生き残りへのいたちごっこ
「寂しい老人の感情を利用して」
というものであったが、今の時代は、昔でいう、
「寂しい老人」
というのは、当たり前の時代になってきた。
そうなると、今の時代の、
「家族であって家族でない時代」
に狙いをつけるとすれば、今でも、その関係は薄れていない。
「孫と祖父母」
の関係に眼をつけたのだった。
「孫が問題を起こしたので、金がいるので、金を振り込んでくれ」
といって、別口座に振り込ませる。
本当であれば、
「怪しい」
と思うことかも知れないが、いきなり言われると、老人はパニクってしまい。つい振り込んでしまうというわけだ。
実際に、その手口は公表され、徹底されるようになってきても、それでも、
「騙される」
という人はいるのだ。
それだけ、
「人情というのは、騙されやすいというものなのかも知れない」
それを思えば、
「昭和の詐欺もひどかったが、今の詐欺はさらにひどい」
といえるだろう。
「手口が高度化している」
というのだから、それも当然のことで、
「犯人と、警察のいたちごっこ」
というのは、果てしないといってもいいだろう。
そんな昭和の終わり頃、
「老人を狙った詐欺」
というものと、ほぼ同時期に、別の社会問題となる事件が発生した。
この事件は、センセーショナルな話題を振りまいて、結局、未解決事件となったのだが、そのまま時効を迎えてしまったのだ。
凶悪事件ではあったが、結局人は死んでいないということで、すべてが、時効を迎えた。要するに、
「歴史の中の事件」
ということになってしまったのだ。
その事件を彷彿させる事件が、令和の今の時代に発生した。そう、事件のきっかけになったのは、
「誘拐事件」
ということだったのだ。
探偵
今の時代に、
「営利誘拐」
などというのは、ある意味、
「リスクの大きな事件」
といってもいいかも知れない。
街の至るところに、防犯カメラが設置されている。
ということであったり、
「スマホを持っていれば、位置情報がバレる可能性がある」
ということ、
なんといっても、
「連絡を取った時点で、どこにいるかが、すぐに分かってしまう」
ということである。
犯罪も、昭和の頃と今とでは、かなり種類が変わってきているだろう。
しかし、明らかに、
「計画犯罪」
というものが難しくなっているというのは、当たり前のことである。
一つは、
「科学捜査が行き届いてきた」
ということである。
「防犯カメラの設置」
「位置情報の確認」
さらには、死体の身元の確認というのも、
「DNA鑑定」
というもので、昔の、
「探偵小説」
などで言われるところの、
「犯罪トリック」
というものが通用しなくなったということである。
だから、
「トリックを使った計画犯罪」
というのは、ほとんど不可能になったといってもいいだろう。
となると、後に残るのは、
「衝動的な犯罪」
であったり、
「劇場型の犯罪」
あるいは、
「目的完遂のためだけの犯行」
ということで、
「怨恨」
であったり。
「復讐」
というものは、
「自分が捕まったとしても、それ以上に、犯人に対して、恨みが晴らせればそれでいい」
ということで、
「犯行を行うだけ」
ということであり、逃げることを考えなければ、成功の可能性は高いということになるだろう。
つまり、
「本来であれば、科学捜査の発展というのは、犯罪の抑止に役立てるべきものではないか?」
ということである。
そういう意味では。
「検挙数は上がる」
かも知れないが、
「検挙率は変わらないか、あるいは、下がる可能性がある」
ということになる。
要するに、
「事件が起きて、事件を解決するということであれば、科学捜査は役立つが、事件の抑止ということであれば、まったく役に立たない」
といってもいいかも知れない。
「まったく役に立たない」
というのは言い過ぎかも知れないが、
「本来の目的は何か?」
ということであれば、やはり、
「犯罪をなくす」
ということであろう。
そもそも、
「警察は、事件が起きなければ捜査をしない」
というのは、
「事件が多すぎて、人を割けない」
ということからきているのだろう。
だとすれば、
「犯罪の抑止」
というのは、その
「犯罪数を減らす」
ということになるわけなので、
「本来であれば、犯罪の抑止となるような、科学的なものができなければいけない」
ということになるだろう。
とはいえ、最初は、
「抑止になる」
ということで進められてきたのだろうが、実際には、
「検挙数の増加」
ということには役立っているので、
「一定の結果は出ている」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「科学捜査」
というものが、犯罪の抑止にまったくなっていないわけではないと考えると、
「衝動的な犯罪」
であったり、
「ストーカー」
などの、異常性癖者における犯罪であったり。
「捕まる」
ということを考えないというような、
「自殺を含めた計画」
という犯罪は、減ることはないだろう。
実際に、
「事件が減っている」
と言われているが、
「科学捜査の発展」
ということで、見越した犯罪の現象と比べて、
「どこまで実際に減っているというのか?」
ということを考えると、
「警察というのが、人員削減に走っている」
という現状が、本当に、
「正しい判断なのか?」
ということを考えてしまうのである。
今の時代は、
「本当に時代は繰り返される」
といえるのだろうか?
それこそ、
「破滅に向かって一直線」
ということではないだろうか?
リスクが大きいと言われる、
「誘拐事件」
というものを、
「脅迫状を送り付ける」
という方法で、被害者側に通知するというのは、完全に、
「挑戦状をたたきつけている」
といってもいいだろう。
しかも、そのやり方は、それこそ、昔のやり方で、新聞記事や雑誌の切り抜きを便箋に貼り付ける形での、
「昭和の脅迫状」
であった。
そのやり方は、
「文字で身元がバレない」
という、筆跡が分からないようにするためだった。
今であれば、パソコンを使えば、筆跡など関係がないわけで、せめて分かったとしても、
「パソコンやプリンターの種類」
という程度のことで、これだけ普及しているのに、そんなことが分かっても、犯人の特定には程遠いというもので、脅迫状を使っても、そこから身元がバレるということはないだろう。
これが、
「メールなどになれば、送信元を調べればわかることだが、ネットカフェなどを使えば、これも特定は難しい」
といえる。
ただ、
「何か目的があって誘拐し、その通告に、脅迫状を使う」
ということで、しかも、その方法が、
「昭和の脅迫状」
というレトロな手口は、まさに、
「時代錯誤」
といってもいいだろう。
誘拐されたのが、
「金を持っている実業家」
ということで、最初は警察へのノーマルな依頼だった。
犯人は、当たり前のように、
「警察に通報すれば、人質の命はない」
作品名:生き残りへのいたちごっこ 作家名:森本晃次



