐということになるかも知れない。
それが、模倣犯であったり、いわゆる、
「犯罪の連鎖」
に結びついてくるとすれば、警察の、
「犯人を取り逃がした」
という失態は、大きなものとなるだろう。
もちろん、
「警察の任務」
とすれば、
「人質の命が最優先」
というのは当たり前のことである。
これに関しては、100人が100人、
「当たり前のことだ」
というに違いない。
しかし、
「犯人を取り逃がす」
というのは別であり、それによって、社会不安が起こり、さらに、
「二次災害」
ということで、模倣犯が起こってしまえば、それこそ、本末転倒ということになり、
「警察に対しての非難は免れない」
といえるだろう。
そうなると、ジレンマに陥った警察とすれば、
「微妙な判断を誤ってしまうかも知れない」
ということで、
「人質の命を、最優先としてくれないかも知れない」
という疑心暗鬼になるだろう。
そこで、今回のような場合、警察に表に出てもらう形で、
「裏から、探偵が暗躍する」
という方法を取ったのだ。
作品名:生き残りへのいたちごっこ 作家名:森本晃次



